第三夜-学窓と隣人-(前編)
1幕
少女のミディアムヘアは、後ろからさしている木漏れ日に照らされて、前に会ったときよりも鮮やかな紫色になっていた。沈黙は、どのくらい続いたかわからない。
「久しぶり、ですね。」
静寂を割ったのは、マドラの方だった。
「…そうですね、あのときは、その…」
少女は、左下に目線を向けて答えた。童顔な見た目からはあまり想像できない、若干低めな声だ。
「……ありがとう、ございました…!」
僅かに熱が篭った声色に、マドラは動揺した。
「いやいや、僕の方こそ、あんな気持ち悪い接し方してたのに。覚えてくれてたんだ。」
「いえ。あのときはちゃんとお話しできなくて、ごめんなさい。……私もあの詩大好きなんです!自然の描写が本当に雄大で、作者の誠実さを感じられるんです。特に私は、最初の”怪鳥の鳴き声をこだまさせ„というところが、耳で広がっていく景色を感じられて、すごい好きです…!」
急に饒舌になった。マドラの目から視線を逸らさずに、熱を帯びて語っていた。
「あの短さでここまで立体的にヒガム山脈を
……はっ!ごめんなさい。私ばっかり話してしまって…。」
少女は頭を下げた。耳は赤くなり、声はあわただしく裏返っていた。
しかし、
「…あはははっ!全然いいよ!そういうマニアックな話、僕大好きだし!」
マドラは大喜びだった。予想外の反応に、少女は恥ずかしそうに喉を鳴らしながら、瞬きをしている。
「僕はマドラ・イモルグ。白属性のゲッシュをさっき結んだ。君は?」
「わ、私は、エール、です。黒属性です。」
エールは再び目をそらしながら答えた。
「これからは同じクラス、しかも隣の席なんだし、タメ口でいいよ。」
「タメ口…。わかり…わかった。よろしく、マドラ君。」
2人で話していると、茶髪で高身長の彼が入室してきた。
「お、ゴディ!」
「あ、マドラさん。グアトニシーア、です。」
ゴドフリーは歩きながら首を向けて答えた。「…知り合い?」
エールは首を傾げた。
「あぁ、属性適性試験でね。」
マドラは答えた。ゴドフリーは席に荷物を置き、会話に入ることなくそのまま座ってしまった。
「そっか。私はもともと黒属性だったから、受けてないんだ。」
「へぇ、てことは、先輩だ。」
マドラは微笑を含みながら言った。
エールは、マドラの方を一瞬みやると、すぐに照れくさそうに下を向いてしまった。
教室の前方に、教師が2人入ってきた。そのうち1人は、お馴染みのジャック・ローフだ。もう1人は黒いローブを着た若い女性だ。
「皆さんお揃いのようなので、始めます。グアトニシーア。そして入学おめでとうございます。」
女性教師が口を開いた。
「私はこの白黒合同クラスの担任をします、黒属性のニマ・ホロゥウェンです。」
ホロゥウェンという苗字に、マドラは声をあげそうになった。根の国の専門家ビビアン・ホロゥウェンと同じ苗字だが、親戚だと断じるには早い。今後少しずつ知っていこう。そう考えた。
苗字と言えば、ここの学長は、”アウルスト„というらしい。祖父と同じ苗字だと思うと、不思議と親近感が湧いてくる。
「私は白属性担当、副担任のジャック・ローフです。」
ローフはいつもの感じで自己紹介をした。しかし教卓前に立った彼は、ゾーノハンナで一緒に暮らしていたとは思えないくらい、この学院の”教師としての顔„になっていた。ニマが話を続けた。
「私たち以外の教員が、皆さんの授業を見ることもありますが、私たちには、他の教員よりも気軽に、学校生活や進路について相談してください。それでは、学長挨拶を代読いたします。」
2幕
一通りの説明が終わり、その日は終業となった。
「お腹すいたな。」
杖で肩を叩きながら、マドラはぼやいた。
スカイ学院には、学生食堂がある。しかし場所まではマドラはわかっていない。隣の席を見ながら、
「エール、学食行く?」
と誘った。
「ついていって、いいの?」
「こういうのは2、3人で行くのがいいだろ…ゴディも行く?」
今にも帰りそうなゴドフリーを、そうはいかないぞと呼び止める。
「…あ、はい。」
相変わらず照れながらの答えだった。
再びエールに向き直って言った。
「僕まだ霊貨の入金もしたことないからさ、先輩に色々聞きたいんだ。」
「…わかった。適性試験をパスした代わりに、学内施設の案内をちょっとだけ受けてるから……多分、役に立てると思う。」
先輩という言葉に引っかかりながらも、頼られることはちょっとだけ嬉しいようだった。
