第2話 【前編】極楽往生
「さっき送ってもらった資料、メールで送ったので確認をお願いします」
「あ、はい!ありがとうございます」
メールに添付された資料を開くと、悩んだ部分が上手くまとまっていた。
ありがたかったけど、少し悔しい。
二つ年上の
青葉さんみたいに仕事ができる人間になりたい。
ここ最近は、青葉さんへの憧れがモチベーションになっている。仕事への向き合い方や緊急時の対応、学ぶことはたくさんある。
「頑張らなくちゃ」
この後の日程を確認するため、スケジュール帳を取った時に何かが落ちた。
デスクの下にあった黄色い栞を拾う。
いつも行く図書館で、小さな女の子に手作りの栞をもらったことを思い出す。
その時、私の隣にはあの男性がいた。
***
仕事帰りに寄った駅内の本屋で見つけた小説。
休日のために、まだ一ページも読んでいなかった。
文庫本なので、鞄の中に入れても大した重さにはならない。それを気に入って、いつも文庫本ばかりを手に取ってしまう。
たまに文庫版が出ていない新しい小説を何度か、がっかりしながら買うのを諦めたことがある。
鞄の重さで、体の疲れ方がまったく違うのである。
お気に入りのトートーバックに入れて、図書館に向かう。
いつもの並木道は、すでに梅の花は全て散っていた。これから夏の初めまで太陽を浴び、青梅を実らせるだろう。
まあ、食用じゃないので食べられないけど。
青梅が売り出したら、梅酒でも漬けようかなと考えていると図書館に着いた。
だんだんと気温が上がり、ほんの少し汗をかいてしまった。中に入ると冷房が効いているので涼しい。
いつもの席に座り、一息つく。
疲れが溜まっているのか、足のむくみや肩こりが揉んでも取れない。
そんなことは置いておいて、鞄から本を取り出し読み始める。
闘病生活を続けたが快方には向かわず、余命宣告を受ける。
家族は治療を続けようと言ったが、男性は首を振った。
「少し疲れたんだ。やりたい事を、好きな事をしたい」
その言葉に家族は了承するしかなかった。
まず初めに彼がやったことは、たらふく母親の料理を食べることだった。好きだった母親の料理を何年か振りに食べると、味が濃くてしょっぱく感じた。それでも夢中になって食べた。
そんな事をすれば、胃が拒否反応を起こす。
結局、全て戻してしまった。もう食べなくていいと泣きながら母は言ったけど、申し訳ないが吐いてでも食べるつもりだ。
読んでいて、そこまでして食べなくていいのに、そう思った。
だけど男性には、母親の言った言葉が忘れられなかった。
「あんたの好きな肉団子!早く食べれるようになりなさいよ!いっぱい、いっぱい作ってあげるから」
母親は笑っていたけど、ふっくらとした手が震えていることに気づいていた。せめて、一つでも親孝行出来るように肉団子を吐くまで食べた。
そして、彼が一番やりたかったことは、好きな人に幸せになってもらうこと。
彼にはずっと好きな人がいた。
友人として関係は続いているし、見舞いにだって来てくれる。病気を治して、彼女に想いを伝える。
そんな希望は叶わなくなった。
だからせめて、彼女が幸せになれるように最後の時間を使おうと思った。
本当に男性は、彼女のことが好きだったのだろう。じゃないと最後の時間を使おうなんて考えない。
男性こそ幸せになるべきだ。
なんて自分勝手な事を口に出さないように、一度本から目を離した。
「はあ」
ため息をつきながら、体が硬くなってることに気づいた。
少し歩いたほうが良さそうだ。
肩をぐるぐる回してから、本棚を見てまわる。
ふと栞を届けてくれた男性を思い出し、理系のジャンルがある本棚に行く。適当に手に取り、ペラペラとめくってもさっぱり分からない。
本を戻した時、何気なく席がある方を見るとあの男性が本を読んでいた。
あの時と同じく、ニット帽にマスク姿だ。
明らかに怪しい格好なのに、よく声をかけられないなと感心する。
席に戻ろうした時、女の子の声が聞こえた。
「ねえねえ、お兄ちゃんは何してるの?」
「え、ぼ、僕?えっと、本を読んでるかな」
「何のご本読んでるの?」
何故か小さな女の子に質問攻めされている。
なんでなんで攻撃を喰らっている男性は、あたふたしながらも律儀に答えていた。
「数学、数のご本だよ」
「かずって何?」
「一とか、二とか・・・・・・」
どんどん声が小さくなるのにつれ、女の子の声が大きくなる。
「ねえなんでかず好きなの?」
「あ、え、そ、それは」
「ねえなんで!」
男性は膝の上で両手を固く握り、催促されても俯きながら黙っていた。
