2 私が生徒会長のお嬢様を罵るまでのあれこれ

「えっと、聞き間違いかな?もう一度言ってもらえる?」

「罵って欲しいの!」


 聞き間違いじゃなかった。「罵る」?What’s?


「……まずは、さっき聞きそびれた私の作品に辿り着いた理由をすっきりさせたいんだけど」


 混乱していた私はまず頭を整理したかった。「罵って欲しい」という結末に辿り着くまでの道筋が全く分からない。


「説明したら……お願い聞いてくれる?」

「努力してみる」

「それなら……私ね、あなたのことを調べてみたの。そうしたら成人向けの音声作品とやらを販売してると知って――」

「ちょ、ちょっと待って!」

「どうしたの?」

「どうしたの?じゃないわ!何で私のことなんか調べたの⁉」


 首をかしげるなんてかわいい仕草をしよって。問い詰めると何故か双葉さんは握っていた私の指に自身の指をからませてきた。逃さないと言わんばかりの行動にゾワっとしたものが背中を伝う。


「あのね……この学園の子たちはね、大抵どこかの有名な家庭のご息女だから皆さん顔見知りなの。でも橋爪さんは突然現れた異端者でしょう?不安がる子も多くて」

「う……異端……それは否定できないけど」

「だから生徒会長として一応調べさせてもらったの」

「え?何⁉どういうこと⁉」

「橋爪さんは宝くじのおかげでこの学園にいるから分からないと思うけれど――」

「え⁉宝くじのことまで知ってるの⁉」


 慌てふためく私を見て双葉さんは楽しそうに、でも口元に手を当てて上品に笑っていた。そして生徒会室には二人きりだと言うのに、わざわざ私の耳元に近づいて、囁いた。

 

「お金の力って……凄いんだよ?」


 私の耳からつま先までをゾワゾワっとしたものが走り抜けていった。


「ひぇっ……」


 私は短く悲鳴を上げて固まった。


「それで?私のお願い、聞いてくれるの?」

「へ?お願い?……ってあぁ、罵るってやつ?」

「そう。あなたのことを調べてみて、それで音声作品というのを初めて知って……その声に……一目惚れをするように、一耳惚れをしてしまったの」

「そ、そうなんだ……」


 双葉さんは赤らめた頬に手を当てて、恥ずかしそうに告げてくる。


「そ、そっか……あのー、百歩譲って声を好きになったところまでは分かるんだけど……なんで罵って欲しいの?」

「そうして欲しい、って思っちゃったから」

「えぇ?」


 ママどうしよう。私がお嬢様たちの学園で浮き過ぎたせいで、一人のお嬢様に新しい世界の扉を開かせてしまいそうです。


「お断りします」


 私は丁寧に頭を下げて断った。このお嬢様が開けそうな扉を閉めてあげなければ。


「……じゃあ、橋爪さんは……この学園と、お別れだね」

「へ?」


 双葉さんの冷静な声と思いがけない言葉に思わず顔を上げた。


「私は学園長に報告しないといけないから。爛華女子学園に淫らなものを作って販売している生徒がいるなんてありえないもの……ね?そうでしょう?」 

「え?え?」


 双葉さんは怪しい笑顔を浮かべている。あれ?私、まさか断ったら退学させられる?……これ、お願いじゃなくて、脅され――


「お願い……聞いてくれる?」


 双葉さんは変わらず笑顔を浮かべている。しかし私の真っすぐと見つめる双葉さんの目は、全く笑っていなかった。


「は、はい……」


 こうして私は、私の声“だけ”が好きだという双葉さんを罵しるように脅……お願いされてしまったのだった。



「どうしてこんなことに……」


 あれから双葉さんに解放され、家に着くとすぐにベッドへと力なく倒れ込んだ。


 ――きっかけは親友の奏がハマっていたASMRの動画を教えてもらったことだった。スライムを握る音とか、シュワシュワとした炭酸の音とか。最初はそういうのを聞いていたけれど、色んなものを聞いていたら、物語風の音声作品に出会って……こういうので稼いでいる人たちがいると知ってより深く興味を持った。でも思った以上にASMRに必要なバイノーラルマイクの値段が高くて一度は諦めたのに。


『璃緒!卒業おめでとう!』


 あれは中学を卒業してすぐのことだった。家のローンと私の学費に消える運命となった宝くじの当選金。それでも中学の卒業祝いに一つだけ欲しい物を何でも買ってあげると言われて、私は真っ先に三桁万円するASMRに必要なバイノーラルマイクのことを思い出した。残りの宝くじの当選金は私の学費に消える。ならば私はこれで音声作品を録って売って、三桁万円よりもずっとたくさんの金額を稼ぐんだ!とあの頃の私は意気込んだのだった。


『これが、あの有名な……バイノーラルマイクっ……』


 販売しようと思っていた音声作品のアプリのランキング上位は過激な成人向け作品で占められていた。私は意を決し、そうして成人向け作品を作り、販売を始めたのである。もちろんこの事は誰にも言ったことがない。まさか勝手に調べられてバレてしまうなんて……。


