未練の短剣(1)
神妙な顔をして、ビクトルが店に現れた。
「ちょっと相談に乗ってくれねえか」
「……そういう依頼か?」
「そうなんだ。けど、これがお前に頼むのがあってるのかわからないから、聞いてくれるのだけでもいい」
「ふうん。……」
まだビクトルは衛兵の制服で、ペチカが来る前の時間だ。
いつぞやのように強制的に巻き込まれるわけではなさそうなので、話だけなら構わないだろう。
「まずは聞こう」
「おお、助かる。今はちょっと持ち場を離れるのが難しいから……悪いが、退勤後に来てもいいか。店も終わってる時間だろうが……」
「かまわない」
「なんか買ってくるから飯にしようってのは?」
「ああ」
「よし。じゃあ、後で頼む。それじゃ……あれ?そういえば、ナンリはどうしたんだ?奥か?」
「ああ、今あの人はいない。修行で山に登ってる」
「山っていうと……」
「スディンだ」
街から歩いて5日ほどかかる。そして、かなり高い。
それでも物足りないと言っていたから、普段はどんな山を相手にしているのか。
もう3日いないが、予定ではあと1週間以上かかる。
ビクトルは感心したようなあきれたような、微妙な顔だ。
「うへえ、あんなところにも行くのか……すごいな。お前もそのうちやるのか?」
「俺はやらなくていい、らしい」
正直助かった。運動はあまり好きじゃない。
「うーん、お前が山に登る姿が全然思いつかねえ」
「ああ、一生なさそうだし」
「ふは、そっか!じゃあ、悪いが頼む」
「ああ」
店を閉めてしばらく待っていると、約束通りビクトルがやってきた。
「よう、お邪魔する」
「ああ……って、量が多いな」
「なに食おうか迷っちまって……腹減ってる時に屋台なんて行くもんじゃねえな」
「……ダイニングに行こう」
表で広げられる量じゃない。
奥に行って、テーブルに買ってきたものを広げる。
……目についたものを片っ端から買ってきたらこうなるという手本だろう。
「で、依頼というのは」
「ん、ああ、……その、物じゃないんだが、おかしなことが起こる場所というか……」
「……それはまた」
マキアには難しい話だ。
顔に出たのか、ビクトルも困った顔をした。
「……やっぱりそういうのって違うのか?」
「いや、俺が力及ばずなだけなんだ。物というのはこういう店だから持ち込まれやすいのであって、一人前なら場所だ物だと選ばない。俺にはノウハウがないだけ、と言ったら分かるか」
「ああ、実践したことがない、とか、そういうことか?」
「それでいい。そして、土地とかになると、物以上に『カミ』が出てくる可能性が高い」
「んーと、強いバージョンみたいな……」
「……間違ってはないが……前の首飾りを何十倍にして、意志を持つというようなものだ」
「うえ……」
「……けど、知って放置するのも、あまり褒められたものじゃないしな……」
「……持ってこなきゃよかったかなあ」
ビクトルは少し申し訳がなさそうだ。
だが、専門に聞かなければ分からない話なんだろう。
やみくもにお前ならできる!と言われているわけではないし、あくまで相談だ。
「神殿は?」
「いつものように寄付金がないと話聞いてくれないし、被害っていうほどでもないからなあ」
「あまりナンリ頼りもよくないが、よほどおかしいことがあれば彼に見てもらおう」
ナンリもマキアの手に負えないものは任せろと言っている。
申し訳なかった時もあるが、むしろ念や呪、人や神の救済が彼にとって重要らしいと聞いて、遠慮はしないことにした。
「じゃあ。ええと、裕福層区の、こことちょうど反対側の枯れ井戸の話なんだ」
10年前に水道というものが街に出来た。
街のどこからでもすぐに真水が調達できるようになり、将来的には家にいながらいつも使えることになると聞いて、それはもう住民たちは喜んだようだ。
今は街の道路の地中に管が通って、一区画……5から10軒につき、ひとつかふたつ水の噴出口があって、いつでも使えた。
貴族の家と、新しく建てた家を中心に、家の中で水道を使えるようになる工事をしていて、そのうちに全住民が家で水を使えるようになる。
なお、3年前に建て替えた店とペチカの家は完全に中で水を使えるが、治安隊の建物では外にいくつも噴出口がある状態らしい。この差は規模とか予算とかの話だろう。
