ガラスの花

川上いむれ

第1話

 彼女は山あいの療養所にいた。ケッカク、という病気なのだそうだ。でも、普通のケッカクと違うことには、彼女は咳をするたびにガラスのかけらを吐いた。

 僕もまたその療養所にいた。僕はまた別の病気だった。医者が言うには、僕の病気は心の問題であって、心の病気というのは体の病気と同じぐらい治りにくいものだということだった。

 僕の病室はケッカクの少女の病室の二つ隣だった。朝と昼と夜に彼女が咳き込む音が聴こえてきた。それは、湿った音で 、時々からからと硬いものが床に落ちる音が続いた。ああ、あの子がガラスを吐き出しているのだな、と僕はベッドに横たわりながら思った。  


 ある朝、僕は身の回りの世話をしてくれる看護師さんに聞いてみた。二つ隣の子はどうしてガラスなんかを肺の中で生み出すようになったんですか、と。

「ああ、あの子は可哀想な子なのよ」

 看護師さんの答えはそれで終わりだった。すると、彼女と同じ病棟にいる僕もまた可哀想な子供なのかな、と僕はぼんやりと思った。

 朝食が済んだあと、僕は自分の部屋を抜け出して、彼女の部屋に向かった。他の病室に入る事は禁止されていたけど、僕は気にしなかった。

 木製のドアを開けると、そこには黒髪の女の子がいて、ベッドの上に半身を起こしていた。思ったより元気そうに見えた。

「だれ?」

 不思議そうに彼女はこちらを見て尋ねた。僕は黙って部屋の端まで行き、窓を開け放った。

「──本で読んだよ。君の病気は冷気を浴びると良いんだって……」

「それは昔の話。今は誰もそんな事信じてない」

「……そっか」

 気勢を削がれて、僕はふたたび窓を閉めた。黄色い朝日の光は床に落ちていた。

 僕は一脚だけ置いてあった簡単な木の椅子に座って、少女を眺めた。少し見ただけではっきりと分かるような病気ののようなものは見当たらなかったけど、やはりどこかアンバランスな、病的の雰囲気がそこにあった。

「……ねえ、なんでガラスなんて吐くようになったの?ふつうの結核患者は血の混じった痰や血の塊を吐くんだって、本で読んだよ」

 僕は「本で」という部分を強調して言った。

「知らない」

 そっぽを向くでもなく、遠くを見ながら彼女はそう答えた。


 僕はその日から毎日のように看護師の目を盗んで彼女の病室に通うようになった。少しずつ少女は僕と会話するようになり、時々は笑い声を上げることもあった。でも、その度に彼女は咳き込み、涙滴型のガラスの破片を吐いた。それはまるでレコードの傷で曲の再生が中断される現象のように僕には思えた。

「ねえ、これってどうしてるの?」

 僕は床に落ちたガラスのかけらを拾い上げ、彼女に尋ねてみた。

「全部捨ててるよ。わたしには要らないもん」

 彼女は少しだけ顔を赤らめてそう答える。

「へえー……じゃあさ、これ、僕がもらっても良い?」

「いいよ。どうせ捨てるものだしね」

 彼女は照れ隠しのようにそう言った。


 僕はその日から彼女の肺が生み出したガラスのかけらを集めるようになった。厨房から失敬したジャムの空瓶にそれを収めるのだ。ブルーベリージャムの瓶は一週間ほどで一杯になった。


 ある朝、僕はいつものように二つ隣の病室に向かった。ドアノブに手を掛ける。がちり、という音と共に僕は手にいつもとは違う抵抗を感じた。ドアには鍵が掛けられていた。

 僕は自分の世話をしてくれている看護師さんに尋ねてみた。彼女はどうしたんですか?


「ああ、あの子ならこのサナトリウムを離れることになったの」


 離れることになった。ひょっとしたら棺で運ばれてですか、と僕は聞こうと思った。でもその言葉は僕の口からは出てこなかった。

 僕は彼女のいなくなった病棟で一人、ぼんやりとしていた。ふと思って、窓際に置いてあったジャムの瓶を手に取った。その中から、あの子が吐いたガラス片の一つを取り出す。それはのこぎりの刃のような形状をしていて、その縁が僕の手指を傷つけた。


 赤い血の雫が僕の中指の腹に現れた。


 僕はその一つだけをポケットにしまい、残りのガラスのかけらたちを瓶とともに療養所の庭に埋めた。最後に、その場所に朝顔の種を蒔いた。



 

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ガラスの花 川上いむれ @warakotani

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