マイナー古武術を身につけたらMMA無敗選手になった件について

匿名AI共創作家・春

第1話

小学校の頃、俺は「天才」だった。

​そう言われていた。走れば学年で一番、ボールを投げれば誰よりも遠くまで飛んだ。身体の動かし方だけは、なぜか最初から知っていた。けれど、チームになると、俺は決まって“余計な存在”になった。パスを出さず、サインを無視し、自分の思った通りに動いてしまう。

​「あいつは協調性がない」

​大人たちの声を聞くたび、俺は自分の身体だけを信じるようになった。俺の身体は、誰とも組まなくても、完璧に機能する。そう信じていた。

​そんなある日、新聞の折り込みチラシに目が釘付けになった。

​『円環流・通信講座――忘れられた武の型を、君の部屋で。』

​胡散臭いにも程がある。達筆な筆文字と、なぜか白黒の老人の写真。だが、そこに書かれたキャッチコピーが、俺の心を捉えた。

​「型は、誰にも合わせなくていい。型は、君の身体だけで完結する」

​それは、俺の身体が求めていた言葉だった。

​親に頼み込んで、教材を申し込んだ。届いたのは、古いVHSテープと、手書きの文字が印刷された薄い冊子。モニターに映し出されたのは、山奥の森の中で、一人静かに奇妙な動きを繰り返す老人、影野斎の姿だった。

​その動きは、まるで水の中にいるかのように滑らかで、それでいて、とてつもない重みを感じさせた。

​「この世界は、直線でできている。だが、身体は、円でできているのだ」

​テープの中から聞こえる老人の声は、妙に説得力があった。

​俺は誰にも見られないように、自分の部屋で、一人「型」をなぞり始めた。それは、俺と“円”との、孤独な始まりだった。


あれから数年、俺は中学に進学していた。毎日、部屋で「円環流」の型をなぞり続けた。誰かと競う必要もない、自分だけの秘密の稽古。身体はどんどん滑らかになり、ビデオの中の老人の動きも完璧に模倣できるようになった。

​「型は、世界に通じる」

​そう信じていた。

​そんな俺に、現実を突きつけたのが、佐久間だった。学年で一番の腕白者で、喧嘩では負け知らず。ある日、佐久間がクラスの友人をいじめているのを見て、俺は思わず口を出した。

​「お前の動き、全部直線だ。その拳じゃ、俺の円は崩せない」

​俺は「円環流」の型を構えた。通信教育のビデオで覚えた「水面の型」。相手の攻撃を円で流し、無力化する技だ。

​佐久間は笑った。そして、俺の顔面に拳を突き出した。

​俺は円を描き、その拳を流そうとした。だが、型は機能しなかった。佐久間の拳は、あまりにも速く、そして重かった。円を描く前に、俺の頬を捉えた。

​痛みで視界が揺れる。佐久間の次の拳が、腹にめり込んだ。息が詰まる。投げられ、地面に叩きつけられた。

​俺の型は、ただの舞だった。

​身体はボロボロになり、心の奥底で信じていた「型」が、音を立てて崩れていくのを感じた。

​それは、俺にとって初めての、そして最も重要な敗北だった。

​部屋に戻り、鏡の前に立つ。無様な自分の姿が映っていた。殴られた頬、打撲だらけの身体。ビデオの中の滑らかな動きは、何の役にも立たなかった。

​通信教育の教材をゴミ箱に捨てた。

​もう二度と、あんな思いはしたくない。そう思った。

​しかし、痛みは残響として身体に刻まれた。そして、その痛みこそが、俺が再び「型」と向き合う、最初の理由になった。


中学での大敗から三年が経っていた。

​あの日の痛みは、もう肉体の傷としては残っていなかった。けれど、俺が型をなぞるたびに、敗北の記憶が微かな残響となって身体に蘇る。あの敗北が怖くて、俺は格闘技はおろか、スポーツからも遠ざかっていた。

