陽窓

糸三思音

ここにいるよ

 十歳になる木元俊照きのもととしてるは母の帰りを待ってアパートの居間の床に座り、ボーっと宙を見ていた。側の座卓の上には算数のドリルとペンが置かれていたが、散らかりようはなかなかのもので、勉強に集中する事の難しさは、彼の感じる夜の闇、人の気配の消えた静けさの中、より一層不安にした。俊照は、自分の足を床に伸ばして「はぁ」と息を吐き出す。窓から見える灯りは遠くの街灯。小さな光がポツリポツリと蛍のように光を放ち、親子の蛍が二匹そこで止まっているみたいだと、俊照はまん丸の可愛らしい目を一点に集中させた。

 数分後、帰宅した母の楓が玄関を開けて、買い物袋を持って「ただいま」と部屋の中へ入った。

 買い物袋を見た俊照は、楓の方へ駆け出し楽しそうに声を弾ませた。

「ママ!何買ってきたの」

 楓は袋を居間の床にドサッと置くと、少し息を切らして脱力していた。

「お菓子とジュースも。本当今日は人多くってビックリしたわ」

 今夜のスーパーは特売日で普段とも客の流れ方が違ったが、楓は半額でお目当てのものが手に入った。

 その結果、得はしたもののレジ待ちの大行列もその心身を消耗させた。

「ママ。ありがとう、大事にたべるよ」

 一人息子をシングルマザーとして抱える楓は半年前、元夫の大橋耕助おおはしこうすけと離婚した後、俊照を引き取り二人でアパート暮らしを始めた。

 離婚するという大きな打撃は勿論俊照の記憶にも深い傷跡を残し、一筋縄ではいかない世の中の理不尽さを小さな身体に背負った末、夜ごとに甘えは酷く、お菓子やテレビを安定の薬として必死に嵐の大平原を越えようとしていた。今夜は、テレビは真暗だが机にあるドリルも二問ばかりに記入があるのみだ。

 内心、勉強なんかクソくらえだと楓自身も学生の頃に何回も思った事があった。しかも、俊照は学校には籍はあるが、実際には三ヶ月既に通っておらず、不登校だった。

 それでも、彼が懸命に独学で勉強しようともがいていて、学校には行けないが近くの図書館で本を読む等、積極的に外界との接点をとろうと行動した。楓の献身的な支えと共にこの社会の地域コミュニティの使い方で何とか俊照は光を見出していた。そして、彼の事を甘やかすのも時には全力で許した。それを享受し、未来に羽ばたく勇気がその子にはあるのだ。

「としくん、今日お風呂入れそう?」

「ううん……。だって、もう疲れちゃった」

 俊照もなるべくは湯船にとは思っていたがそうはいかない。どうしても入れない日が多いのが離婚当初はザラで、もうこの子は弱ってしまう、このままでは駄目になってしまうと不安に苛まれる日々であった。

 だが、最近はまたお風呂に入れる日も、食欲のある元気な日も大分多くなり楓はやっと前の生活を取り戻していると感じていた。


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