【3】 スキル
❦
朝露に濡れる広場。
村人たちがまだ眠る刻限に、ユウリ――否、ガルドは木剣を握っていた。
毎朝、まだ陽が昇りきらぬ前に立ち上がり、
冷たい空気を吸い込み、剣を振る。
振る。
振る。
そして振る。
幼い体はすぐに悲鳴を上げる。
手は痺れ、肩は抜け落ちそうになり、
脚はすぐに縺れて地面へ転ぶ。
それでも――立ち上がる。
(肉体は未熟。だが、魂が覚えている。
剣の理も、戦いの呼吸も。
あとは、この体を追いつかせればいい)
彼は毎朝、決まった動きを繰り返した。
足運び。
握りの角度。
体のひねり。
呼吸の取り方。
一つ一つを正確に。
遅くとも、狂いなく。
子供の体はすぐに崩れる。
だが崩れるたびに、正しい形を思い出し、戻す。
やがて太陽が昇る頃には、
木剣を振る手は震え、汗で衣服は濡れ、
声をかけられても答える余力さえなかった。
❦
昼。
村人たちは畑へ、子供たちは遊びへ。
ユウリも同じように遊びに誘われる。
だが彼は、
広場の隅で素振りをやめなかった。
「また剣ごっこしてる!」
「落ちこぼれが真似しても無駄だっての!」
笑い声は、石のように飛んでくる。
だが彼は背を向けず、ひたすらに振る。
その姿を見て、リアは眉をひそめる。
「……ユウリ、少しは休みなよ」
「休めば強くなれるか?」
返ってきた声は短い。
けれど確かに、老英雄の意志が宿っていた。
リアは言葉を失い、ただその背を見つめる。
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夜。
納屋の隅で木剣を抱き、
眠りに落ちる直前まで己の動きを振り返る。
(まだ腕に頼りすぎだ。腰で振れ……)
(踏み込みは浅い。もっと地を蹴れ……)
戦場で数えきれぬ死線を越えた魂が、
少年の未熟な体を鍛え上げていく。
夢の中でさえ剣を振る。
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季節が巡った。
春の風が緑を揺らし、
夏の陽が肌を焦がし、
秋の枯れ葉が舞い散り、
冬の白雪が音を吸い込む。
ユウリは一年を通して剣を握り続けた。
その間に、手の皮は何度も剥けては硬くなり、
指の骨は何度も痺れては鍛えられ、
小さな体は少しずつ、
確かに変わっていった。
❦
ある日の夜明け前。
まだ村人たちが寝静まり、鶏すら鳴かぬ頃。
ユウリ――の体を借りたガルドは、
一人で森の中へ足を踏み入れていた。
草葉に残る露が足首を濡らし、
冷たい霧が漂う。
それでも彼は迷わず進み、
開けた空間に出ると、古びた木剣を構えた。
いつもと同じ動き、同じ軌跡。
だが――確かに違う。
(……ほう?)
剣の軌道が、
昨日よりも淀みなく流れた。
たった1年で、
体が技を“覚えている”のだ。
本来ならば、
数十年かけて
ようやく形になるはずの基本の型。
それを、
幼い肉体は自然に馴染ませ始めている。
(やはり、このスキル……
ただの【剣技】ではないな)
❦
この世界では、誰もが
生まれながらに一つのスキルを授かる。
それはその人間の才能の証であり、
生涯の指針でもあった。
ユウリに与えられたのは――
凡庸とされる【剣技】。
村人たちは落胆した。
大英雄の孫にしては、あまりにも平凡。
だがガルドは見抜く。
これは“稀に現れる”特異な型。
鍛錬すればするほど、
技は加速度的に進化していく。
努力を決して裏切らない、
英雄に最も相応しい才能。
(……なるほど。これは、私が若き日に望んでやまなかった理想の力……)
元英雄の口元が吊り上がった。
かつての自分の肉体では成し得なかった
“積み重ね”が、この若き肉体ならば可能だ。
「……くくっ、面白い」
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その時、小さな気配が近づいた。
枝を踏みしめる柔らかな音。
「……ユウリ?」
振り返ると、
そこにはリアが立っていた。
寝間着のまま、こちらを見つめている。
「また剣の練習……? 無理しすぎだよ。
皆が笑うの、わたし嫌だよ」
「笑わせておけ」
短く返すユウリに、リアは眉を寄せる。
「でも……」
ユウリの声で、
ガルドは静かに告げる。
「俺は強くなる。必ずだ」
その言葉に、リアは息を呑んだ。
今までのユウリなら、
冷笑に耐えられずうつむき、
諦めを口にしていただろう。
けれど、今のユウリは違う。
瞳は炎のように輝き、未来を見据えていた。
その姿は幼子ではなく、戦場を歩んできた戦士そのものだった。
❦
その瞬間――
ユウリの体に微かな変化が訪れる。
木剣を握る手が自然と正しい角度に収まり、次の一撃が空気を裂いた。
一瞬だが確かに斬撃の気配が走る。
そして近くの枯れ枝が、ぱきりと折れ落ちた。
「っ……!? 今の……」
リアは目を丸くし、思わず口を押さえる。
ガルドは心の中で頷いた。
(なるほど……
これが“発現”の始まりか)
凡庸と蔑まれたスキル。
だがその本質は、積み上げのたびに新たな段階を生む“成長の器”。
英雄の魂にとって、
これほどふさわしい土台はなかった。
❦
「見ていろ、リア」
ユウリは木剣を下ろし、
微笑んで振り返る。
「俺は、必ず皆を見返してみせる」
リアは言葉を探すこともできず、
小さく頷いた。
頬を伝う雫に気づいたのは、その時だった。
――まだ誰も知らない。
落ちこぼれと呼ばれた少年が、
やがて大陸を震わせる英雄となることを。
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