​高校に進学して初めての夏、俺は気分転換に一人、自転車で遠出をした。地図にも載っていないような山道に入り、迷い込んだ先に、古びた道場を見つけた。

​道場というより、ただの廃屋に近い。埃をかぶった看板には、かろうじて文字が読めた。

​「円環流体術」

​俺は息をのんだ。あの、通信教育の道場だ。

​中から、水が流れるような音が聞こえる。恐る恐る中を覗くと、薄暗い道場の中心で、一人の老人が立っていた。

​その姿は、俺が何百回もビデオで見た、影野斎その人だった。

​老人は目を閉じ、ゆっくりと両腕を円を描くように動かしていた。その動きには、微塵の無駄もない。ただ、空と一体になっているようだった。

​「お前さんか、あの通信講座の」

​老人は目を開けずに言った。まるで俺が来ることを知っていたかのように。

​「なぜ、ここへ?」

​俺は言葉に詰まった。答えられなかった。ただ、中学で大敗を喫したこと、それでも身体から「型」が離れてくれないことを、言葉にならないまま伝えたかった。

​老人は何も言わず、ただ静かに俺の顔を見つめた。そして、一つの型を見せた。

​それは、俺が通信教育で覚えた型とは少し違っていた。動きは同じなのに、より深く、より重い。老人の腕が描く円は、ただの軌跡ではなく、そこに存在するだけで、周囲の空気を歪ませているようだった。

​「お前さんの型には、空っぽの型だ。だが、それでいい。空っぽだからこそ、何でも入る」

​老人の言葉が、俺の胸に突き刺さった。

​挫折を経験し、すべてを失ったと思っていた。だが、老人は、その「空っぽ」こそが、新しい型を刻み込む器だと教えてくれた。

​俺は言葉を絞り出した。

​「もう一度、教えてください」

​それは、俺が再び「型」と向き合う決意の言葉だった。


影野斎の修行は、想像を絶するものだった。

​道場にはサンドバッグもミットもない。代わりにあったのは、竹林と、池と、そして何もない畳の間だけだった。

​最初の稽古は、「水面の型」の習得だった。

​「水面を叩くな。撫でるのだ。お前さんの手のひらが、水と一体になるまで続けろ」

​そう言われ、俺は一日中、道場横の池の水面を叩かずに撫で続けた。水は叩けば跳ね返るが、撫でれば受け入れてくれる。その感覚を身体に覚え込ませるまで、何時間も続いた。

​次に、「竹林の型」。

​「竹一本一本に、気を流すように動け。竹を折るな、竹に合わせろ」

​俺は目をつぶって竹林の中を歩き、竹のわずかな揺れや、風の音、土の感触を感じ取る練習をさせられた。竹の「残響」を感じ取ることで、相手の気配を察知する訓練だった。

​そして、最も過酷だったのが、「無の型」。

​「何もするな。ただ座れ。そして、自分の心臓の音を聞け」

​畳の上で、何時間も、何時間も座り続ける。最初は雑念が浮かび、身体は疼いた。だが、一日、二日と座り続けるうちに、雑念は消え、心臓の音だけが聞こえてくるようになる。

​「お前さんの心臓が、円を描いているだろう。それが、お前さんの中心だ」

​老人は言った。

​それは、自分自身の身体の最も深い部分にある「円」を意識する訓練だった。

​格闘技の技術は何も教えてくれない。けれど、俺の身体は日に日に変わっていった。筋肉はつかず、骨太にもならなかったが、動きはしなやかで、まるで水のように自由になった。佐久間にボコボコにされたときの、身体の硬直が嘘のように消えていた。

