第44話 深夜の冒険と最高の朝日

「ここからどうやって帰るの?」

 改めて小型化したままのティファを抱き上げて、執務室の扉の前でアイリスが尋ねた。


「うん……空間を飛ぶよ。だって……時間がないんでしょ?」

 そう言いながらも、ティファの声は掠れ、羽は震えている。アイリスはどうしたのかとティファの目を覗き込んだ。


 するといつも好奇心で明るく輝いているティファの目の光がくすんでいる。注意深く見れば、脚までそわそわと動かしている。呼吸もいつもより浅く、手の中で感じる鼓動もいつもより早い。


「ねえ。……ティファ、今調子がよくないんじゃない?」

 今ティファが飛ぼうとしているのは侯爵邸から大公領。まさに前回バルトの炎に燃やされて大やけどを負って、九死に一生の状態で空間を飛んだあの時と全く同じルートだ。すぐに気づけなかった自分が情けない。


「ティファ、無理しなくていいよ。普通に空を飛んで帰ろう。まだ夜が明けたばかりだから、普通に飛んで帰っても間に合うよ」

 ぽんぽんとその体を撫でると、ふっと体から力が抜け、明らかにほっとしたようにティファが顔を上げた。


「うん、バルトは謝ってくれたけど、あの時の心臓のドキドキが止まらなくて……。今は空を飛んで帰る方が安全だと思う」

 視線を揺らしながら答えるティファを見て、アイリスは笑顔を返す。


「うん、安全第一。空から飛んでいこう。普通に飛ぶのは、大丈夫そう?」

 尋ねると、ティファは小さく頷いた。


「そういえば、侯爵の執務室って、直接に庭に出られるはず。そっちから出ようよ」

 ティファの指示したのは、廊下に繋がる扉ではなくて窓の方だ。アイリスたちは掃き出し窓を開けると、執務室から出られる中庭に出た。


「廊下を通らないで外に出られてよかった」

 まだ朝日が差し染めたばかりで辺りは暗いが、アイリスが踏みしめる地面はしっとりとして草木からは朝露のきらめきが見えた。もうすぐ朝が始まるのだ。


「アイリス、行こうか」

 すぐにティファはアイリスを乗せて飛べるサイズまで体を大きくする。アイリスはいつもの鞍をティファに載せると、しっかりと証拠の手紙が入ったカバンを背負ってティファの背中に乗った。


「じゃあ、行くよ。しっかり捕まっていて」

 ふわりといつものように浮き上がると、ティファは空へ羽ばたく。


「侯爵邸って、こんな風だったんだ……」

 上から見下ろした侯爵邸は思った以上に大きかった。本館に分館。中庭の外側には大きな庭があった。


「あ……」

「竜の、庭だね」

 ティファはまるで通り道だと言うように、竜の庭の方に飛んだ。上から見ると、真っ白な石室は薄暗い庭でもはっきりと見えた。


「多分、ボクを呼んでいるんだ」

 ぽつりとティファが呟く。あまりに小さな声だったから、アイリスの耳にはかすかにしか聞こえない。


【え、ティファ、なに?】

 心話に切り替えて尋ねたけれど、ティファは吸い寄せられるように石室を凝視すると、そこから気持ちを切り替えるように、さらに高く飛び上がった。


【なんでもないよ。行くよ。気づかれないうちに大公領まで行かないと。しっかり捕まっていてね】

 心話が聞こえた途端、ティファは大きく翼を動かして、一路大公領を目指して飛び始めた。耳の周りでごうごうと風の音がして、アイリスはしっかりと鞍に付いた手すりに摑まる。


【でもさ、バルト、どうしたんだろうね】

 飛びながらティファはそうアイリスに話しかけてくる。アイリスはいつも偉そうだったジョシュアの竜が、突然謝ってきた姿を思い出して、首を傾げた。


【確かに……それに、『薬』がどうのって言っていたけど、確かにおかしかったよね……】


 ふとリシャールと話した時のことを思い出す。「頭の中がおかしくなる薬」とか言っていただろうか。


【『薬』かぁ……。竜をおかしくするような薬があるとしたら、怖いね。……裁判の件が落ち着いたら、大公に言って色々調べてもらうといいかもね】

【うん、リシャールも大公に伝えておくって言ってた】


【そういえばさ、さっきのあれなんだったの? 指輪がぴかーって光ったの】

 突然尋ねられて、アイリスは自分の手を顔の前にもってきて、リシャールからもらった指輪をじっと見つめた。朝日を浴びてキラキラと輝く宝石がついた指輪は、今見たら綺麗だけど普通のリングにしか見えない。


