やまぐれ商店の奇妙な事件簿

飛梅ヒロ

エピソード1:お狐様のウィジャボード

第1話:最悪の邂逅


「……なんでなん?」


 ヒグラシの合唱が響く夏の夕暮れ。志村あや子は帰ってくるなり、祖母に向かってそんな言葉を口にした。


「え?」


 突然のその言葉に、あや子の祖母、房江はきょとんと彼女の顔を見ることしかできなかった。


「なんで私だけこんな目に遭わなあかんの? なんで私だけ変なもん見えんの? ねえなんで!?」


 堰を切ったように早口でまくし立てるその声は、最早悲鳴に近かった。


「それは、あや子がな、選ばれた――」


「選ばれたって、何に!? みんなに笑われるぐらいなら選んでなんて欲しなかったわ!」


 おどおどと戸惑う房江から逃げるように、あや子は叫ぶようにそう言い捨てて二階の自分の部屋に駆けていった。


 あや子が祖母の元を去ったのは、それからおおよそ一週間後のことだった。


―――


 がくん、と頭が落ちる衝撃であや子は目を覚ました。


 流暢になりつつある鶯の囀りだけが静かに響く表通りに自分以外誰もいない店内、そして少しだけ傾いた柔らかい日差し。どうやら暇すぎるが故に転寝をしてしまっていたらしい。


 よだれをポリエステルのつむぎの袖でぬぐい、何か盗られていまいかとレジ周りとタバコの棚を確認する。幸いなくなったものはないらしい。流石みかんの無人販売所がそこかしこにある田舎町といったところか。


 しかし嫌な夢を見た。素面の状態ではまず思い出さないであろう記憶。夢の内容を思い返すだけで奥歯がむずかゆくなる。


 沈んだ気分を紛らわそうと、カウンターの隅に置いたピースの缶に手を伸ばしたその瞬間。ガラスの割れる鋭い音があや子の耳をつんざいた。


 音のした方に目をやる。店と茶の間を隔てる、椿の花が描かれた昭和型板ガラスが見るも無残に砕け散っていた。割れて散乱したガラスの横には紀州手鞠が転がっている。その傍らで紅色の着物を着た、五、六歳くらいの女の子が蛇に睨まれた蛙のように固まってあや子を凝視していた。


「ああー! てまりぃ!」


「ち、違うんやあや子、これはちょっと手が滑って……」


 あや子の素っ頓狂な叫び声に、てまりと呼ばれた女の子は赤いビー玉のような瞳をきょろきょろと泳がせ、苦し紛れの言い訳をする。


「だから店の中で鞠遊びすんなって何回も言うたやろ! どうすんのこれ……」


 あや子は額に手を当ててため息をついた。子供の頃からひそかに気に入っていたそのガラスは、今では製造する技術が失われてしまっていて、直そうにも直しようがない。


「……こ、こういう時はな、ええことが起こる兆しなんよ。おばあの伊万里焼の皿に比べたらこれくらい……」


「ええこともへったくれもあるかい、私のお気に入りのガラス割っといてそれはないやろ! あと昔皿割ったんお前か!」


 逃げようとしたてまりのおかっぱ頭をむんずと掴み、あや子は両のこめかみに拳を当ててぐりぐりと力を込めた。祖母に伊万里焼を割った犯人と疑われた時の記憶がよみがえり、いつもよりも力が強くなる。


「いだだだだだ! ちょっとは加減せえや、仮にもこの店の守り神やぞ!」


「んな有難いもんちゃうやろ、ええ加減にせえ!」


「クソ、ほんまに祟るぞ、このっ! 離せ!」


 てまりはぎりぎりと頭に食い込む手をのけようとする。しかしいくらあや子の腕が細いとはいえ、子供程度の膂力では大した抵抗はできなかった。


「もう充分祟られとるわ!」


「……あのー」


 聞き馴染みのない声に、あや子ははっと店の入り口のほうを振り返る。ランドセルを背負った人影が立っているのが見えた。通学帽にプリントされた校章から見るに、この近くの小学校に通う子供らしい。


「あ……」


 ガツン、と後頭部を殴られたような衝撃が彼女の頭に走る。手を緩めた隙にてまりは脱出してしまったが、彼女を追うことすらも忘れていた。


(見られた……!)


 昔の記憶がフラッシュバックする。


――あやちゃん、もうみんなそんなの信じてないよ。


――いい加減そういうの卒業したら?


 違う。本当に見えてるのに。なんで誰も信じてくれないの?


――頭スピっちゃってんの? かわいそ。


 自分の見ているものを否定された挙句、病気扱いされることなどしょっちゅうだった。


「あ、ま、また来ます……!」


 子供らしいやや舌っ足らずな声に、あや子は意識を現実に引き戻される。呼び止めようとするも、人影は学校とは逆の方向に走り去って行った。


 人影が行ってしまったことを確認すると、あや子は空気が抜けたようにへなへなとその場にへたり込んでしまった。


 幽霊が見える。幼い頃友達にカミングアウトしたとき、みんなは純粋に彼女の見る世界に興味を持ってくれた。


 しかし年齢が上がるにつれ、幽霊やオカルトといった類のものが作り物であると学習していった子供たちは、いつしか彼女に奇異の目をむけるようになった。そしてそれが迫害となるまでには、そう時間はかからなかった。


 それ以降、あや子は自分の「幽霊が見える目」を徹底的に隠してきた。幽霊も妖怪も見えない、ただの少女として。


 たとえ「普通の人が見えないもの」で誰かが傷つこうと、ときに命が失われるようなことになろうとも。


 そうまでして守り続けてきた秘密が、こんなにあっけなく明かされようとは。


「……あの、ごめん」


 あからさまに落ち込む彼女を見て、隠れていたてまりも申し訳なさそうにひょっこりと廊下の角から顔を出す。


「……もうええよ。今度からは庭でして」


 あや子は魂の抜けたような声でそう言うと、しっしと手で追い払うしぐさをした。


 それを見ててまりは鞠を回収して気まずそうに庭に続く廊下へと消えていった。それを見送ったあと、あや子は箒とちりとりを持ち出して割れたガラスを片づけはじめた。

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