第37話 沈黙を断つ一閃

 無音の広間に、数字が浮かんでいた。

 パピルスの体に描かれた墨文字が、光を帯びて宙を舞う。


『3』

『2』

『1』


 蓮は血に濡れた指を床に押し当て、カードに大きく文字を刻んだ。

 リィナも古びた本のページを裂き、そこに記録を叩きつける。

 パピルスは体の紙片を広げ、自らの存在そのものに言葉を浮かび上がらせた。


 三つの意志が同時に重なる。


 沈黙の本体の赤い瞳が光り、白紙の波を広間いっぱいに放つ。

 床に刻んだ文字も、兵士たちの胸に輝く言葉も、すべて塗り潰そうとする。


 だが――その瞬間。


 三者の文字が共鳴した。


『抗え』

『記録を守れ』

『忘れるな』


 それぞれの言葉が光の線となり、広間に交差する。

 やがて三つの光は一本に束ねられ、眩い刃のように形を変えた。


 沈黙の波を切り裂く。

 音はない。

 だが確かに、世界を貫く「叫び」があった。


 兵士たちが声なき声を上げ、光の軍勢が突撃する。

 刃と化した三つの言葉が沈黙の本体を真正面から切り裂いた。


 赤い瞳が大きく揺れ、黒い紙片が爆ぜる。

 無数の背表紙が宙を舞い、白紙だった本に文字が戻り始めた。


「……やった……!」

 蓮は息を荒げながら呟いた。


 だが、体は限界に近かった。

 指先は血で真っ赤に染まり、声を出せば喉から鉄の味が広がる。


 そんな蓮を支えたのは、リィナだった。

 冷徹だったはずの彼女の表情に、わずかな揺らぎが走っている。


「……蓮……お前は本当に、愚か者だ」


「愚か者、か……」蓮は苦笑した。

「でも、俺が愚かじゃなかったら――ここまで来れなかった」


 リィナの青い瞳が揺れ、唇が震える。

 冷たい仮面の奥に、確かに温かな光が宿っていた。


 肩の上で、パピルスが大げさに胸を張った。

「ふふん! ぼくのおかげでもあるよね? 三つ目の言葉、決まってたでしょ!」


「……はいはい、偉い偉い」蓮が苦笑すると、リィナも珍しく小さく笑った。


 そのわずかな笑みが、戦場の静寂をほんの少しだけ和らげた。


 だが、沈黙の本体は完全には消えていなかった。

 切り裂かれた中心からなおも黒い靄が立ち昇り、赤い瞳が一つだけ残っていた。


 それは小さく囁いた――声なき声で。


――終わりではない。

――沈黙は必ず訪れる。


 リィナが本を構え、蓮も再びカードを握りしめた。

 パピルスは肩の上で拳を作り、にやりと笑った。


「さて、残業の延長戦かな?」


 蓮は血で濡れた唇を歪め、静かに頷いた。


「上等だ……最後まで叫んでやる」

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