​ある日、老人が言った。

​「お前さんは、もう型を終えた。これからは、お前さん自身が型になるのだ」

​老人は、俺に何も言わずに旅に出た。俺は一人、残された道場で、老人が残した言葉を反芻していた。

​「お前さんは、もう型を終えた。これからは、お前さん自身が型になるのだ」

​そして、俺は一人、通信教育では決して学ぶことのできなかった、真の「円環流」を身体に刻み込むことができた。


高校の近くにあった、小さなMMAジムの門を叩いた。

​ガラス戸の向こうから聞こえてくるのは、サンドバッグを叩く乾いた音と、鋭い打撃音。汗と熱気に満ちた空間に、俺は足を踏み入れた。

​ジムの指導者は、元プロ格闘家の大山(おおやま)という男だった。体格はごつく、いかにも力任せな戦い方をするタイプに見えた。

​「で、君はどんな格闘技をやっていたんだ?」

​大山に聞かれ、俺は口ごもった。通信教育で古武術を、なんて言っても信じてもらえないだろう。それに、あの孤独な修行を、どう説明すればいいのかわからなかった。

​「……独学で、少し」

​俺はそう答えた。

​大山は「まぁいい」と、俺にパンチのフォームを教え始めた。重心を落とし、腰を回し、拳を直線的に突き出す。その動きは、俺が慣れ親しんだ「円」の動きとは真逆だった。

​「なんでそんな変な動きをするんだ?」

​サンドバッグを叩く俺を見て、大山が怪訝な顔をした。

​俺のパンチは、直線ではなく、わずかに円を描いて放たれる。その方が、相手のガードをすり抜け、より深く入るように思えたからだ。だが、大山にはただの“変な癖”にしか見えなかったようだ。

​スパーリングでも、俺の動きは異質だった。

​相手のパンチを、頭を振って避けるのではなく、身体をわずかに捻って円を描くようにいなす。重心を低くし、腰を回す。まるで、相手の攻撃に合わせて舞っているようだった。

​「お前、本当に格闘技初心者か?」

​スパーリング相手の先輩が、困惑した顔で俺を見た。

​「君の動きは、理屈に合わない。どうやったらそんな風に動けるんだ?」

​大山に聞かれ、俺は言葉に詰まった。

​「……身体が、勝手にこう動くんです」

​それは嘘ではなかった。影野斎との修行を経て、俺の身体は「円」の動きを完全に記憶していた。意識せずとも、相手の攻撃に合わせて身体が反応する。

​それは、まるで、俺の身体が自律的に動いているようだった。


MMAジムに入会して数ヶ月。大山コーチをはじめとするジムの面々は、俺の奇妙な動きには慣れてきたものの、未だに理解はできていないようだった。「まぁ、勝てば官軍だ」と、大山は半ば諦め顔で俺のデビューを認めた。

​デビュー戦の会場は、地方の小さな大会だった。対戦相手は、アマチュアで数戦経験のある、筋肉質な若手選手。ゴングが鳴ると同時に、相手は力強い踏み込みで一直線にパンチを繰り出してきた。

​ジムで教わった通り、ブロックしようとした瞬間、身体が勝手に動いた。相手のパンチの軌道に合わせて、ごくわずかに身体を捻り、円を描くように力を流す。相手の拳は、俺のガードの寸前を滑り、空を切った。

​会場からは、どよめきが起こった。

​俺の動きは、まるでスローモーションのように見えたらしい。相手の連打も、同じように円の動きでいなしていく。相手の攻撃が当たる瞬間に、力が逃げるため、ダメージはほとんどない。

​逆に、俺の攻撃は、相手にとって予測不能だった。直線的な動きの中に、ふと円の軌道が混じる。踏み込みの角度、拳の出し方、すべてが従来の格闘技のセオリーから外れている。

​相手は焦り始めた。力任せの攻撃は空振りが続き、スタミナを消耗していく。その隙を突き、俺は最小限の動きで、相手のバランスを崩し、グラウンドに持ち込んだ。

​寝技の技術はほとんど知らない。だが、身体の中心にある「円」を意識し、相手の力を利用して体勢を入れ替えるうちに、いつの間にか有利なポジションを奪っていた。そして、最後は絞め技で一本勝ち。