「……はぁー」


 ベッドの上でため息をゆっくり長く吐いた。明日は学校が休みで良かった。週末は両親がいつも出かけているから、一人でゆっくり双葉さんからのお願いを断る方法を考えられる……と思ってたのに――


「お邪魔します」


 翌日。今日は学校は休みである。それなのにえんじ色の制服を着た双葉さんが我が家の前に立っていた。送迎用であろうピカピカの高級車を後ろに添えて。


「なぜここに……ってか何で制服?」


 どうして場所が?と思ったけれど、まぁ住所くらい調べられているか、と思ってしまった私はだいぶ感覚が麻痺しているのかもしれない。


「学校で用事を済ませてから来たから」

「そうなんだ……で?なんで来たの?」

「だって、“お願い”聞いてくれるんでしょう?」

「お願いっていうか、ただの脅し――」

「橋爪さんのお部屋はどちら?」

「え?あ、ちょっと!待って、そっちじゃないから!」


 双葉さんは私の言うことを気にせず部屋を突き進んでしまう。好奇心旺盛なお嬢様ですこと。


「橋爪さんの……ねぇ、璃緒ちゃんって呼んでもいい?」

「へ?あ、うん。どうぞ」

「私のことも名前でいいよ」

「わかった。じゃあ清羅」


 部屋に案内してベッドの上に座ってもらった。私は椅子に座り清羅が部屋を見渡しているのを、なぜか緊張しながら見守っていた。


「ご両親はよくお出かけされているの?」

「週末はほぼ出かけてる。道の駅巡りが趣味で車で遠くまで言っちゃうから」

「道の駅?……どんな所なの?」

「あぁ行ったことない?えっとねぇ、地元の野菜とかが売ってて――」


 あれ?なんか普通に会話できてる。めっちゃ普通の友達みたい。待てよ?この調子で行けば……清羅のお願い、回避できるのでは?


「そんなところがあるのね。行ってみたい」

「じゃあ今度一緒に行こうよ。その土地の特産物を使ったアイスとか超美味しいんだから」

「楽しみね。じゃあ璃緒ちゃん、そろそろ罵ってもらってもいい?」

「流れるように言うことじゃないんだけど⁉」


 ダメだった。清羅は本来の目的を忘れてなんかいなかった。頭を抱える私を楽しそうに清羅は眺めている。私、もしかしてお嬢様のおもちゃにされてる?


「……やらなきゃダメ?」

「学校やめたいの?」

「ぐっ……」


 流れるように脅してくるじゃん。入学金だけでもアホみたいな金額を払っているし、退学なんてしたらママをがっかりさせてしまう……私は深呼吸をしてからもう一度確認した。


「清羅……本当にするの?」

「うん。お願い璃緒ちゃん。あ、そうそう。声はあの音声作品のお姉さんの声が良い」

「あ、はい」


 ――私のベッドの上に腰を掛けている清羅。私は清羅の後ろに回り込むようにして座った。目の前には綺麗な長い髪が垂れている。背筋が伸びていて姿勢が良い。育ちの良さが窺える。


「じゃあ……するよ?」

「うん……あ、待って璃緒ちゃん」

「ん?」

「……手、繋いでいてもいい?」


 断る前に手を掴まれてしまったから、なんとなく断れなくて清羅の手を握り返してあげた。緊張しているのだろうか、清羅の手は少しだけ震えていた。


「じゃあ……」


 私は一度軽く咳をして喉を整えてから、繋いでいない方の手で清羅の右肩を掴み、清羅の髪を耳にかけて、露わになった耳元へと近づいて、そして――


「……罵るって、何を言ったらいいの?」


 罵る言葉が何も思いつかなかった。


「もう!璃緒ちゃん焦らしてるの⁉」

「違うよ!そんなプレイしないってば!ん?いやどのみち?ってそんな話じゃなくて!」


 バイノーラルマイク相手なら慣れたけど対人間だと恥ずかしくてたまらない。これ以上清羅に新たな羞恥プレイをしてしまう前に私は急いでスマホで「罵る(スペース)言葉」と検索するけど……どれが良いの⁉


「えーっと、えーっと」

「……私のお願い、納得いっていないんでしょう?いくらでも言いたいこと、あるんじゃないの?」


 焦る私に清羅が助け舟を出してくれる。確かに納得はしてない。言いたいことかぁ……。


「……分かった。清羅、前向いて」


 もう一度清羅が前を向く。私は再び喉を整え、清羅の耳元に近づく。いつものようにバイノーラルマイクに対してするお姉さんボイスを意識して……囁いた。


「こんなところまで何しに来たの?……変態」


 こんな感じ?清羅の反応がない。何か間違えた?頑張って蔑んでる感じにしてみたんだけど――


「清羅?」


 耳元から離れてみると、清羅の耳が真っ赤に染まっていた。そこで初めて清羅が私にすがるみたいに握る手に力を入れていることに気が付いた。振り返った清羅の顔は赤くて、目は潤んでいた。艶やかな唇がゆっくり開かれて、甘い声が私に届く。


「……もっと」


 ねぇ待って⁉これ、よっぽど「イケナイコト」してる気がするんですけど⁉

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