そして、旅ははじまった

人工夢

第1話 北の道のはじまり



 白い吐息が、朝の空気の中でほどけた。

 8月の北海道。内地では夏の盛りだというのに、ここでは朝晩の空気がひやりとする。

 彼はリュックの肩紐を握り直し、国道沿いの歩道に立った。背中には、年齢らしからぬ、旅の匂いがある。


 ――どうせ、同じ場所に立ち続けても何も変わらない。

 そう思ったのは、ほんの一週間前だった。

 彼は、心の中で常に「どこか遠くへ」という声を聞いていた。安全圏に留まっていると、何か大切なものを見失う気がする。


 「北海道から鹿児島まで」

 そう書いたダンボールの切れ端を、手元で少しだけ持ち上げる。文字は大きく、走り書きだが読みやすい。細かい装飾やデザインなどどうでもいい。重要なのは、「伝わること」だ。


 最初の車が通り過ぎる。

 二台目も、その次も。

 だが、焦りはなかった。旅は、始まる瞬間よりも、その過程で何が起こるかの方が面白いと物語に教えてもらったから。


 やがて、一台の古いワゴン車が彼の前でゆっくりと減速した。窓から顔を出したのは、初老の男性だった。

 「どこまで行くの?」

 「本州まで行きたいです」

 自分でも驚くほど声が落ち着いていた。


 男は笑って、助手席のドアを開けた。

 「じゃあ、最初の一歩だな」


 彼は軽く会釈して乗り込む。

 ワゴン車が動き出し、見慣れたはずの街が少しずつ遠ざかる。

 これから訪れる見知らぬ土地、出会うであろう見知らぬ人々。

 不安よりも、胸の奥に広がるのは、確かな高揚感だった。

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