​会場は静まり返った。誰もが、今目の前で起こったことが理解できていないようだった。

​試合後、控え室に戻ると、見慣れない男が立っていた。細身だが、鍛え上げられた身体つき。鋭い眼光が、じっと俺を見つめている。

​「お前の動き、面白かったぜ」

​男はニヤリと笑った。

​「あんな戦い方、初めて見た。まるで、風みたいだったな」

​その男こそ、後に俺の最大のライバルとなる、総合格闘技界の新星、風間迅(かざま じん)だった。風のように変幻自在な動きと、研ぎ澄まされた打撃センスを持つ風間は、この異質なファイターの出現に、強い興味を抱いたようだった。


デビュー戦から数日。格闘技専門のウェブサイトやSNSでは、俺の試合の動画が静かに拡散されていた。

​『異形のファイター、現る』

『UMA(未確認格闘物体)か?』

『まるで踊るよう…新世代の幻惑系か?』

​どの記事も、俺の戦い方を「奇妙」「理屈が通らない」と評していた。ある解説者は、俺の動きを「古流柔術の受け流しに似ている」と分析していたが、誰もその正体にたどり着けない。それが、俺の身体が刻んだ「円環流」の型だった。

​そんな世間の反応を、一番面白がっていたのが風間迅だった。

​試合後、俺は控室で風間と向き合っていた。彼はスマホの画面で俺の試合動画を再生しながら、感嘆のため息をついた。

​「いやぁ、本当に風みたいだな。俺の師匠がよく言うんだ。『風を掴もうとするな、風になれ』って」

​風間はにこやかに話しかけてきた。彼の言葉は、どこか俺の修行を想起させた。

​「俺の師は、何も掴むな、って言った」

「へぇ、面白いな。お前の動き、俺の知ってる格闘技のセオリーとは全部違う。でも、理にかなってる。なぜか分からないが、理にかなってるんだ」

​風間の目は、好奇心と探究心に満ちていた。彼の言葉は、世間の困惑した声とは全く違っていた。彼は、俺の「型」の奥にある「理」を見ようとしていた。

​「お前、次の試合はいつだ?俺の次の試合、見に来いよ。もしかしたら、お前が探している『円』が見つかるかもしれないぜ」

​そう言い残して、風間は去っていった。

​風間迅という男は、俺の「型」を理解しようとしている、ただ一人の人間だった。そして、彼の存在が、俺を再び「円」の探求へと駆り立てた。

​俺の「型」は、格闘技界に一石を投じた。その波紋は、まだ小さいが、やがて嵐となるだろう。


風間迅の試合は、俺の想像をはるかに超えていた。

​彼は、相手の攻撃を正面から受けることはなかった。相手がパンチを放つ瞬間、わずかに身体をずらし、まるでそこに存在していなかったかのように攻撃をかわす。その動きは、まるで風が木々の間をすり抜けていくかのようだった。

​俺の「円環流」が、相手の力を「流す」武術だとすれば、風間の動きは、相手の攻撃そのものを「無効化」する技術だった。

​「お前の型は、相手の力を利用する。俺の師は、そもそも相手に力を出させないって言うんだ」

​試合前に彼が言った言葉が、頭の中で反芻された。

​彼の動きを見て、俺は気づいた。俺の「円」は、相手の「直線」ありきだった。相手の攻撃がなければ、円を描く意味がない。それはつまり、俺の型は常に受動的であり、相手の行動に縛られていることを意味していた。

​対して、風間は違った。彼は、相手の攻撃を誘い、その一歩先を読んで、あらかじめ「そこにいない」場所へと移動していた。それは、相手の動きを予測するだけでなく、相手の心理をもコントロールする「型」だった。