【リシャールが貸してくれたの。幸運のお守りだって。あんなすごい力のある指輪だなんて思ってなかった】

 アイリスの言葉にティファはまっすぐと前を向いて飛びながら、爆弾級の心話を飛ばす。


【きっと、あの王子様はアイリスのことが好きなんだよ】

「え、ええええええええええっ」

 びっくりして、思わず声を上げてしまった。


【だって、そんな大切なもの、大好きな人じゃないと預けないと思うよ。うん。絶対にそう】

【ち、違うよ。単に心配してくれただけだってば……】

 本当にそう思っているのに、なんだか顔が火照るように熱くなる。


【ふーん、そう。じゃあさ、きっと大切な友達になるかもって思ったんじゃない?】

 アイリスはティファの言葉に、ほうっと息を吐く。白い息が一瞬浮かんで消えた。


【そうだったら……いいな】

 そう言いながら、今はもう光らない指輪をもう一度だけ見つめた。リシャールの優しさがアイリスたちを守ってくれたのだ。なんだか胸の奥がくすぐったい。


【リシャールに会ったら、指輪を返して、たくさんお礼言わないとだね……】

【そうだね。ボクたちがこうやって今空を飛べているのも、アイリスの王子様のおかげだもんね】


 アイリスの言葉にからかい交じりにティファが返す。その白い頭の向こうでは、あっという間に朝日が昇り始めている。空気までキラキラと輝いているみたいで、アイリスは胸がドキドキする。


 二人で深夜の冒険をした。

 危険なこともあったけれど、二人で支え合って戦った。そして大事な証拠を持って、胸を張って帰れる。


 やっぱりティファは最高の相棒だ。


【……私、ティファと一緒に朝日を見た、今日のこと、絶対忘れないと思う……】

 アイリスがそう伝えると、ティファは体を揺らしくすくすと笑う。


【ちょっと、笑いながら飛ばないでよ】

【だって、なんか面白かったんだから、仕方ないよ】


 飛んでいるうちに、ティファの羽の運びは伸びやかになり、動きは力強さを増した。徐々にいつもの様子を少しずつ取り戻している。アイリスは自然とティファの首に手を当てて、力づけるように撫でていた。


【まあ、ボクもアイリスとこの朝日が見られて、ほんと最高!って思ってる。……でもさ、万が一間に合わなかったら大変だから、もっと飛ばすよ】


 照れ隠しのようなティファのセリフに、今度はアイリスがくすくすと笑う。

 続く森の先にかすかに見えるのは、朝日を受けて銀色に輝く川だ。その川の河口には、貴族裁判所がある王都が広がっている。


(あともうちょっとだ……)

 朝日が昇っていく東の空に向かって、ティファは力強い飛行を続けたのだった。


***


「た、ただいま!」

 ティファが体を小さくするのを待たずに、アイリスは王都の大公邸に飛び込む。すると玄関前に立っていたグラードがバッとアイリスの元に駆け寄ってきた。


「よかった。間に合って……っていうか、もう父上と母上は出かけたんだけど……」

 グラードはどうやらアイリスが戻るのを待っていてくれたようだ。


「着替えている暇は……ないね。今すぐ行くよ」

 そう言うと、グラードは玄関前に待たしていたらしい馬車に向かい、アイリスに座るように言うと、自分は御者に話しかける。


「ボク……降りた方がいいのかな」

 勢いでティファまで馬車に乗り込んでしまって迷っている間に、後ろからグラードが飛び込んできた。バタンと扉が閉まると、すごい勢いで馬車が動き始める。


「貴族裁判所は一度開廷したら、たとえ原告者であっても、後から入廷できないんだ。だからアイリスが時間に間に合わなかったらどうしようって心配してたんだ」

 普段おっとりとした大公家の末っ子は、手に持っていた紙を座席に置くと、座面で汗を拭いて、はぁっと上を向いて息を吐くと、座席に背中を預けた。


「でも、この時間ならギリギリ間に合うはず。ほんと、間に合ってよかった」

 上を向いたままグラードは安堵の声をあげた。


本当にギリギリだったのだ。ぎゅっと証拠の入ったカバンを握り締める。アイリスまで手に汗が噴き出してきた。


 すごい勢いで走っていた馬車が止まり、グラードは胸元から懐中時計を出す。時計は開廷時間の十分前を指していた。

「よし、間に合った!」


 グラードが手を貸してくれて、アイリスは肩にティファを乗せたまま馬車を降りると、馬車は長いこと止められないらしく、すぐに立ち去った。グラードは大股で歩きながら、アイリスの手を引いて裁判所の受付に向かう。


「フェルトルト大公子息グラード・フェルトルトだ。本日の裁判の原告者であるアイリス・アルフォルトを連れてきた」

 グラードがそう申し出ると、入り口で槍を持って立っていた門番の騎士が、彼らの顔をぎろりと鋭い目で睨んだ。


「通行許可証の提示をお願いします」

 その言葉にグラードが「あっ……」と声を上げた。


 アイリスがハッとしてグラードの顔を見ると、彼の顔は真っ青だ。馬車の中で紙を握っていた右手を、二度三度と握り閉めたり開いたりしている。


「グラード、まさか……」

 彼は咄嗟に後ろを向く。その目は先ほど立ち去った馬車を探して激しく動き回る。


「俺、馬車に許可証、置いてきちゃった……」

 その言葉にアイリスは口をあんぐりと開けたまま、全身に一気に嫌な汗が流れていく。


 開廷時間まで、あともう十分もない……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る