オーダー科――屋上の片隅で②

 そして、佐藤はひとひとりやっと通れる幅の狭い隙間に、指示通り腹ばいに伏せた。


 ジャージやシャツの襟元がグラウンドから舞い上がった軽い塵埃で汚れる。だがそれも仕方のないことだ、とにかく今はやり過ごすしかない。


「市川さん、君もだ」

「先生すみません、なにか敷くものありますか。彼女の服が汚れてしまうので」

「仕方ないな。マット貸してさしあげて」


 そういって、城戸は背後に控えた中学の制服姿の1人が抱え持った、丸められた片面がぼろぼろになったヨガマットを差し出した。

 眼の前で彼氏が従っている手前、仕方なく市川もヨガマットのきれいな方の面が上になるように敷いて、その上に伏せる形で横たわった。


「はいそれでは足を肩幅に開いて、肘をつき、胸と腰を浮かせて」


 それを聞いた瞬間、佐藤は心のなかでクソと叫んだ。


プランクだ。俺だけなら部活仕込みでなんとかなるが……純織スミ、耐えられるか?)


 灰色の制服の男は、後ろを振り返って背後に控えた新入生たちを見渡した。


「諸君、よく見て覚えるように。これは実践指導だ。これから君たちにはなぜ彼らが、こんな場所でふたりっきりで食事をしていたのか、それについてよくよく考えてもらいたい。すぐに答えをださなくていい、まずは2分くらいよく考えてみようか。君たち2人はその姿勢を維持したままその答えを考えておいてね。はい、思考始め」


 そう言って、手を叩いた。


(まずは2分、それから先はやりとり次第だ)


 クラスメイトや同じバスケ部の何人かが、過去にこの城戸という男からこれと同じ『指導』を受けている。実質的には体育会系のブラック部活でよくある体罰だ。立てなくなるまでスクワットや腕立て伏せをさせるかわりに、非常識な長時間のインターバルなしのプランクを強いる。潰れればやり直しを強いられ、気まぐれに踏みつけられる場合もあると聞く。


(よりによって純織スミが居るときかよ)


 眼の前の男は腕時計を確認するように左の手首を見ている。

 ここは狭い袋小路だ、後ろを向いている隙に逃げることもできない。そもそもあのボディカムとAI顔認証で身バレしているから、いま逃げても後日詰められる。自分ひとりならともかく、彼女は守らなくては。

 焦る。なんとかして彼女だけでも早めに見逃してもらう手はないか。


「城戸先生、私語を許可してもらっていいですか?」

「ん? 我々に丸聞こえでよければかまわないよ。こちらのやりとりを邪魔しない範囲でね」


「うっす……スミ、大丈夫?」

「うん、まだなんとか」


「先生、俺はともかく彼女だけは開放してもらえませんか。いま生理中でお腹痛いらしいんっすよ。あんまりお腹に負担かける姿勢、よくないでしょ」


「へーそうなんだ、大変だねえ……あと30秒、そろそろなにか思いついたかな?」

 まるで他人事のようにそっけなく言うだけで、城戸は振り向きもしない。


(クソ効かねえ!)

 腕が体を支えていなければ屋上の床を叩きたい気分だった。


「はい2分。右の君から順に、思いつく理由を聞かせてもらえるかな」


「えーと、デート、ですか」


 新入生の答えに、食い気味に佐藤の背後の市川が叫ぶように言う。

「そーだよ!」


 これに城戸はうんうんと相槌をうつ。


「けどデートだったらわざわざ校内のこんな狭いところでこっそりしなくてもいいんじゃないかな。学校の側には大きな公園もあるわけだし」


「だからデートだっつってんだろ、人に見られんのが恥ずかしいんだよ」


 抗議するように声をあげる市川、だが城戸はこちらには背を向けたまま一切無視を決め込んでいる。むろんプランク中断の指示もない、ただ、ボディカメラだけが彼の目の代わりのように肩越しにこちらに向けられている。


(背を向けているからといってサボれば、後で絶対に因縁をつけられる)

