Episode.30 翡翠の議会と迫り来る影


王都アルセリオの中心に聳える、翡翠色の大理石で築かれた中央議事堂。

天井には巨木を模した梁が枝を広げ、壁面のステンドグラスには森と精霊の紋章が刻まれている。

荘厳な広間に並ぶ議員席は、王国を護る意思を象徴するかのように翡翠の光を反射していた。


翡翠議会グリューネ評議

王国の政策を決定するこの場に、今まさにアウルディーン工房の社長ネルフィが立たされていた。


最上座に座る議長オルフェン・グリューネは、白髪を背に束ねた厳格な老議員。

長年の議会を取り仕切ってきた威圧感は、言葉を発する前から場を制している。

その瞳は、森そのものを映すように深く鋭く、ネルフィを射抜いた。


「――アウルディーン工房の技術は確かに有用だ」

低く、しかし確固とした声が広間に響く。

「だが、機械の導入は腐蝕の拡大を招きかねん。森に生きる我らにとって、大聖樹を危険に晒す可能性を、私は見過ごせぬ」


その一言で、空気は一気に張り詰めた。

居並ぶ議員たちの中には、眉をひそめ頷く者もいれば、不安げに視線を交わす者もいる。


ネルフィは深呼吸をし、一歩前に進み出る。

その姿は若き社長でありながら、堂々とした自信を宿していた。


「――腐蝕を防ぐこと。それが、私の研究の第一目的です」

声は澄み渡り、議場の隅々まで響いた。

「放置すれば、いずれ大聖樹は蝕まれる。だからこそ、技術で食い止める必要があるんです」


彼女の言葉にざわめきが広がる。

「理想論だ」「だが確かに腐蝕領域を鎮めたと聞いた」「信用できるのか……?」

議員たちの囁きは渦のように交錯し、広間を揺らした。


そのとき、立ち上がる一人の女性の姿があった。

若手議員フェリナ・ファルヴェ。

まだ27歳と若いが、その瞳には揺るぎない意志の光が宿っている。


「議長。ネルフィ殿の言葉は軽くはありません」

彼女は栗色の髪を揺らし、清らかな声を張った。

「腐蝕領域での成果は事実。私たち新世代の森番は、外の力を恐れるよりも、協力して新しい未来を築くべきです」


その発言に、緊張に縛られていた空気がわずかにほぐれる。

数人の議員が互いに顔を見合わせ、頷き合う姿も見えた。


だがオルフェン議長は腕を組んだまま、沈黙を貫いていた。

その沈黙こそ、彼がまだネルフィを完全には信用していない証。


ネルフィは視線を逸らさず、彼に向き合う。

(……簡単には認めてくれない。でも、私は引かない。どんな試練を課されても、ここで証明してみせる)