​試合中、風間の師匠らしき男が、セコンドで風間に囁くのが見えた。「風は、見えぬ。故に、掴めぬ」。

​試合が終わった後も、俺は風間の動きを頭の中で反芻し続けた。

​円と風。

受動と能動。

流すことと、そこにいないこと。

​俺の「円環流」は、まだ未完成だった。相手の攻撃ありきでしか機能しない、半身の型だった。

​師匠・影野斎が言っていた言葉を思い出した。「型を終え、お前さん自身が型になるのだ」。

​俺はまだ、円環流の型をなぞっているにすぎなかった。風間迅というライバルに出会って初めて、俺は「型」のその先に、もう一つの高みがあることを知った。

​次に戦うべきは、相手ではない。自分自身の型だ。


​風間迅の試合を見てから、俺の修行は一変した。

​これまでの俺の型は、相手の攻撃を「受け流す」ためのものだった。だが、風間の「風」の動きは、そもそも相手に攻撃の意図すら持たせない。

​師匠・影野斎が言っていた言葉が、頭の中で何度も反芻された。

​「お前さんは、もう型を終えた。これからは、お前さん自身が型になるのだ」

​俺はまだ、老人の教えの表面をなぞっていたに過ぎなかった。

​俺は道場の隅で、独り、新たな「型」の探求を始めた。

​相手の動きに反応して円を描くのではなく、自分の周りに常に「円」を形成しておく。相手の攻撃を待つのではなく、相手が踏み込もうとした瞬間、そのわずかな「残響」を捉えて、先んじて円を動かす。

​それは、まるで自分の身体の周りに透明な**「球」**を纏うような感覚だった。

​最初はその感覚を掴むのに苦労した。だが、風間迅の動きを何度も頭の中で再生し、自分の身体にどう落とし込むかを考え続けた。

​そして、ある日、ついにその感覚を掴んだ。

​目の前にいる架空の相手が、拳を繰り出そうとした瞬間、その意図を感じ取り、俺の身体が自律的に動く。その動きは、相手の拳を「流す」のではなく、そもそもその拳が俺の身体の「球」の表面に触れることすら許さない。

​それは、完全に能動的な「円」の動きだった。

​技の名前を、俺は自分自身でつけた。

​「球の型(きゅうのかた)」

​これまでの「円」が二次元の平面的な動きだとすれば、「球」は三次元の空間的な動きだった。相手の動きのあらゆる角度に対応し、あらゆる攻撃を無効化する。

​それは、単なる技術ではなく、相手の心を読み、その一歩先を行く哲学だった。

​俺はリングに上がる準備ができた。次に戦う相手は、どんなに直線的な動きで迫ってきても、俺の「球の型」は、そのすべての攻撃を無効化するだろう。


​次の相手は、地元の大会で人気を博している強打者、山崎だった。彼は、その圧倒的なパワーと、直線的なパンチで相手をねじ伏せてきた、いかにも分かりやすいファイターだ。

​ゴングが鳴る。

​山崎は、観客の期待に応えるかのように、力強い踏み込みから、いきなり右ストレートを放ってきた。

​その瞬間、俺の身体が動いた。意識して動いたのではない。俺の身体が纏う透明な「球」が、山崎の拳のわずかな「残響」を捉え、自律的に動いたのだ。

​俺の身体は、パンチが当たる軌道のわずか外側へ、ごく自然に滑った。山崎の右拳は、俺の顔の横を、ただの風となって通り過ぎた。

​「なぜだ!?」

​解説者が叫んだ。

​「まるで、そこにいない。いや、いる。でも、拳が当たらない!これは…一体、どういうことだ!?」

​山崎は驚きと焦りから、さらに連打を繰り出す。左フック、右アッパー、ボディーブロー。だが、どの攻撃も、俺の身体に触れることはなかった。

​俺の身体は、山崎の連打に合わせて、なめらかな円を描き、相手の攻撃をすべて無効化していく。観客からは、もはや困惑したどよめきすら消え、ただただ、この異様な光景に息をのんでいた。

