第3話 金と引き換えに信頼を裏切った代償
村木兄さんは答えた。
「そういえば、アダムとイブの時代から、イブはアダムのあばら骨の一部からつくられたものなあ。
だから男性はリーダーシップをとるのが当たり前だし、額に汗して働くのも男性の特権である。
また男性は女性のフェイスでも頭脳でもなく、心根に惚れるんだよ」
千尋は納得したついでに、村木兄さんに聞いてみた。
「そうだね。ホストは芸人のように舞台に立って、ぺらぺらしゃべるといったものではないんだ。
あくまでも隣について、相手の話を聞くんだ。
女性客がこの人ならなんでも話せることができる、毎日顔を合わせる家族や職場と違い、その場限りの通りすがりのホストだから、自分の秘密も話すことができるという環境をつくってやれるのがホストだよ」
千尋は尋ねた。
「秘密というと、公けにはできない悪事も含まれてそうね。
たとえば、信用してくれている人を裏切ったとか」
村木兄さんは答えた。
「ビンゴ、その通り。
だって僕に最初についた女性客はまさにその典型だったよ。
祇園出身の三十歳くらいの、将棋の駒ほどもあるヒスイの指輪をした銀座クラブママだった。
「そうどすえ」とか「そうしまっしゃろ。これでよろしおすやろ」とか「ようお言いやすわ」などという京都の芸者言葉を聞いたときは、どう対処したらいいか冷や汗がでたよ。
しかし、彼女も可愛そうな人なんだ。
男性にあやつられ、平気でクラブママに嘘をついて友達を演じ、客を吸い取ってしまうことを、幾度もやらされていたというよ」
千尋は、目を丸くして答えた。
「いくら男性からの命令とはいえ、友達の演技をして銀座クラブママに近づき、自分を信じてくれていた女友達を平気で裏切り、客をみな吸い取ってしまう。
巧妙なやり口だけど、それで商売敵に勝ったとでも思っているのかしらね。
裏切られるよりも、裏切った方がつらいと言う言葉を聞いたことがあるわ。
だって、赤ん坊が母親を慕うように、自分を無条件で信じてくれた人を裏切ったあと、得られるものは金かもしれないが、孤独の檻のなかに閉じ込められたようなものだというわ。
金と引き換えに、良心を売ってしまったのね。この代償は高くつきそうね」
村木兄さんは、うなづきながら言った。
「そういえば、五年昔バイト先でそういう奴いたなあ。
面倒見のいい優しい先輩のふりをして、後輩を教えた挙句、陰ではこっそり雇われ店長に悪口を言ってた奴、実はオレもその先輩と接してたんだ。
だから、陰では店長に悪口を言われていると知ったときは、ショックだったよ。
ただし、その先輩は当時28歳だったけど、ファンデーションとローズ口紅を塗り、いつも綺麗に化粧をしてくる人だったんだ」
千尋はびっくりした。
「要するにニューハーフ、おねえ系統ね。
いや、その当時はおねえという言葉もなくて、モデル体型のニューハーフが多かったわね。少しでも女性らしく、いや女性以上にきれいにみせようとして、整形手術をしていた人もいたくらいよ。
ときおり深夜番組やDVDに出演していたわね。要するにキワモノ扱いだった。
それに比べて今のおねえは、でっぷりと太った体格でダボダボのワンピースを着て、食レポートやゴールデンタイムに堂々と主演しているわ。
おねえもすっかり市民権を得たものね」
村木兄さんは答えた。
「今思えば、あの先輩は仕事を教えることで、後輩を味方につけようとしてたに違いない。なのに、陰では雇われ店長に
「昨日のメンバー誰でした? ワオー最悪のメンバーですね。
あいつあんなこともわからない。クビにすべきですよ」
なんて言われていたときはショックだった。
あいつとはオレのことだけどね。まあ、オレだけじゃなくて他の後輩のこともそんな風に言ってたんだよ」
千尋は、村木兄さんを慰めるように言った。
「要するに裏表が激しいわけね。
しかし、そういう人ほど居場所のない人が多いみたい。
後輩が追いつけ追い越せで、自分はいつクビになるかわからない。
だから、被害妄想も兼ねて店長に後輩の悪口を言うしかなかったんじゃない」
村木兄さんは答えた。
「店長も聞き流しているだけで、本気にしていなかったみたい。
