白木和登――入学式の後に⑤

 かつての反戦運動集会のように、透明の覆面をしてマイクで声高に反戦を唱えることもできない。


 そういう感覚を解消するために、高校時代は歌があったというのに……今年の夏のコンクールの課題曲の歌詞を読んで愕然とした。


 それは、90年前の戦争への賛美を内包し、実に優雅な曲調に彩られた軍歌のような有り様だった。

 作詞を担当したのは、かつての戦争で若くして命を落とした自爆攻撃機の搭乗兵を賛美し、今起こっている戦争についても勇ましいコメントをSNSで発信しているいわゆる極右思想のベストセラー作家だ。


 歴史ある合唱コンクールも、いざ有事となればメディアの一端として絡め取られてしまうのだと痛感した。


 戦前に高校時代を過ごした最後の代として、この変化は苦痛と怒り以外の何も感じなかった。


 大山先生も、祖父母が戦争経験者で、空襲の話や抑留経験の話を聞かされて育ったと以前聞いた。

 彼女も、少なからず今生じている変化に何かを感じているはずなのだ。にも関わらず、その変化の尖兵のような存在である新設学科の担任を任されているという。


 本心では何を考えているのか、想像するのが恐ろしく感じるところもあった。


 新聞社の統計によると彼女の同世代の男性の多くは、海峡有事への派兵や参戦に賛成しているという。或いは大山先生の旦那さんもそうした男性の1人だったとしたら……そんな風に考えたら、いくらでも悪く捉えられる。そんな事はわかっている。


 それでも、反戦思想を抱える身としては、いま起こっているあらゆる事態が、目の覚めたまま見ている悪夢のようなものだった。


 だが、それを決して口外することはできない。

 かつての、『加瀬機長の息子』だった自分は封印したのだ。


 マイナンバースコアの校内常時監視AI導入は中学高校でこそ見直しとなったが、白木の通う都川大のような首都圏の大学では運用されている。

 実際、報道こそされていないが学校敷地内で行われた未認可の反戦デモに参加した学生が後日統合秩序推進局の局員に拘束されるという事件もあった。


 もはや、どこで何に監視されているかもわからない。


 ――どこからともなく、ただ頭の上の彼方から、飛行機の鈍い轟音が聞こえる。


 原発が戦災被害を受けていなければ、校内のAI監視だけではなく、街中を市民監視用小型無人機が空転する芝刈り機のような羽音をたてて飛び交っていたかもしれない。

 それを思えば、まだ鈍い飛行機の音しかしない空の下は自由なのかもしれない。


 そうであっても、反戦思想への締付けはじわじわと強まっていた。


 数週間前にも、白木らにとって衝撃的なことがあった。あるファッションブランドのオンライン販売が治安維持上の理由から営業停止に追い込まれたのだ。


 そのブランドの代表的な商品は無数の顔がプリントされたフーディーや、雨の波紋のような複雑に波だった透明アクリルの仮面、あるいは幾何学模様状に立体的にデザインされたゴーグル型眼鏡などだ。いずれもAIによる顔識別に対し欺くハック機能をもつものだ。


 白木が薔舎高在学時は、校内でそのブランドのアイテムを見ない日はなかった。

 皆、戦争への平和的な抗議活動プロテストに参加していた。その参加実態をマイナンバースコア化されないために、自らの将来を守りながら平和を求めるために、そうしたアイテムを使用していた。


 白木ももちろん持っていた。実際に着用して『JH8213便機長の息子』として、マイクを握りしめていた。透明アクリルのモザイク状の凹凸のある仮面だ。一時期は反戦活動家としての自分の象徴のような物だった。


 だがいつしか校外で所持していると、職務質問などでカバンの中身を確認された時、違法行為に使う恐れがあるという口実で取り調べを受けるリスクがある、という話を聞くようになった。

 それ以来、当時兼部していたパブリック・スピーキング・クラブの部室に隠して、校内の反戦イベントやオンラインでの取材、或いは国際的な平和主義のユースイベントで登壇スピーチするときだけ身につけるようにしていた。


 あの頃は、外で使う必要があるときはまた買えばいいと思っていた。クラブの後輩が平和主義活動を復活させる時、象徴としてまた使うときがあるかもしれないからと思い、卒業式の日に部の共用のパソコンラックの裏に隠したままにした。


 だが今はもう、手に入らない。

 大学の一部サークルの保有する3Dプリンターを借りれば、透明レジンなどで再現することはできるかもしれない。だがそのモデルデータの閲覧も、公共機関の3Dプリンターでの生成も今は首都圏のほぼすべての自治体で治安維持条例で禁止されている。


(あの部室に行けば、まだ置いてあるかもしれない)


 納豆の最後の数粒を米と一緒に頬張りながら、そんなことを考えた。

 パブリック・スピーキング・クラブは、今も活動を続けられているのだろうか。


 ……もともとは受験対策の英語のスピーキング能力を高めるために入った部だった。入部前はほとんどカタカナ読みだったスピーキングも、先輩たちに鍛えられてある程度流暢に話せるようになったし、諸外国の訛りのある英語も聞き取れる。

 実際、大学の受験でも英語主体の授業でも大いに役立った。


 ため息をついて、少し考えた。

 部室に隠した仮面を取りにいくにしても、まずは最低限、新設学オーダー科の生徒達の巡回の目はかいくぐらなければならない。


 ぬるくなった茶を、ごくりごくりと喉に落として、屋上の床から立ち上がった。


「ごちそうさん」

「ん、行っちゃう?」

「なに、寂しいの?」

「ボッチ飯はつらいー」

「じゃあもうちょっと居るから。さっさと食べて」


 そういって座り直した。

 萠妃は言われた通り、素直に器の端に口をつけてましましとかき込み始めた。リスのように頬をいっぱいにしながら食べる顔は、すまし顔なら美人の顔がまるで食べ盛りの子どものように見えた。


 それを見て、白木は少し笑った。

 ……後輩たちのこういう瞬間があるから、卒業してもここに戻ってきてしまうのだ。


 大学で飲み会やサークルや平和運動を軸に人間関係を作るより、歌声の重なりだけで築き上げた信頼関係しかない合唱部ここのほうが、居場所としてはとてもゆるくて、無防備になれて、心地よかった。

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