「霊貨」とは、ドルイドの杖に入金される、硬貨に変わる数値のこと。ドルイドは、神とのゲッシュで、自然物を尊ぶことを誓うため、以後、金属に触ることができなくなる。そのため、金属製の硬貨を直接使うことができず、代わりに霊魂によって刻まれる“数値„を通貨として使う仕組みが生まれた。街道沿いにある
両替所のある棟についた。
「まずは手袋をして、入金したい分の硬貨を出して。」
ちょっと得意げな声色だ。
「受付の人の杖に、自分の杖をかざしてから、硬貨を渡したら、向こうが入金してくれるよ。」
マドラは手袋をして、100オムラ硬貨を2枚、巾着袋から取り出した。
「200オムラだね。じゃあ杖をかざして。」
交換師が自分の杖を少し傾けた。マドラも杖をかざし、互いの杖先を見た。
すると、杖を交わした先から、白い光が溢れ出し、数字が浮き上がった。そして、杖に刻み込まれるように沈んで消えていった。
「おぉ…。」
というマドラの驚きの声に、交換師は微笑んで言った。
「はい、入金が完了したよ。いってらっしゃい。」
続けてゴドフリー、エールも入金をし、食堂へ向かった。
マドラとゴドフリーは、
「そ、そんなに、食べるの?」
マドラは声を震わせて聞いた。
「ええ……いつもの量だけど。」
首を傾げているエールの眼鏡に、ドン引きしている2人が映った。
マドラはイヤパンの柔らかくもドシリとした魚の厚みもある食感を噛み締めた。一口飲み込んだ後、ふとマドラの頭に一つの疑問が立ち昇った。
「エールはいつ頃にゲッシュを結んだの?」
3人とも内向的なので、相対的にマドラが話を回す役になる。
「13歳のとき。もう3年近くも前になるね。」
…ん?と思った。
「もしかして、年上、ですか?」
マドラは動揺を隠さずに聞いた。
「あ、僕は14歳、で今年15になるん、ですね。」
慌てて補足をした。
「じゃあ年上ね。私は今月18日で16歳だから。」
だいぶ年長者だったようだ。
「だからって敬語にしなくていいよ。」
エールは揶揄うような上目遣いで言った。
「そう、だよな。お互い気遣っちゃうし。」
2人の間に冷や汗が蒸発したような空気が流れる。
「ゴディはいくつ?」
マドラは誤魔化すように、ゴドフリーの方を向いて聞いた。
エールはパンを頬張りつつ、目線は2人に向けている。
「自分はマドラさんと同い年、ですね。」
「お、そうなんだ。じゃあ僕たち、エールには頭が上がらないな。」
当の本人は、パンを咀嚼しながら、子どもを見るような少し得意げな顔になった。完食して口元を軽く拭いて、2人に問いかけた。
「2人は、どこから通ってるの? 私は寮だけど。」
「僕も寮。」
マドラが答えた。
「自分は、実家ですね。ここエイドで、弟2人と、母と暮らしています。」
項をかきながら、ゴドフリーは呟いた。
意外な答えに、一瞬だけ目を合わせたマドラとエールだった。
気温が上がってくる七ノ刻。3人は長居は迷惑と、食堂を出た。
「じゃあ、自分はここで別れます。」
トーク地区の門前で、ゴドフリーは2人に胸のあたりで手を振った。
マドラとエールも、答えるように手を振りかえす。
「ゴディは、楽しめたかな。」
「私には、カーフ君なりに楽しんでくれてたように見えたな。」
2人は反省会をした。
――ゴドフリーは、寮に向かいながら話している2人を遠巻きに見た。内容は聞き取れなかった。しかし、遠くに向かう2人が、なぜか大きく見えた気がした。初対面なのに、2人の間に既に、入り込み難いなにかが流れているように思えた。
寮に向かいながら、2人は談話を続けた。
「彼、母子家庭なんて、大変ね。」
「うん、僕も少し意外に思った。…きつい、だろうな。」
余韻は、沈黙という形で2人の間合いに垂れ込んだ。しばらくしてから、エールがゆっくりと口を開く。
「君は、どこの出身なの?」
「小ゴール島だよ」
あまりにも平然と答えてしまった。
「し、小ゴール島?!」
エールは声を高くして言った。
「…色々あったんだ。密航したりとかね。」
「密航?……そうなんだ。」
やや深妙なマドラの語り口に合わせて、エールも落ち着いたトーンで繰り返した。
「うん。そういう悪戯が得意なやつが、友達にいてさ。」
そこからは、2人とも二の句を継げなかった。
エールと別れ、寮の部屋に入った。最低限の家具だけが置かれた合理的な部屋だ。明日からは通常の授業が始まる。その前に2人も仲間ができたのは、マドラにとっては大きな収穫だ。部屋に本がないし、図書館にも行きたい。エールならついてきてくれるはずだ。ゴドフリーはどうだろう。
そんなことを考えていると、
ズゴン!