広間の光と影が交錯する中――

翡翠議会は、王国と工房、そして未来を左右する選択の舞台となっていった。





翡翠議会での緊張のやり取りを終えたネルフィは、その足で軍部と研究院の代表者たちと相対することになった。

王国を守る力の中枢。その空気は議会以上に実利的で、容赦がなかった。


まず彼女の前に立ったのは、グリーンウォーデン隊長ゲイル・ハルトマンだった。

無骨な男は、無言で鎧を外した背に巨大な樹機外骨格ウルヴァリン型を背負っている。

鉄と木の装甲が幾重にも組み合わされ、森を駆け抜ける獣のごとき威容を放っていた。


ゲイルは無表情のまま、低い声を投げる。

「……お前の技術が兵を生き延びさせるなら使う。だが腐蝕に飲まれるなら、即座に切り捨てる」


冷徹な響き。

だがその眼差しは空虚ではなく、幾多の戦場で仲間を失った者の深い覚悟に裏打ちされていた。

ネルフィは小さく頷き、その視線を正面から受け止めた。


次に姿を現したのは、ワイバーン空騎士団長ローレン・コルステッド。

陽気な笑顔を浮かべ、鮮やかなマントを翻すと、背後の騎士たちが小型の飛竜を制御していた。

その姿は軍人というよりも空の冒険者のように快活だ。


「新しい風は嫌いじゃないよ、ネルフィちゃん!」

朗らかに笑い、手をひらひらと振る。

「空の任務はいつだって危険がつきまとう。だからこそ、工房の技術で少しでも命が助かるなら歓迎さ! 飛行任務で困ったら遠慮なく呼んでくれ!」


その調子に、張り詰めていたネルフィの頬もわずかに緩んだ。

緊張を溶かすような彼女の存在は、軍の中でも異彩を放っていた。


そして、研究院の代表として現れたのは王立樹機院の院長、ニルチ=ヴェルナー。

彼は机上に積み上げられた分厚い設計図と資料を広げ、冷徹な眼差しでネルフィを見つめる。


「……ヘリオス社に研究を盗まれかけた恨みは消えん。私は技術者を安易に信用はしない」

言葉は氷の刃のように鋭く、周囲の空気を一気に冷やした。

「だが、君の研究が腐蝕制御の鍵となるのなら――共同研究の価値はある」


冷たくも現実的な提案。

ネルフィはその真意を測りながら、力強く「はい」と答えた。


一方、隣にいた若手主任研究員ミレイユ・サン=クロワは、院長とは対照的な輝きを放っていた。

亜麻色の髪を揺らし、好奇心に満ちた瞳でネルフィに歩み寄ると、彼女の手を取った。


「ぜひ現場で一緒に実験を! あなたの発想は、研究の壁を打ち破れる!」

その声は純粋で、研究への情熱がそのまま形になったようだった。

彼女はまるで未来を信じて疑わない子供のように真っ直ぐで、ネルフィにとっては心強い味方に思えた。


こうして次々と投げかけられる期待と疑念。

軍部は結果を求め、研究院は成果を欲する。

どちらも失敗は許さず、ネルフィの技術に対する責任を突きつける存在だった。


だが、ネルフィは一歩も退かなかった。

胸の奥に重くのしかかる責任を抱えながらも、その瞳には確かな決意が宿っていた。


――私は証明する。工房の技術が腐蝕に対抗し、人を救えるのだと。


広間を後にするその背に、軍人と学者たちの視線が突き刺さる。

それは試す眼差しであると同時に、新しい時代を切り拓く者に向けられる期待でもあった。




だが――王宮の奥深く、静寂に包まれた執務室では、別の陰謀がひそかに進んでいた。


宰相ヴァルター・クローヴィス。

王国の財務と流通を一手に握るこの男は、代々の宰相家の血筋を継ぐ者であり、表向きは民からも「堅実な行政官」として信頼を集めていた。

彼の冷静な采配は、しばしば王国を飢饉や財政難から救い、王もまた彼を厚く信頼してきた。


だが、その実像は別の顔を隠していた。


分厚いカーテンで覆われた室内。蝋燭の明かりが揺れる中、ヴァルターは机に広げた帳簿を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。

窓際に佇む影――闇ギルドの使者が、仮面の奥から鈍い光を放って彼を見つめていた。


「……計画は滞りなく進んでいるか?」

低く湿った声。


ヴァルターは扇子で口元を隠しながら、にやりと笑った。

「心配はいらん。王国の軍備は病に伏す陛下の名を盾に削がれている。議会は森と技術に意識を向けさせておけばよい。内部の不安は、いずれ外からの圧力と共鳴する」


「王女リュシェルは?」

「……彼女が揺らげば、王国全体が揺らぐ。次の一手はそのためにある」


淡々と語るその瞳には、忠誠も誇りもなかった。

王家を支えるという矜持はとうに失われ、映っているのは己の利益と権力だけ。


闇ギルドの使者は無言で頷き、闇に溶けるように姿を消した。

部屋に残された宰相は、机上に置かれた王国の紋章入りの書簡に手をかけ、冷笑を漏らした。


「……民も、議会も、王族すらも……すべては駒だ。私が盤面を操る限り、この国は思うままになる」


蝋燭の炎が揺れ、壁に映った彼の影はまるで長大な獣のように広がった。

それは王国の根幹を内側から蝕む影――ネルフィたちが未だ気づかぬ、最も近くに潜む裏切りの存在だった。




夜。

会議を終え、静まり返ったアウルディーン=ネクサスの観測窓。


ネルフィは一人、その前に立っていた。

眼下に広がる王都の灯火は、無数の星座のように瞬き、その中心でそびえ立つ大聖樹は月光を受けて白銀の塔のごとき輝きを放っている。


しかし――その光景に酔いしれることはできなかった。

彼女の目は、輝きの奥に潜む異様な影を捉えていたからだ。


「……瘴気……」

呟きはかすれ、胸を締めつける。


樹冠の奥に淡く黒い靄が脈打つように広がり、枝葉が不自然にざわめいている。

本来ならば精霊力の奔流に満ちるはずの大聖樹に、明らかに異変が起きていた。


(まさか……内部から腐蝕が? 大聖樹そのものが……)


冷たい予感が背筋を走る。

その瞬間、背後に軽い足音が響いた。


「ネルフィ……」


振り返るまでもなく分かった。

そこに立つのはリュシェルだった。

蒼い瞳を曇らせ、彼女もまた大聖樹を見上げている。


「感じる……? あの奥に、誰かが……呼んでいる」


震える声。

しかしその響きには確かな真実が宿っていた。

王族の血に流れる直感が、巨樹の奥から発せられる「声」を捉えていたのだ。


ネルフィは唇を噛みしめ、視線を逸らさず答える。

「……あれは、ただの病じゃない。守護者――古き精霊ドライアドの意志。

 きっと、私たちに何かを伝えようとしてる」


リュシェルの肩がわずかに震える。

それでも彼女は真っ直ぐに大聖樹を見つめ返した。


二人の間に言葉は要らなかった。

ただ確信だけが胸に残る。

――いずれ近いうちに、この樹の奥で「出会い」が待っている。


その時だった。


観測窓の外、大聖樹の枝葉が一瞬だけ風もないのに大きく揺れた。

葉擦れの音が艦内にまで響き、まるで呼びかける声のように二人の耳に届く。


「……今の……」

リュシェルが小さく呟く。


ネルフィは深く息を吸い、決意を固めるように拳を握った。

「――行かなきゃ。大聖樹が私たちを呼んでる」


月光に照らされた巨樹は、ざわめきの奥で確かな意志を宿していた。

まるでその内に眠る存在が、邂逅の時を待ち続けているかのように――。


――それは、新たな試練と大聖樹の守護者との出会いの幕開けだった。

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