湾都、盗人、解毒剤
第2話 ロンザク、クラウハ、ガイラ堂(1)
さて、ゾーナの依頼に従い、勇者は“薬師の園”に訪れていた。
植物園のような様相の研究機関は草と土の青い香りに包まれ、黙々と作業する研究員の静寂を、絶え間なく流れる水路の音が埋め合わせている。
自然環境そのものを機能美として備えたその環境こそ、国家最大の医療・薬学研究の学園であり、研究機関なのである。
「勇者様。ゾーナ様の連絡があったのですが、本当にお越し下さるとは」
「ゾーナの頼みだし、僕の持て余してる力が役立つなら良いかと思って」
勇者は迎えに来た園長に応じながら、園の様子を見渡す。
かつて戦闘に明け暮れていた頃はよく足を運んでいた場所である。解毒薬や強化薬が、かつての目的だった。
ところで勇者の祝福“セーブ”は、勇者の死を無効にする。
死すや否やセーブポイントで復活し、危機を脱するのである。幾度となく死しても記憶を保持することで経験値を積む“死に覚え”によって、ついには全ての敵を切り伏せた。
そんな勇者も毒に苦しんだり、戦闘を長引かせる趣味はなかったので、此処に薬を求めた。
「ゾーナ様に聞きました。勇者様の力を使い、遠く離れた場所でもすぐに物を運べると」
「うん。僕に運んでほしい物はなに?」
「こちらです」
園長は木箱を差し出し、蓋を開けた。
中には数本の瓶が緩衝材に包まれて入っており、帯シールで封がされている。用量用法を記した手紙を添えていた。
「ある毒の解毒剤です。材料やレシピ、専門家も薬師の園にしかなく、ここで作ったのですが…。熱に弱くて乾燥しやすく、日持ちが悪いので、運べなかったのです」
「だから僕が運べば良いってことだよね。誰の所に持っていけば良い?」
「住所はこちらです」
また一枚、園長はメモ紙を差し出した。
湾都ロンザク、クラウハ街大道『ガイラ堂』。
「うん、分かった」
「場所はご存じですか?」
「知らないけどクラウハは知ってるから、行ってから聞く」
「お気をつけて。通りの少し奥まった所のはずです。それと薬は2日後に使用期限が来てしまいます。よろしくお願いしますね」
「じゃあ行くね」
勇者は園を出る。
足しげく園に通っていたこともあり、既にセーブポイントが設置されていた。
そしてその脇で、すぐに声を掛けられた。
「やあ待ってたよ! まだ行ってなかったようだね」
「ゾーナ…。まさか、ついてくる気?」
「何かダメなことがある? 朝から別件の仕事を片付けて、すぐに駆け付けたんだよ、一緒に行かせて」
「金糸卿がそんなフラフラして良いわけ?」
「私は足で稼ぐのが仕事だよ」
「さてはついでの用事でもあるんじゃない? 僕に連れて行ってもらいたいんでしょう」
「さて、どうでしょう。でも私が寄り道しても、アンタは私を置いて一人で帰ったりしないよね?」
「さて、どっちにしようかな」
「どっちって何、何オア何?」
「分かった、良いよ。だったら移動先はクラウハ街の君の商会にしよう」
「ありがと! じゃあお願い」
勇者が佇み、その隣にゾーナが並び立つ。
そして勇者が手をかざすと、地面に突き刺さった透明な剣が、うっすらと浮かび上がったのだ。
「僕を呼べ、“聖剣”」
*
「わ、わあっ、てんちょー! パパ! 備品庫から急に人が…!」
「なに、泥棒か!?」
「私だよ、アレクサンダー」
ひょい、と扉の向こうから顔を覗かせたゾーナに、商会クラウハ支店店主、アレクサンダーは腰を抜かした。
「か、会長!? なんでこんなところに? え、なんでこんなところに??」
彼の脇で、小さな子供がゾーナを窺い見る。リリアという、アレクサンダーの娘である。
「わあ、きれい…」
「ハーイ、大きくなったね、リリア。前はまだこんなだったのに」
ゾーナに手を振られたリリアは、照れくさそうに父の背中に隠れた。
かたや、そんな父の動揺は未だ収まらず。
「待ってください会長、いったい何処から入って来たのです…?」
「あら、忘れちゃったの? ま、ここのセーブポイント一回しか使ったことなかったし、仕方ないか」
「セーブポイント…? では勇者様もご一緒に?」
「いるよ」
と、勇者が続けて備品庫から出て来た。
その頭上に乾いた雑巾が乗っていて、威厳が、全くない。
「ぷっ、きゃははっ! この人、おもしろい」
「こ、こらリリアっ! 笑ってはいかん、この方は…!」
と、娘を窘めるアレクサンダーの声にかぶせて、
「あっはっはっは! アンタ、自分の能力なのに相変わらず使うの下手なのね」
と、ゾーナの盛大な笑い声があがるのだった。
勇者は自分の頭に乗った雑巾に気付き、顔を赤らめながらそれを取って、備品庫に放り投げる。
そんな勇者を尻目にゾーナは淡々と切り出した。
「ほら、荷物は持ってる? 使用期限短いんでしょ、薬」
「うん。ガイラ堂に早く行かないと」
「ガイラ堂ですか。通りを進んだ所ですが、少し奥まったところですよ。見逃さないようにお気をつけて……。しかし最近、あそこの堂主は体の調子を崩したようで、見かけません。近くのレストランによく通っていたのに」
「あらそう? 詳しく教えて」
「くわしくは分かりませんが、何かの毒で体調を崩されたと」
「え? いや堂主の方じゃなく、レストランの方」
「えっ」
「レストランの方の話」と繰り返すゾーナ。
「わたししってる、あそこの魚はおいしいよ」
「ありがとう~リリア! じゃあ行ってみる」
「でもゾーナ、僕らの目的は配達で…」
「ご飯食べてからで良いでしょ?」
「さては
猛抗議の勇者を引き連れながら、ゾーナは長し目で勇者の持つ箱を見遣る。
そこには“解毒剤”が入っている。
(毒で体調を崩した、ねぇ…)
「また帰る時ここ来るから、その時はよろしくね~!」
「え、ええ。お、お気をつけて」
「ばいばい、お姉ちゃん!」
手を振るアレクサンダーとリリアを残して、ゾーナと勇者は店を出て行った。
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