第2話:困ったときのやまぐれ商店
てまりがガラスを割る数時間前のこと。
その日、影山みなとはホームルーム前のにぎやかさから一人取り残されていた。彼のそばにいる子供たちも彼を会話の輪に加えようとはしないし、みなとからも加わりに行くことはない。
教室の後ろの扉が開く。振り返ると、先日まで仲の良かった女の子二人が何かしゃべりながら教室に入ってきていた。
「……あ、おはよう」
「…………」
いつもなら笑顔で挨拶を返してくれるはずの二人も、どこか気まずそうに目をそらす。
(まあ、あんなことがあったんじゃしょうがないか。それに僕にも責任があるし)
一週間ほど前に自分が引き起こした出来事を思い出し、みなとは心の底から後悔した。
「おーし、朝の会はじめるでー」
始業を告げるチャイムが、やや年季の入った教室内に鳴り渡る。それからから少し遅れて、担任教師の浅井の低くガラガラした声が子供たちの注目を教卓の方に引いた。
「きりーつ、れーい――、」
いつもと変わらない気の抜けた挨拶と出席確認、そして数分の読書の時間。いつもと変わらないホームルームのはずだが、みなとにとっては針の筵だった。
「せんせー、そういえば野垣くんは大丈夫なんですかー?」
ホームルームが終わる直前、みなとの斜めうしろの席の同級生が手を上げた。その言葉にみなとはびくっと肩を震わせる。彼にみなとを傷つけようとする意志はないはずだが、体が反射的に反応してしまう。
「えーっと、野垣くんは……、まだ調子悪いみたいやな。ほな算数の授業はじめるで」
教卓の中から算数の教科書を取り出してペラペラとめくりながら、浅井は何かはぐらかすようにそう答えた。
――
その日の放課後。同級生たちがめいめい帰ってゆく中、みなとは浅井のいる職員室を訪ねていた。
「あの、浅井先生」
「影山くんか。どうした?」
みなとに目もくれず、浅井は五時間目に行われた漢字テストの採点をしながら生返事をする。
「……あの、この前のことなんですけど……」
みなとはおずおずと要件を話す。往年の体育会系教師を髣髴とさせる一八五センチという上背に筋肉質な浅井の体格は、小学五年生の男児を委縮させるには十分だった。
数日前に雷を落とされたのだったらなおのことである。
「……前も言うたけど、あれは景山くんは転校してきたばっかりやし、しゃあないわ。あの事故も野垣くんの行動が原因なんやろ?」
浅井はデスクから顔を上げ、みなとの方に向き直る。彼と幾度かそんなやり取りをしたのだろう、その声色にはどこかうんざりしたような雰囲気が漂わせている。
「……はい。でも、野垣くんを誘った僕にも責任があると思うんです」
みなとはそういったものの、別に先日の事件の全責任を負いたいわけでも、浅井の許しを再確認したいわけでもなかった。
「ほな、どないしたいんや。言うてみんと分からんで」
「……野垣くんを、助けたいんです」
やや苛立ちの滲む浅井の声に、みなとは小さく返事をする。
「そしたら、ここに行きなさい」
浅井はカレンダーを裁断したと思われるメモ用紙に赤ペンでさらさらと何かを書き、みなとに手渡した。
「やまぐれ商店?」
受け取ったメモ用紙には、みなとが口にした店の名前と簡単な周辺の地図が記されていた。
「ここたいの駄菓子屋さんや。俺らが子供やったころ、なんか困ったことがあったらここのおばちゃんに相談に行ったんや。二年くらい前にお孫さんが店継いでな、その子も力になってくれるんちゃうか」
「ここに行けば、野垣くんが助かるんですか?」
「そら分からんわ。でも、行ってみんと助かるもんも助からんで」
すがるような目で自分を見つめてくるみなとに対し、少し浅井は少し困ったように肩をすくめた。
――
その日の帰り道。みなとは学校を出た足で浅井に紹介してもらった件の駄菓子屋を目指して、家とは逆方向の道を歩いていた。
メモに描いてもらった大雑把な地図を頼りに、店があるというあたりをうろうろする。しかしみなとが方向音痴なのか、浅井が描いた地図が分かりにくいのか、なかなか目的地にたどり着かない。
一応校区内ではあるものの、さすがにランドセルを背負いっぱなしでうろつくのは少し気が引ける。さらに荷物を持ったまま歩きどおしで足が疲れてきたので、みなとは少し焦りはじめていた。
一度荷物を置きに家に帰ろうと、もと来た道を戻ろうとしたその時。
「ああー! てまりぃ!」
閑静な住宅街に、若い女性の素っ頓狂な声が空を震わすように響いた。
何ごとかとみなとは声の聞こえた路地のほうに向かう。しばらく進むとその奥に「やまぐれ商店」と書かれた古ぼけた看板を掲げた、アニメで見るような駄菓子屋にそっくりの店を見つけた。
地図とはやや位置がずれているが、どうやらここがそうらしい。
「今日という今日は許さんからな!」
先ほどと同じ女性の声が店の中から聞こえてくる。
意を決して店の中をのぞく。店の中では和服姿に色の薄いサングラスをかけた二十代前半くらいの女性が、何かを両手の拳骨で挟み込む素振りをしながら怒鳴っていた。彼女が浅井の言っていた「お孫さん」だろうか。
店の奥には割れたガラスが散乱していて、その上には和柄の少し小さめのボールが転がっていた。
みなとがなんとも形容しがたい光景を前に店の入り口で立ち往生していると、ふと女性と目が合う。彼と目が合った瞬間、彼女は悪戯がバレたときの子猫のような顔をしてそのまま固まってしまった。握っていた拳骨も気づかぬうちに緩む。
「あ……」
女性が放ったその一言を最後に、薄暗い店の中を静寂が包み込んだ。遠くを走る原付のエンジン音や鶯の囀りさえうるさく聞こえるその静けさに、二人とも息をすることも忘れてしまう。
「あ、ま、また来ます……!」
長い、長い沈黙を破ったのは、いよいよ居心地の悪くなったみなとが発した捨て台詞だった。
女性の返事を聞く間もなく、みなとは踵をかえし、自分でも信じられないくらいの速足でやまぐれ商店を後にした。
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