第23話 深淵の記録庫での戦い

 四方を囲む本棚はすべて黒い靄に覆われていた。

 背表紙はなく、どの本も名前を失い、ただ「忘却」に囚われている。

 ここは、記憶の墓場。


 藤堂蓮は息を荒げ、隣に立つリィナを見た。

 彼女の顔色は青ざめていたが、青い瞳はまだ燃えている。


「ここが……“深淵の記録庫”……」

 リィナの声には震えが混じる。

「影の核が本来支配する場所だ。ここで抗うことは、ほぼ不可能に近い」


「ほぼ、ってことはゼロじゃねぇんだろ?」

 蓮は苦笑しながら索引カードを掲げた。

「だったら残業してでもやるしかねぇ」


 軽口に、リィナは小さく息を吐く。

「愚か者……」


 低い唸りが空間を震わせた。

 巨影が現れたのだ。

 赤い瞳は無数に増え、胸から腹にかけて裂けた巨大な口は、底の見えない闇へと繋がっている。


――ここは我が領域。

――名も声も、この深淵に沈め。


 囁きが空間全体を揺らし、蓮の膝が思わず震えた。

 頭の奥で記憶が削られる感覚が強まる。

 母の声。友人の笑顔。

 そして――ここまで共に歩いたリィナの姿すら霞みかける。


「やめろ……! 俺は……藤堂……」


 声が掻き消されそうになったその時、リィナが彼の腕を掴んだ。

「忘れるな! お前は藤堂蓮! 私を救った男だ!」


 その言葉に、蓮の視界が再び鮮明になる。


 蓮はカードを床に叩きつけ、震える指で文字を描いた。


『名を繋げ』


 光が走り、兵士たちが姿を現す。

 だが深淵の囁きに晒され、兵士たちは立つだけで精一杯だった。


「……声が足りない……!」


 リィナが本を開き、声を刻む。


『記録を守れ』


 兵士の胸が光り、再び咆哮が広間を震わせた。


――我らは声。

――我らは記録。

――忘却には屈しない!


 巨影の赤い瞳がわずかに揺らぐ。

 だがすぐに口を大きく開き、兵士たちを吸い込もうとした。


「やばい……!」

 蓮は叫び、さらに文字を刻む。


『抗え。立ち上がれ』


 兵士たちが再び立ち上がり、剣と槍で巨影に挑む。

 だが、闇の奔流はあまりに強大で、兵士の半数が一瞬で掻き消された。


「ぐっ……!」

 痛みが蓮の胸を貫き、血が喉から込み上げる。

「これ……マジで心臓止まる……!」


「蓮!」リィナが彼を支える。

「ここではお前の声だけでは足りない。……私も、全てを賭ける!」


 リィナは自分の本を胸に押し当て、強く叫んだ。


「私はリィナ! 敗れた司書! だが今度は絶対に忘却に屈しない!」


 その声が広間に響き、蓮の胸に再び火を灯す。


「……なら、俺も賭ける! 俺は藤堂蓮! 全部残してみせる!」


 二人の声が共鳴し、兵士たちが再び立ち上がった。

 光と声が絡み合い、深淵の闇と真正面からぶつかり合う。


 巨影が低く唸り、空間全体が震えた。

 本棚が倒れ、黒いページが吹雪のように舞い散る。


 リィナは唇を噛み、低く囁いた。

「……蓮、ここからが本当の勝負だ」


 蓮は血を吐きながらも笑った。

「いいぜ。ここで残業するなら――最後まで踏ん張る!」


 決戦は、いよいよ核心へと突き進んでいく。

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