その水道が通るにともなって、今まで使われていた井戸は役目を終え、埋め立てられたり閉じられたりしている。
まだ残っているものもたくさんあるが、そのうちのひとつが問題らしい。
「もうずいぶん前に水がなくなったところだって。周辺の人に聞いたが、20年以上前にどうやら使うをやめていたらしい」
「もう閉じてしまっているんだよな?」
「ああ。見てきたんだが……ピッタリと石の蓋で閉じてある。力自慢が除けようとすればできるだろうが」
「無理やり開けようとすればできると。で、なにが問題なんだ」
「その井戸に……身を投げようとする人たちがいるとか」
マキアはぎょっとする。
けれど、はたと思い直した。おかしい。
「……閉じてあるんだろう?」
「ああ、だが、みんな蓋がないようなそぶりで、身体をこう、上に乗り上げて。だいたいは気を失っている状態で見つかる」
「……ふうん。彼らの証言とかはあるのか?」
「通りかかったら急に、井戸の底に落ちるような幻覚……?っていうのを見たらしい。これは、つい最近被害にあった子供の話だ」
「子供……なるほど、だからお前に話が回ってきたのか」
「俺っていうか、……例によってラインハルテなんだが」
「……またなんでそういう話を引き当てるんだ?」
通常考えられない引きのよさだ。
ビクトルはため息をつく。
「あいつは何でも首を突っ込むんだ。毎日やれ喧嘩だとか、迷い猫だとか、誰々の浮気だとか、どっかの店の売れ行きが悪いとか、どこの家の親父のヅラがなくなったとか」
「……なるほど、別にこういう話を選んでるわけじゃないんだな」
「おう……最近はそれでも少なくなったんだ。ちょっと下手を打って謹慎処分食らってな」
「……なにをやったかは聞かないでおく。ともかく、その枯れ井戸が悪さをしているらしいと。なんで埋め立てなかったんだ?まさか、」
「ああ、工事をしようと役人が来たら、片っ端から幻覚見て倒れた、という噂だ」
「……なるほど」
……ものすごく、厄介な気がする。
「いちおう、柵で立ち入らないようにしてあるんだ。けど、老朽化して壊れてたらしくて、管理者が気づく前に子供が見つけて入ってしまったみたいだな」
「……ずっと、何かしらそこで障りがあるのか」
「噂を聞くとな。近所では有名だったが、柵のおかげかしばらく被害はなかったんだが」
「子供だとな」
大人ならそこまで来ると自己責任という話だが、子供ならそうは言ってられない。
「お前が聞くくらいだから、子供のことは役人は知ってるんだろうな?」
「ああ……だが、結局子供も無事だし、今まで埋め立ててなかったんだからこのあともしばらくいいだろうって、柵の保全の徹底だけ申し付けて終わりだそうだ。そのうち街の井戸は全部埋めるようだが、そこはいつになるやら」
「……たしかに、近寄らなければよさそうではあるんだが」
蓋がなければ、どこまでの深さがあるか分からない井戸の底に……というぞっとしない話だが、もしかしたら蓋は、すでに被害があったからかもしれない。
気に、なる。
なぜかは分からない。
話を聞くだけでは、管理を怠らなければこのあとも大したことにはならないだろう。
けれど、マキアはなぜか気になっている。
こういうときは流れに身を任せるのがいいのだと、ナンリに言われている。
「……明日、その井戸を見に行こう」
「え、本当か?」
「気になるん、だ。よく分からないが」
「無理はするなよ?」
「分かってる。ダメそうだったらそれこそ危ない。ナンリが戻ってきたら見てもらう」
だんだんと強くなる呪である可能性もある。
見極めができるかわからないが、ともかく見ないと始まらない。
「……うれしいんだが、その、規則で俺からもラインハルテからも、礼金とかは出せないんだが」
「……首飾りの件で相殺だろう。そういうことでいい」
その後もぽつりぽつりと依頼がある。じゅうぶんに益がある状況だ。
「あ、ああ、それでいいなら、助かる。あと、明日は俺も行く。ちょうど休みだったんだ、任せっきりには出来ねえし」
「分かった。じゃあ、昼ごろに向かおう」
そういうことになった。
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