しかしどうせ悪口なら、もっと具体的に言った方が真実味があったんじゃないかなあ。たとえば、何をやらしても遅いとか、あのときこんな失敗をやらかしたとかな。具体的に悪口を言うだけのネタが、なかったんじゃないかな」
千尋は答えた。
「そのローズ口紅先輩はいつ自分がクビになるかもしれないという、不安と焦りから、背水の陣を敷くつもりで、雇われ店長に後輩の悪口を言いまくってたんじゃない。それとも、人に知られてはならないやましさがあったのかもしれない」
村木兄さんは納得したようにうなづいた。
「そういえば、ローズ口紅先輩は、幼少期は恵まれなかったと言ってたな。
大人からは児童虐待を受けてたみたい。
高校は、家から一時間以上もかかる高校に通っていたが、さぼってパチンコをしていたこともあったと言ってたな」
千尋は、思わずうなづいた。
「私の勝手な想像だけど、もしかして、一家離散などで親のない子だったりしてね。
いつも大人な権力者の顔色ばかり伺い、表面ではいい子を演じてたんじゃないかな。高校をサボるのも、プチいじめを受けてたのかもしれない」
村木兄さんは、少々影を落としたような暗い表情になった。
「一度もいじめられたことのない人なんて、いないと思うんだ。
しかし、今はいじめで自殺する時代。
オレが思うには、今の若者の心は戦争間近になりつつあると思うんだ。
ゾンビ煙草などという危険な麻薬が流行りだしてるというな」
私も深くうなづいた。
「戦争中は、ヒロポンという麻薬が流行ったというね。
また女性は、売春を強要されることもあったというわ。
アフターピルである緊急避妊薬「ノルレボ」も、未成年が薬局で買えるようになったということは、もしかしてレイプが増加しているのかもしれない。
そういえば、私の友達もバイト先で、チーフから時間帯は違うが、バイト仲間五人でカラオケに行こうと誘われ、カラオケボックスの前で待ち合わせしていると、なんとやってきたのはチーフ一人だったというわ。
チーフは個室カラオケボックスのなかに、彼女を誘い込もうとしたが、彼女は帰っていったというわ」
村木兄さんは言った。
「危機一髪のところだったな。まあ、店によっては男女交際禁止というところも存在するがね。そのことをチーフは口止めしたんじゃないかな?」
千尋は、戦争中も現代も狙われ、被害にあうのはなぜか女性である。
「バカでは女稼業は務まらぬ」というが、まさにその通りである。
その不安と淋しさを癒しにいくために、ホストにはまるのかもしれない。
千尋は村木に尋ねた。
「入店一か月目にナンバーに入った秘訣ってなんだと思う?」
「そうだね。まず自分からは女性の傷と暗さを伴った話題を口にしないことだな。
妊娠中絶、離婚、DV,セクハラ、セックスすると飽きてくるとかね。
水商売の女性ほど、そういうことに敏感で、男性からその話題を振られるとギクリとするケースが多いんだ。
ちょうど自分にいじめをした人の会合に誘うのと同じだよ」
千尋はうなづきながら、答えた。
「まあ、そういう体験のある人が、水商売に入るというわね。
なかには、レイプされた子もいるし、中絶体験のある子もいるというわ」
村木兄さんは答えた。
「そういった女性が傷を癒しにくる場所がホストクラブだよ。
あるホストの営業は、風俗店にいっても一般客のように風俗嬢を抱かず、ただ話だけを聞いてあげるというよ。
それによって「ああ、この人は一般客と違って、私を大切にしてくれる」と思わせ、信用を勝ち取り、ボトルキープをさせるというよ」
千尋は思わず
「女性の弱みと、心の傷に付け込む商法ね。
まあ、商売というのは弁護士も医者も、人間同志のトラブルや自分では治しようのない心身の傷を抱えた人がいるから、成り立つというけどね。
惣菜屋でも、家庭ではつくれない美味しい料理を提供することで成り立ち、カフェでも非日常空間を味合わせることで、成り立っていくんだけどね」
翌日、村木兄さんは勤め先のホストクラブで、実に意外なシーンに出くわすことになった。
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