見ていられなかった。
「どうしたの?」
怖がられないためにしゃがみ込み話しかける。
「あのね!お兄ちゃんがおはなし聞いてくれないの!」
「そうなの?なんでだろうね。そういえば、今日は誰と来たの?お母さん?」
顔を膨らませ、怒ってますという顔をしていたのに、お母さんという言葉で笑顔になった。
「お母さんと来たよ!あれ?お母さんは?」
ただの迷子だった。
「どこでご本読んでたの?」
「えっと、えっと、うっ、ぐす」
泣き始めた女の子の背後で、男性が慌てはじめた。
「あ、あの!僕、お母さん探してきます!」
「ちょっと待ってください」
「え?あの」
闇雲に探しても時間の無駄だ。
女の子が元々いた場所を聞き出してからでも、遅くはない。
「図書館、広いもんね。じゃあ、お靴脱いでた?」
「ぐすっ、お、おくつぬいでた」
靴を脱いでいたということは、紙芝居コーナーだろう。図書館で唯一、靴を脱いで紙芝居や絵本を読める場所だ。
「きっと、紙芝居コーナーのことだと思います。一緒に行きましょう」
「え、一緒に、は、はい、分かりました」
女の子をゆっくり抱っこして歩き出す。
「お母さんにあえる?」
「会えるよ」
三人で紙芝居コーナーに行くと、不安そうにキョロキョロしている女性がいた。
「お母さん!!」
私の腕から降りて、母親に向かって走っていく。
「もも!!どこに行っての!!」
「ご、ごめんなさい!ぐす、ひっく」
親子の姿を見て、
なんだか、久しぶりに母親に会いたくなって来た。
「本当にありがとうございます。すみません、ご迷惑をおかけして」
「いえ、とんでもない。ももちゃんもお母さんに会えてよかったね」
「うん!ありがとう!」
さっきまで涙と鼻水だらけだったのに、目尻と鼻を少しだけ赤くさせてニコニコ笑っている。
「あっ!お母さん!しおりある?」
「栞?あ、お姉さん達にあげるのね!」
そう言って取り出したのは、手作りの栞だった。
「それだったら、彼にあげてください」
「あ、いえ、僕は」
「二つありますから、もらってください」
女の子は栞を受け取り、トタトタと私の前に来た。
「お姉ちゃんはね、きいろ!」
「ありがとう、とっても可愛い栞」
お礼を言い、黄色のリボンが付いている栞をもらった。
押し花がラミネートされ、手作り感満載だ。
「お兄ちゃんは、うすいむらさき!」
「あ、ありがとう」
両手で栞を受け取った男性に満足したのか、女の子は絵本が読みたいと言い出した。
「すみません!本当にありがとうございました」
親子は紙芝居コーナーに歩いて行った。
横目で男性を見ると、栞を見つめていた。
じっと見つめているかと思いきや、少し口角をあげて笑った。
「栞、可愛いですよね」
「え?あ、そうです、ね」
下を向いた男性に話を続ける。
「可愛い栞、ずっと探してたんです。偶然手に入るなんて運命ですよね」
運命と言葉にした瞬間、男性がバッと顔を上げた。目を見開いて、どこか動揺しているように見える。
「あの?」
「あ、そ、うですね。こんな素敵な栞もらえてよかった、です」
ぎこちなく笑い、また下を向いてしまった。
気まずいので、解散した方が良さそう。
「本当に見つかって良かったです。お時間取らせてすみません」
「あ、いえ、こちらこそありがとうございました。」
「いえいえ、それでは失礼します」
「あ、はい」
席に戻って荷物をまとめる。
いつもより早いがお昼ご飯を食べることにした。
本に挟んでいた栞を取り、先ほど貰った黄色い栞を挟む。黄色いリボンが飛び出てて可愛い。
図書館を出て、母に電話をかける。
「あ、お母さん?うん、元気だよ。え、急にどうした?・・・・・・久しぶりに声を聞きたくなって」
久しぶり聞いた母の声は、少し老けたような気がした。
***
黄色い栞の中は、シロツメクサ、デージー、ワスレナグサで彩られていた。
とても可愛くて、つい栞を眺めてしまう。
「ふふ」
「あら?可愛い栞ね!誰かにもらったの?」
話しかけてきたのは、同じ部署の新田課長だった。とても頼りになって、素敵な女性だ。
「はい、女の子にもらったんです」
「ええ〜!良かったわね!」
笑顔で返事をしながら、薄紫の栞には何の花が入っていたのだろうと考える。
「ふふ、それで元気をチャージしてるのね。いいわね!午後の仕事も頑張りましょう!」
「はい!」
今度会ったら、聞いてみようかな。
下ばかり見ていた男性も話す時ぐらいは、顔を上げるだろう。
「よし、頑張ろう」
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