隣の部屋から、何かと何かがぶつかったような大きな音がした。なんだ、と思い、部屋を出る。すると、おそらくゴドフリー並みに身長が高い鷲鼻で色白の少年が、デコを抑えて倒れていた。青緑色の長い髪を、後ろに結んでいる。
「
心配で駆け寄るより先に、違和感を覚えた。
(これ、何語だ?)
ゴール語でもバリリ語でもない。まして呪文のはずもない。語根は同じだが、雪国特有の籠ったような喋り方。そして魁偉な容貌。
「大丈夫かい?」
仕方なくゴール語で話しかける。
「ああ、大丈夫だべさ」
マドラは確信した。
「君、モンタ人?」
大陸の雪山を中心に文化圏を持つとされる民族だ。彼はゴール語で話しているが、明らかに寒い地域特有の訛り方だ。
「よくわかったべな。そうさね、おらぁモンタ人だべ。チェーザレ・セデュツっていうんだ。」
ゆっくりと立ち上がりながら、チェーザレは見かけによらぬ間の抜けた声で自己紹介をした。どうやら、あまりにも身長が高すぎて、扉の上の梁にぶつかってしまったようだ。
「僕はマドラ・イモルグだ。実は僕も外国からきたんだ。」
「そうなんだべか?そんなら、迷惑じゃねぇなら、また話しかけてほしいべ。隣人同士だし。」
少し目を横に逸らしつつ、マドラは首肯した。
今のマドラには、親しくありたい隣人が何人もいる。小ゴール島では考えられなかったことだ。
3幕
今日は最初の授業が行われる。記念すべき最初の授業は、「呪文理論」、最もコマ数が多い科目だ。
ニマが木版の前に立った。
「今日から授業が始まりますね。最初の授業なので、自己紹介から始めましょうか……誰から行きますか?」
マドラの前の席の少女(例の黒髪黒目の彼女)が、周りをぐるりとみてから教室の前に出た。
「黒属性のコウホ・メアリです!あたしはお父さんが東洋人なんで、苗字と名前がみんなと逆なんだけど、気にせずメアリって呼んでもらえたら嬉しいです。お勉強苦手だし、初心者ですけど、仲良くしてください!」
右拳と左の掌を合わせ、一礼した。
「元気がいいですね!よろしくお願いします。では、コウホさんの後ろ、イモルグ君、いきましょうか。」
読めてはいたが、急に呼ばれてマドラは背を伸ばした。
前に出たマドラを見て、前列の女子生徒が後ろのメアリとこそこそ話をし出した。
「マドラ・イモルグ。白属性です。趣味は、読書です。よろしくお願いします。」
女子の明るい感じを苦手に思ったのか、無難な自己紹介に終わった。
次はエールの番だ。
「エール……エール・ペンドラゴン、黒属性です。えっと…よろしくお願いいたします。」
言葉が止まったエールを見て、ニマがフォローを入れる。
「ペンドラゴンさんは、入学前からドルイドの修練を積んでいるんですよね。」
「いえ。大したことは、していません…。」
目を合わせずにエールは答える。あまりの広がらなさに、ニマも動揺している様子だ。
「ま、まあ実践の授業では、お手本になってくれると思うので。はい。よろしくお願いします!」
他の生徒たちも、少しだけざわついた。
ふとエールの目に、メアリが肩ひじをつきながらもこちらに朗らかな視線を向けているのが映った。
ゴドフリーを含めた全員の自己紹介が終わり、いよいよ授業に移る。「まずは、皆さんがこれから習っていく、白属性と黒属性について説明します。」
ニマが後ろの木版の方に翻り、書き殴りながら説明を始める。
「白属性と黒属性は、6つの属性の中でも少し特殊な立ち位置にあります。」
白は雷などでの攻撃も得意だが、光や癒しの呪文を扱い、癒し手としての需要の方が高い。
一方で黒は毒の呪文を唱えたり、霊魂を自然界の力に変換せず直接操ったりと、忌避されるような力を使う。そのため、差別とまではいかないが、冷ややかな目で見られることもある。
「杖を持って呪文を詠唱することで、神とのゲッシュの記憶に接続し、霊魂に語りかけることができます。こういったことは、受験勉強の中で理解しましたよね。」
生徒たちは、淀みないニマの講義に喰らいつこうと、手帳に必死にメモを取りながら、時折互いの顔を見合わせていた。
マドラだけは、目でニマとその文字を追っている。エールも余裕そうだ。既に前の席のメアリは、頭を擡げたり直ったりを繰り返している。
「呪文とは、いわば霊魂の言語なんです。霊魂や、記憶のうちの神に語りかける言の葉、詩。それを単語で言い放つこともありますが、3〜5語組み合わせて唱えることの方が多いです。」
その後は、基本的な単呪文や、今後の講義の方針などの説明が次々とニマの口からされ、長い初回授業が終わった。マドラとエールは、前列の面々がだれているのを見て、互いにきょとんと顔を合わせた。
「1限はここまで!初回の授業、お疲れ様でした。昼休にしましょう。」
――――――――――――
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