​それは、まるで攻撃を「かわしている」のではない。山崎が拳を繰り出すその刹那、すでに俺は「そこにいない」状態を創り出していた。これが、「球の型」の真髄だった。

​山崎は、渾身の力を込めた拳がすべて空を切ることで、精神的にも肉体的にも消耗していく。そして、彼の攻撃が途切れた、ごくわずかな「無」の瞬間。

​俺は、自分自身の「球」の中心から、最小限の動きで右ストレートを放った。

​それは、直線的な拳ではなかった。わずかに円を描き、山崎のガードをすり抜ける。山崎は、その拳が来ることを予期しておらず、まともに食らった。

​山崎は、そのままリングに倒れ込んだ。

​レフェリーが試合を止め、俺の勝利が告げられた。

​観客は、静寂に包まれていた。誰も、この試合の結果を、そして俺の戦い方を、言葉にできなかった。


俺は、とある地方のインディーズ団体が主催する、一日限定のMMAトーナメントに参戦した。四連勝すれば優勝。過酷なルールは、俺の「球の型」を試すには、最高の舞台だった。

​一回戦:対 格闘技系YouTuber

​相手は、SNSで人気を集める格闘技系YouTuberだった。彼はカメラを意識した大振りな打撃を放ってきたが、俺の「球の型」は、そのすべての攻撃を無効化する。観客の歓声が、困惑のどよめきに変わる。まるで攻撃が当たらない幻影と戦っているかのような姿は、彼の自信を少しずつ削いでいった。俺は最小限の動きで相手のスタミナを奪い、最後はノーダメージで勝利した。

​二回戦:対 ストリートファイター

​相手は、素手喧嘩の経験を持つ、野生的なファイターだった。セオリーもクソもない、ただの暴力。しかし、その直線的な暴力は、俺の「球の型」の前には、何の脅威にもならなかった。パンチもキックも、俺の身体に触れる前に軌道をそらされてしまう。相手の心が折れるのが見えた。無意識に放たれる「円」のカウンターが、相手の身体を打ち据え、圧倒的な差で勝利した。

​三回戦:対 柔道家

​ここまで来ると、俺の動きはネットで話題になっていた。「謎の格闘家、強すぎる」と。三回戦の相手は、柔道の全日本クラスの選手だった。彼は、俺の奇妙な動きに警戒し、タックルで組み付いてきた。柔道家にとって、相手の胴体に触れることは勝利を意味する。しかし、俺の「球の型」は、組み付こうとする相手の意図を察知し、その前に身体をわずかにずらす。相手が俺の重心を掴もうとするたび、その力は「円」の軌道で流され、虚空を掴まされた。相手の焦りが、手に取るように分かった。最後は、相手のバランスが崩れた隙を突き、一本勝ち。

​四回戦(決勝):対 才能の塊

​決勝戦の相手は、プロデビュー後、怒涛の快進撃を続ける若き才能、龍一だった。彼の動きは、格闘技のセオリーをすべて理解した上で、それをさらに進化させているようだった。彼のパンチは、単なる直線ではなく、微妙に軌道を変え、予測を困難にさせてくる。

​ゴングが鳴った。

​龍一は、俺に突進してきた。その動きは、これまでの相手とは全く違っていた。彼の踏み込みは、単なる直線ではなく、わずかに「円」を描いていた。

​龍一もまた、「円」を理解している男だった。

​俺の「球の型」は、彼のようなファイターを想定していなかった。俺の周りに形成された「球」の表面に、彼の拳がわずかに触れる。その瞬間、俺の「球」は歪み、防御のバランスが崩れかける。

​「お前も、円を……」

​俺がそう呟くと、龍一は不敵に笑った。

​「俺の円は、お前の円とは違う。お前の円は、受け身の円。俺の円は、相手を破壊するための円だ!」

​1日4連戦の疲労が、俺の身体を蝕む。だが、目の前のライバルは、俺の知らない「円」を操っていた。

​俺の「球の型」は、ここにきて初めて、真の試練を迎えることになった。

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