第36話 三つの言葉

 沈黙の本体が赤い瞳をぎらつかせ、広間全体に白紙の波を広げた。

 本棚が崩れ、背表紙が次々と消えていく。

 声はなく、ただ記録の消滅だけが淡々と進んでいた。


 蓮は血で濡れた指先を握りしめ、カードを床に叩きつけた。

「……やるぞ、リィナ!」


 リィナは静かに頷き、本を構え直した。

 その青い瞳には冷たい光と、確かな決意が宿っていた。


 そして、蓮の肩に乗る小さな紙片の精霊――パピルスが胸を張った。

「ふふん! いよいよぼくの出番だね! これで三人目の戦力、完全無欠のチーム結成!」


「いや、お前戦力っていうか……マスコットだろ」蓮は苦笑する。


「マスコットは必要なんだよ! 士気が上がるんだから!」


 リィナが冷ややかな視線を向ける。

「……くだらない。だが、今は数が必要だ」


「やった! リィナさんから認められた!」


 沈黙の本体が大きく腕を振り下ろす。

 無音の衝撃波が広間を走り、床に刻んだ文字が次々と白紙に変わった。


「……っ! 急げ!」

 蓮は指を走らせ、血でカードに文字を描く。


『立て』


 兵士が現れる。だが、すぐに白紙化の波に呑まれそうになる。


「リィナ!」


 リィナは本を開き、ページをちぎって床に投げた。

 そこには「記録を守れ」と刻まれている。


 二つの言葉が重なった瞬間、兵士の胸に強い光が走る。

 沈黙の波を一瞬押し返した。


「今だ! 三つ目を重ねろ!」


 パピルスが空中を舞い、くるくると回転した。

 体を構成する紙片が広がり、そこに墨のような文字が浮かぶ。


『忘れるな』


 精霊の体そのものが、一つの言葉として刻まれていた。


「……お前、自分で文字書けんのかよ!?」蓮が驚く。


「へへん! これが“パピルス流・生きた記録術”さ!」


 リィナがわずかに眉を上げた。

「……多少は役に立つらしいな」


「多少!? いや、大いに役立つでしょ!」


 三つの言葉が重なり、兵士たちが光に包まれる。

 その声なき存在は、沈黙の本体の赤い瞳を真正面から睨み返した。


――我らは三つの意志。

――忘却に抗う刃。

――沈黙を切り裂く記録!


 光の軍勢が突撃し、沈黙の本体の胸に突き刺さった。

 赤い瞳が大きく揺れ、黒い紙片が剥がれ落ちる。


「効いてる!」蓮が叫ぶ。


 だが、沈黙の本体はすぐに再生を始めた。

 床から新たな紙片を引き寄せ、身体を再構築していく。


「しぶといな……!」


 リィナが低く告げた。

「……三つの言葉を刻むだけでは足りない。さらに“同時に刻む”必要がある」


「同時に……?」蓮が息を呑む。


「私と蓮、そしてパピルス――三者が同時に意志を記せば、沈黙の本体は抗えないはずだ」


「同時って……タイミングずれたらアウトってことだろ……!?」


 パピルスが両手を広げてにやりと笑った。

「ふふん! リズム感なら任せて! ぼくが合図出すから!」


「お前、合図できんのかよ!? 音出ないんだぞ!」


「文字でカウントすればいいんだよ! “3・2・1”って!」

 精霊の体に数字が次々と浮かんでいく。


 沈黙の本体が再び大口を開き、広間全体を白紙に染めようとする。


 蓮はカードを握り、リィナは本を抱え、パピルスは空中で光を放った。


 そして、三つの意志が重なる瞬間を待つ。


「……外したら終わりだぞ……!」蓮が呟く。


 リィナは冷ややかに返した。

「外すな。愚か者」


 パピルスが笑顔で数字を浮かべる。

『3』

『2』

『1』


 三人の手が同時に走った。

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