第2ぴょん 再会と絶望のはざまで

 ののは、保育室を何度も見渡した。

 

 しかしーー

 

 そこに、夢お兄さんの姿は……無かった。

 

 (夢お兄さん…どこ行っちゃったの?)

 

 うさぎと帝王の交わした約束が、バラバラに砕け散った瞬間だった。

 

 (のの……泣きそうになってる。クソッ……なんで俺は、こういう時、気の利いたことが何も言えないんだ。)

 

 「お、おい、大丈夫か……」

 

 葉が、勇気をだして声をかけようとした、その時ーー

 

 ぎゅっ。

 

 柔らかな腕が、ののの小さな肩をそっと抱きよせた。


 (こ、このミルクの香り……!間違いない!)

 

 ののは、鼓動の高鳴りを抑えきれず、ゆっくりと後ろを振り返った。

 

紫髪と大きな王冠ーー

 そして、胸元には、あの頃と変わらないフリルのついたよだれかけ。

 

  「ふふっ……」

 

 安心感が一気に溢れ、ののは思わず、笑みをこぼした。

 

 「ののちゃん、久しぶり!14年ぶりだな」

 

 「夢お兄さん……!久しぶり!」

 

 うさぎと帝王の交わした約束は、無事ーー叶いました。

 

 * * *

 

 (って……!!夢お兄さんと一緒に、保育できるわけじゃないのおおおお!!!!)

 

 喜びも束の間。

 まさかの、夢お兄さん(29歳)は、保育士歴9年にして、園長先生に昇格。

 普段は、園長室での業務が中心で、保育の現場に入ることは、ほとんど無いという。

 

 (うぅぅ……夢お兄さんと一緒に保育したかったよぉ……)

 

 ののは、夢お兄さんのことで頭がいっぱいだった。目の前の園児たちの笑顔すら、視界に入らない。

 

 せっかくの園庭遊びの時間も、彼女はひとりでしゃがみこみ、砂をいじるばかりだった。

 

 その姿を見ていたベテラン保育士たちはーー

 

 「あの子、実習態度悪すぎね。」

 

 唇を尖らせ、陰口を交わしながら、鋭い目でののを睨みつけた。

 

 (あーあーアイツ、やべぇな。ちょっと声掛けてくるか……)

 

 葉は、ののに近づこうとした、だがーー

 

 「葉お兄さん、ののお姉さんのことは気にしなくていいわ。あの子は夢園長目当ての、やる気のない子なんだから」

 

 「はっ、はい……」

 

 「それより葉お兄さん、もう少し子どもたちと遊んであげて」

 

 (クソッ……この、ババアたち、ののに話しかけるなオーラがすごすぎだろ……これじゃあ、なにも出来ねぇ)

 

 葉は、結局何も言い返せず、子どもたちの輪へと戻っていった。

 

 しかし、この出来事が引き金となり、ののの運命を大きく揺るがす事件に繋がるなんてーーこの時はまだ、誰も知らなかった。

 

 * * *

 

 「ちょっと!この傷!なに?!」

 

 園庭遊び後の保育室。右頬に引っかき傷を負った園児、ふうちゃんを囲んで、ベテラン保育士たちは、大騒ぎをしていた。

 

 「ふうちゃん家のお父様、お母様は、怪我ひとつ許さない、いわゆるモンスターペアレントなのに……理由の分からない傷は、もっとやばいって……」

 

 「どうしてくれるの?ののお姉さんが、ちゃんと保育しないからこうなったのよ!責任、あなたが取りなさいよ!」

 

 ベテラン保育士の声が、保育室に響き渡る。

 園児の視線も、ののへと集まった。

 

 「あ、あの…!ちゃんと見てなかったオレも悪いです。ののだけの責任じゃないです。すみませんでした。」

 

 (葉くん……)

 ののは、自分のために頭を下げてくれる葉の姿に、瞳を潤ませた。

 

 「何言ってるの?葉お兄さんは、ちゃんと子どもたちのことを見てくれてたじゃない。あなたは悪くないわ。悪いのは、全部ののお姉さんよ!」

 

 「あの優しい夢園長も、こればかりはさすがに怒るんじゃない?この間だって、『服が汚れてる』っていう理不尽なクレームを入れられて、頭抱えてたし。」

  

 「ねー絶対『なにしてくれてるんだ』って思うわよね。ののお姉さん、今すぐ園長室に行って夢園長に報告よ。」

 

 (夢お兄さんに……怒られる?嫌われたら、どうしよう……。)

 

 そう、思い詰めた瞬間ーー身体の力が一気に抜けた。

 

 ガシッ!

 

 「おい…!のの!大丈夫か?」

 

 ののは、夢との関係が壊れるかもしれない恐怖心から、その場で倒れそうになっていた。

 

 葉は、ののの身体を支えながら何度も、名前を呼び続けた。

 

 しかし、その声はだんだん…遠ざかっていく。

 


 意識がもうろうとする中、ののの脳裏には、恐怖心が生んだ悪夢が再生されたのだった。

 

 

 




 

  ドクン…ドクン……

 

 心臓が脈打つなか、ののは、真っ黒な闇の底に落ちていった。

 

 

 (ここは、どこ?夢お兄さん…!どこ?どこ?)

 

 ののは、闇の中で、夢お兄さんのことを必死に探していた。

 

 

 バンッ!

 

「…!」

 

 大きな音に驚き、ののは、思わず振り返った。

 

 振り返った先に居たのは、園長室の机を叩く、鋭い目付きの夢お兄さん。

  

 (ののちゃん……さすがに、これは無いよ。)

 

 (……ごめんなさい。夢お兄さん……)

 

 (どうして、ちゃんと保育をしてくれなかったんだ。)

 

 (ごめんなさい……ごめんなさい……)

 

 (子どもたちの命を預かっていること分かってる?)

 

 (はぁ……はぁ……はぁ……はぁ………)

 

 ガタン。

 

 夢お兄さんは、席を立ちーー

 

 (もう……二度と俺の前に現れるな)

 

 冷たくそう、一言放つと深い闇の中で姿を消した。

 

 

 

 (夢お兄さん……許して……お願い、嫌いにならないで………)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 く る し い 。 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 「おい!のの!!大丈夫か!」

 

 現実の声が鋭く差し込み、ののの意識は一気に引き戻された。

 

 「ハッ!」

 

 目を開けると、目の前には、心配そうにののを見つめる、葉くんの姿があった。

 

 (私、葉くんに支えられている……?あぁ、そうか。想像が加速して、倒れそうになっていたんだ。)

 

 「……ご、ごめん。変なこと、想像しちゃった」

 

 バシッ!

 

 そんな、支えていた葉くんの手を、ベテラン保育士が乱暴に振り払う。

 

 そしてーー青ざめたののを冷たく見下ろし、ひと言放った。

 

 「あのさ、急に仮病使うの辞めてくれる?夢園長に嫌われたくないから、逃げる気?」

 

 「……ごめんなさい。」

 

 (仮病じゃないんだけど……もう、なんでもいいや。耐えよう。昔から我慢することだけは、得意だった。)

 

 ガシッ!

 ののの腕を強く掴み、園長室へと引っ張っていくベテラン保育士。

 床を擦る足音が、やけに響いていた。

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