心中ディルージョン
音翔
ナンセンス
20XX年 6月13日 橋の上
そこには、「先客」がいた。
子供の数が両手に収まるほどの田舎町。
とあるネット掲示板で有名な自殺スポット。
横道にそれて、森を進むと現れる、古びた鉄製の、車1台ほどが通れる幅が狭い橋。
それなりに高さがある橋の下では、連日の土砂降りで勢いを孕んだ川が、命を貪る龍のように、ごうごうと、唸りをあげている。
そして今にも、橋に足を掛けて、飛び降りそうな男が1人。
背が高く、紺色のスーツを身に纏っている。
男は、5歩分離れた場所に立ち止まっていた私を見つけて目を輝かせた。
私にとっての5歩を、2歩で歩き切ると、無気力に垂れた私の両手を掴んで、
「一目惚れしたっす!僕と心中しましょう!」
笑顔で、そう言ってきた。
イケメンの笑顔ほど、目の保養になるものはない。
だが、そんな場合ではない。
――一目惚れ?心中?何言ってんの?こいつ
手を振り解こうにも、力が強くて敵わない。
「お嬢さん、自殺しに来たんすよね?」
「今日は6月13日なので、僕と心中すれば、確実に死ねるっすよ」
「良かったっすね〜」
「は、はぁ?」
「意味わかんない。手ぇ離して」
意外にもあっさりと手を離され、ふらついた私を、男が支えた。
「危ないっすよ~?」
「気をつけないと、死に損なうかも」
「な、なんなの?」
「あんた誰よ?」
腰元にあてられた男の手を振り払い、半歩下がる。
自殺しに来たのは事実だが、他にも人が居るなんて予想外だ。
ましてや、「心中」を申し込まれるなんて。
「僕の名前は
「かの有名な太宰治くんが6月13日、入水して亡くなったっすから、僕も今日死にに来たんすよ」
「は?」
「これまで僕は、判明している限り、彼が自殺未遂した日付に、同じことをしてきたんすけど、どれも失敗してぇ」
「え、意味わかんない」
話を聞いている限りだと、この男は、文豪太宰治の自殺を模倣していることになる。
過激なファンでも考えられない、愚行といえるだろう。
理解不能の連続で、私は冷静さを極めるばかりだ。
「僕ぁそういう設定の登場人物なんすよ」
「設定ってどういうことよ」
「考えたことないっすか?」
「もし、この世界が誰かが創り出した物語だった
ら」
「みたいな?」
男は、いるはずの無い物語の作者を、天を指差す。
「僕はその物語で、太宰治の大ファンの女の子を好きになって、彼女にどうにか好かれようと彼の模倣をしようとするが、自殺未遂以外に出来ることがなくて、分別が出来なくなる程その方法に取り憑かれてる」
「って設定の登場人物なんすよ」
「長いし、センスなくて、なんか哀れね」
「そうでしょう?そうでしょう?」
「おまけに、僕ぁ一緒に心中してくれる人いなかったんで、あんまり、太宰治の真似出来てないんすよ」
「とうとう、これがラストチャンスっ」
「ということで、お嬢さん、僕と心中してください!」
まるで、「僕と付き合ってください!」とでも言いそうなポーズで、男は手を差し出す。
容赦なく、その手を払った。
「ダメっすか〜」
そう言いながら、スニーカーを脱ぎ始める。
「じゃあ、僕、これから飛び降りるので」
「躊躇わないの?」
「さぁ?僕はそういう設定っすから。たぶん!」
眩しいくらいの笑顔。やはり顔は良いのだ。
男は、スニーカーを並べて置き、橋に手をかけた。
今、目の前で、理解し難い理由で、人が命を投げ出そうとしている。
男の言う「設定」を信じた訳ではないが、彼がこのまま死ぬのは、残念な気がした。
橋へ来た時と変わらず、川は、ごうごうと唸る。
こんな自分にも、できることがあるのだろうか。
私は、男の左手を掴んだ。
「どしたんすかー?」
「あ、一緒に飛び降ります?やっぱ一人は怖いっすよね」
男が顔を、こちらへ向ける。
さっきの笑顔は跡形もなく消え去り、なんの感情も読み取れない顔をしていた。
「たとえ、設定があったとしても、覆すのはアリだと思うの」
「ん?何の話っすか?」
今、この手を離さずにいられたら、自分の抱えている問題もどうにかなるような気がする。
脈絡がなくても良い、ただ思う言葉を連ねた。
「もし、あんたが物語の登場人物でも、意思があるのなら、別の生き方をしてもいいって思う」
「一緒に飛び降りることはできないけど、一緒に探してみるのは、どう?」
「でも、お嬢さん、自殺しに来たんでしょ?いいの?」
「うん。あんたを見てたら、目が覚めた」
「そうっすか」
そう言って、男は橋にかけていた手を下ろした。
「ところで、お嬢さんはなんで死にに来たんすか?」
「ホストにどハマリして、借金で首が回らなくなったから」
「うわぁ……」
たとえ、救いようのない設定でも、意思がある限りは、自分で変えられる。
そんな気がした。
心中ディルージョン 音翔 @oto_yomuyomu
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