 佐藤はそう思いながら、唇を噛んだ。


「次、隣の子」

「ぼくも、ふたりきりでご飯を食べたいだけかと」


「そうだねえ、知り合いに見られたらあとで冷やかされたりしたら恥ずかしいだろうからねえ。けど私は思うんだよ、そういうのも青春の1ページとして、あとで楽しい思い出になるんじゃないかって、だからこそ堂々とすべきなんじゃないかなあ」


「そんなんあーしらの勝手だろ。メシぐらい好きな場所で食わせろよ」

「市川さん……君、さっきからうるさいよ。ヨガマットあるからって余裕ぶってるんじゃないかなあ」

(まずい!)


「先生、私語の許可を求めたの俺っす。彼女はそれありきでリアクションしてるだけなんで!」

 佐藤は必死になって叫んだ。


「そうかあ、じゃあ君に責任があるわけだね。そこの大きいバッグ背負ってきた、えーと斎藤君、それちょっと貸して」


 そういってぱんぱんに膨らんだボックスバッグを背負った1人から城戸がバッグを預かる。そのバッグをそのまま、佐藤の背に乗せた。


 重みで背筋が弓なりにくぼみそうになるのをどうにかこらえる。


(なに入ってんだ、今どき紙の英和辞書か? まさかノートパソコンとかじゃねえだろうな)


「りゅーくん、大丈夫?」

「うん、スミ、悪い、我慢してくれ、頼む」

「うん、こっちこそ、ごめん」


「……美しいねえ、若い2人が互いを想い合ってるわけだ。皆、もしも高校生活中に恋愛をするなら相手はよく選ぶように。特に若いうちの交際の経験は、後々の男女観に大きな影響を及ぼす。間違っても相手を自分の欲望を満たすだけの対象として扱ったり、恋愛願望だけで交際を始めたりしないことだ。欲望に打ち勝ち、敬意をもって相手を尊重する、それが大事だ」


 城戸は饒舌に煽るようにそう言った。


(クソが! 綺麗事言いやがって!)


「斎藤くん、ところでこのカバン随分重いけど何入れてきたのかな?」


「あ、はい……帰りの電車が爆撃とかで止まっちゃった時に備えて、歩いて帰る用の履き慣れた靴と弁当は多めに、あと1リットルの水を、体力面での登校の練習のつもりで中学の頃の教科書類も入ってます」

「なるほど、準備がいいねえ。まさに『備えよ常に』だ」


 ヒトに負荷をかけながら、完全に他人事のような悠長なやりとりをしている。


(クッソ、日中はコンビニ開いてるんだから水くらい買えるだろ! 1リットルもいらねえ! これが部活の後輩だったら、尻にボールぶつけるくらいのことはしてやるのに!)

 そう思いながら佐藤は歯を食いしばった。


 ちなみに今の首都西部の雇用状況において、いわゆる外国人留学生や労働実習生は存在しない。

 かつて介護福祉や製造業、三次産業、配送センターや肉体労働の労働力を担っていた彼らは、戦時下に入って、戦災に巻き込まれるリスクから自国へ避難している。

 コンビニが日中しか営業していないのも、その労働力の補填を地域の定年退職した高齢者や主婦、大学生などが担っており、彼らの生活サイクルの都合から夜間の営業ができなくなっているためだ。


(いま抵抗したらマイナ・スコアの進学内申評価値に影響する。それだけは避けないと)


 佐藤の志望進路は大学の管理栄養学科だ。自分の体格と才能ではプロスポーツで食べていくことはできない。だがアスリート栄養学方面からならスポーツの現場で働くことはできるし、仮にそれが叶わなくても管理栄養士なら勤め先はいくらでも可能性がある。


 万が一、戦況が悪化して徴兵され、戦地に送られたとしても前線の兵士としてではなく経歴から炊事などの後方部隊に回されて、生きて帰れる可能性も期待できる。大学自体は首都内ならどこでもいいが、できれば控除額の多い枠での推薦で入りたい。それには内申評価値で悪印象は残せない。


「次の子――」

 城戸と新設学科の生徒達のは続いた。

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