Episode.28  再会と陰謀の序曲


アウルディーン=ネクサスが大森林の濃緑を抜け、青空の切れ目から姿を現すと、眼下に石造りの壮大な城壁が広がった。

王都アルセリオ――かつて幾度も訪れ、笑い合い、誓い合った思い出の都。


ネルフィは艦橋の窓辺に立ち尽くし、しばし言葉を失った。

かつては陽光に煌めく清らかな街並みだったはずなのに、今日のアルセリオは違う。

澄んだ空気はどこか鈍色に濁り、石畳の街路には緊張の気配が張り詰めていた。


城壁を越えた先には、白壁と緑屋根が折り重なるように連なり、中央に根を張る大聖樹が天を突き抜けるように聳えている。

その存在は王都の象徴であり、民にとっては永遠の守護そのものだった。

しかし、枝葉の一部は黒ずみ、まるで見えない瘴気に蝕まれているように揺れていた。


「……嫌な予感がする」

レオンが低く呟き、腰の剣に自然と手を伸ばす。

普段なら軽口を叩く彼でさえ、その横顔には一片の笑みもなかった。


ネルフィは視線を外さず、無意識に胸元へ手をやる。

そこには彼女が十歳の頃、手ずから作って贈った銀細工のネックレスと同じものがかかっていた。

リュシェルもまた、大切に身につけているはずだ。


「……リュシェル」

幼馴染の名を口の中で繰り返す。

脳裏に浮かぶのは、あの無邪気な笑顔と、いつも賑やかに届いた魔導通信の声。

「今日はね、馬車の車輪が壊れて大変だったの!」

「お父様にまた叱られちゃったの……ネルフィ、助けて!」


どんなに忙しくても、どんなに小さな出来事でも、必ず共有してきた。

だからこそ――その声が途絶えた沈黙の日々は、胸を締めつけるほどに重かった。


ネルフィは視線を上げ、城の奥に輝く尖塔を見据える。

そこに彼女がいる。

そこに、必ずリュシェルがいる。


「絶対に無事でいて」

心の奥で呟いた言葉は、祈りであり、誓いだった。


アウルディーン=ネクサスは静かに旋回し、王宮の上空へと進路を取る。

やがて、待ち望んだ再会と、新たなる嵐の幕開けが、彼女たちを迎えようとしていた。


――その胸の鼓動は、確かに次なる戦いの序曲を告げていた。




王宮アルセリオの謁見の間。

高天井から差し込む光は清らかに磨き抜かれた大理石を照らし、緑を象ったステンドグラスが床へと幻想的な彩りを落としていた。

重厚な石柱の間には王国の騎士たちが整列し、空気には荘厳さと緊張が漂う。


玉座には、少しやつれながらも毅然と座する国王アルヴェリオス。

その隣には気品ある王妃セラフィーナ。

さらにその脇には、無邪気な瞳を輝かせる第三王子ユリアンの姿があった。


だが、ネルフィの視線はただ一点に吸い寄せられていた。

――玉座の前に立つ少女。


長い銀髪が光を受けて月光のように揺らぎ、蒼の瞳がまっすぐにこちらを捉えている。

胸元には、あの日ネルフィが贈った手作りのネックレス。

それを握りしめながら、少女――リュシェル・エリムハイドは息を呑み、次の瞬間、弾かれるように駆け出した。


「……ネルフィ!」

声は震え、しかし確かに響いた。

幼いころから幾度も呼ばれたその名。けれど今は、過去のどんな時よりも強く、切実な想いが宿っていた。


ネルフィも小さく息を呑み、駆け寄るリュシェルを迎えるように両腕を広げる。

そして二人は強く抱き合った。


「……本当に……!」

リュシェルは震える声で言葉を継ぎ、肩に顔を埋める。

「本当に……会えるなんて……ずっと……待ってたの」


ネルフィの胸に熱いものが込み上げる。

戦場でも、試練の時でも涙を流すことはなかったのに、今は堪えるのがやっとだった。


「遅くなってごめん。……無事でよかった」

その声もまた震えていた。


二人の周囲は一瞬、時が止まったかのように静まり返る。

荘厳な謁見の間の空気すら、二人を祝福するために沈黙しているようだった。


王妃セラフィーナは、目元に薄く涙を滲ませながらその光景を見守っていた。

国王アルヴェリオスもまた、深く頷き、安堵を胸に秘めたような微笑みを浮かべる。


だが――その再会を見つめる視線の中に、複雑な色を宿す者もいた。

レオン。


彼はほんの少し離れた場所で、静かに二人を見ていた。

