ひぐらしとしたい

れいとうきりみ/凪唯

ひぐらしとしたい

 ヒグラシがなく憂鬱な夕暮れ時に、僕は君に会った。森の中の川の傍で。君は名前を教えてくれなかったが、毎日同じ場所で会うことはできた。最初は僕のことが嫌いなのかと思っていたけど、毎日会えるあたり、まんざらでもないようだった。

 僕は彼女にたくさん話した。夏休みだから毎日休みでうれしいこと、学校でいじめられてること、母が話を聞いてくれないこと…。いつしか彼女が僕の心のよりどころになっていった。彼女は笑わない無表情な人だったが、時折風が吹いたときなど口角が上がっているように見えた。

 「それで今日もお母さんにご飯もらえなくてさ。でもここで君と話してたら空腹なんて忘れられるんだあ」

今日もいつものように彼女と話していると、彼女の頭にヒグラシが止まった。

 「ねえ。名前、教えてくれないならさ。次からひぐらしちゃんって呼んでいい?」

彼女は頷かなかったが、僕は勝手にそう呼ぶことにした。


 「やっぱ夏休みだからさ、こんな田舎飛び出して都会とか行きたいよね!東京とかさ」

 僕は持参したノートを取り出す。

 「ちょっとでも楽しい時間を感じるためにさ、このノートに夏したいことを書こうよ。名付けて『したいノート』!」

僕の声は森中に響くほど大きかったが、彼女には届いていなかったようだ。

 「他にも、遊園地に行くとかどう?大きくて一日じゃ回れないほどの」

風が吹いた。

 「そっか!じゃあそれも書いておこう」

 決して綺麗ではない字を、真っ白できれいなノートの新しいページに書く。

 「町から出なくても、この森でこうして会うだけで幸せなんだけどね」僕はまた付け足した。

 僕が書き終え彼女を見ると、また頭にヒグラシが乗っている。虫が怖くないんだな。

 「最近ずっとヒグラシが来てくれてるね。お友達になりたいのかなあ」

僕は彼女とヒグラシを見つめる。

 ふいに5時の鐘が鳴る。

 「ほんとはもっといたいんだけど、家に帰らなくちゃ。じゃ、また明日」

ヒグラシが悲しい音色を立てて鳴いている。僕はそれを背中で聞いた。


 「今日も遊びに来たよ」

僕は彼女に挨拶を告げた後、すぐに異変に気付いた。傍でひぐらしが死んでいる。

 「…そっか。楽しかったよ。ありがとう」

僕は最期のあいさつを告げて、山を下りた。川の傍にはヒグラシと、腐敗して白骨化した少女の死体が転がっていた。

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ひぐらしとしたい れいとうきりみ/凪唯 @Hiyori-Haruka

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