ネルフィが大切に想う幼馴染との再会――その純粋な喜びに心から安堵していた。

だが同時に、胸の奥をちくりと刺すような感覚を拭えなかった。


リュシェルの瞳に映るのは、誰よりもネルフィ。

その抱擁に宿る想いは、友情を超えたものかもしれないと、本能が告げていた。


「……くそ、俺は……」

心の中でだけ、小さく呟く。

ネルフィを守ると誓ったのは自分だ。だが、彼女にとって本当に特別な存在は――。


謁見の間には、温かさと張り詰めた感情が同時に渦巻いていた。

そして誰もがまだ気づかない。

この再会が、やがて王都を揺るがす大きな嵐の前触れになることを。




謁見の間を包む空気は、国王アルヴェリオスの病が語られた瞬間から一層重苦しいものへと変わっていた。

高い天井から差し込む光でさえ、陰りを帯びたように見える。


王妃セラフィーナは沈痛な面持ちで臣下を見渡した。

「……陛下の病は、自然のものではありません。腐蝕帝国の呪毒が流れ込んでいるのです」


その言葉に誰もが息を呑み、広間のあちこちで不安げな視線が交わされる。

だが沈黙を破ったのは、ゼルダンの低い声だった。


「……宰相も怪しい」


場が一瞬ざわめいた。

その名が出ただけで、誰もが目を伏せ、疑念の影が濃く落ちる。

内部に裏切り者がいるかもしれない――その考えは皆の胸を刺し、重く沈んでいった。


「……内部がこの有様で、外からの敵を防げるものか」

第一王子アルトリウスの声には苛立ちと焦燥が混じっていた。

その眼差しが鋭く動き――ある青年に突き刺さる。


「……貴様」


名指されたのは、黒衣の青年レオン。

玉座の間の視線が一斉に集中する。


「腐蝕帝国ヴァルガルドの第十三王子……なぜお前がここにいる!?」

アルトリウスの怒声は鋭く響き渡り、兵士たちの剣が一斉に鳴りを上げた。

「王国を裏切る影を探すまでもない、目の前にいるではないか!」


空気が爆ぜる。

騎士たちが剣を構え、緊張が一気に高まった。


だが――ネルフィは即座に一歩踏み出し、レオンの前に立ちはだかった。


「やめて!」

小さな身体で、しかし声は誰よりも強く響いた。

「彼は私の仲間。アウルディーン工房の社員であり、私が信じている人よ! 彼を敵とするなら……私も同じ立場に立つわ!」


その言葉に、広間はどよめいた。

王子の剣先の前に立つ少女――その姿は恐怖を知らず、ひとりの社長として仲間を守る覚悟そのものだった。


「ネルフィ……」

背後のレオンが小さく声を漏らす。その声には驚きと、胸の奥から溢れる熱が滲んでいた。


だがアルトリウスは退かない。

「……お前までも、王国を裏切るというのか」

その視線は冷たく、失望と憎悪が混じっていた。


睨み合う二人。

一触即発の空気が張り詰め、誰もが息を飲む。


その間に割って入ったのは――蒼銀の髪を揺らす第二王女リュシェルだった。


「やめて! 二人とも!」

震える声で叫び、両腕を広げて二人の間に立つ。

その瞳は揺れていたが、決意だけは確かだった。


「ネルフィも……レオンも……私にとって大切な人。争わせるなんて、絶対にさせない!」


広間が静まり返る。

だがネルフィは、その横顔を見て気づいてしまった。

――リュシェルは、何かを隠している。

声の震えでも、瞳の影でもない。幼馴染だからこそわかる、沈黙の奥にある秘密の気配。


その疑問が胸に広がったその時――。


「……これは、なかなか興味深い場面だ」


重厚な扉がゆっくりと開き、赤い絨毯を踏みしめて現れたのは、異国の装いを纏った青年。

隣国ヴァルドランの王子、ラグナであった。


「急な来訪、失礼する」

彼は優雅に一礼し、しかし要件を語らず、ただまっすぐにリュシェルを見つめる。

「……リュシェル殿下。ようやくお会いできましたね」


場に重い沈黙が落ちる。

ラグナの微笑は不気味なまでに静かで、誰もがその真意を測りかねた。


――謁見の間に広がる不安と疑惑。

内部の裏切り、王女の隠し事、そして新たな来訪者。

すべてが渦巻く中、次なる嵐の幕がゆっくりと上がろうとしていた。



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