第12話 透声
――14:12|MoRS本部『幽世』・解析セクター
「これは……?」
雪乃が指先をかざすと、ディスプレイに映る映像が切り替わった。
映っていたのは、少女の部屋とされる空間
市内の古びた団地、外れの一室だった。
「MoRS構成員による非侵入型センサードローンの記録。家族の姿は一度も確認されていないが、生活痕跡はある。……つまり、誰かが“同居しているように装っている”」
室内は整理整頓され、まるで“誰かに見せる”ことを前提としたような不自然な清潔感があった。
しかし一方で、冷蔵庫の中は空。電気メーターは停止。ゴミ袋も出されていない。
「雪乃、この少女、どうやって生活している?」
「……食料の購入履歴は確認されていません。電子決済の形跡もなし。ただし、部屋の一角にあったノートパソコンから、《非公開ウェブサーバー》への匿名接続記録を発見しました。リダイレクト先は──“死者の声”と銘打たれた掲示板群」
「またか...」
大佐の声に、わずかな苛立ちが混じる。
「“声なき者たち”のネットワーク。死者に成りすました投稿、人格の模倣、そしてそこに混じる、偶発的な“真実”……」
《非公開ウェブサーバー》といえど、深層の中では浅い部分にそのサーバーは存在する。
大半が変わった趣味趣向を持つ人物によるなりきり投稿で構成されており
同じ趣味をもつもの同士がかかわる場所となっている。
しかし、近頃は一定の組織的動作を行っており、将来的に危険団体と化す可能性があるサイトだ。
MoRSは以前、このサイトに触発された若者がカルト的儀式を行うため、複数の殺人を行っていた事件を調律したことがあった。
「ここを起源とする可能性があると…」
「ええ。そこに“しずめ”というキーワードが複数回登場しています。
──ただし、全て別人の手によるものと判断されました」
「なのに、文体が一致している」
「はい。しかも、全ての投稿に共通しているのは“誰かに見られている”という意識。
これは……自己の内部で情報を反響させ、無限の鏡像を生む構造です。この掲示板空間自体が、一種の“観測装置”になっている可能性があります」
「つまり、誰かが少女に情報を与えているのではなく、彼女が情報を“呼び寄せている”」
雪乃は小さく頷いた。
「しかも、それは極めて無意識的な現象です。彼女が意図せず投稿した“しずめ”の断片が、他の人間の精神構造に波紋を起こし、それがまた彼女に反響して戻ってくる。
そのループの中で、“しずめ”というワードが独自の“命”を持ち始める……」
「ミームが人格を持ち、発信者を育て始めたいうことか」
彼女の中にあるのは、しずめという概念そのものである。
その事実は、同時に本来の人格が壊されたことを意味している。
大佐はもちろん、雪乃もその事実を理解しており、それゆえに憤りを隠せなかった。
「“情報に生かされている人間”という、非常に不安定な構造です。彼女が崩れれば、しずめも崩れる。彼女が強くなれば、しずめもまた“進化”する」
“死者の声”はさながら増幅装置として機能している。
以前の事件は、サイトを見たものが触発された形だったが、少女の件は別だった。
少女がサイトを媒体に“しずめ”という概念の増幅を行っている。
沈黙が、ふたりの間に落ちた。
それは、単なる分析では語りきれない、感情の領域に踏み込むための“静寂”だった。
「……まるで、彼女は“生まれてきた意味”を、情報に委ねているみたいだな」
「はい。彼女にとって《しずめ》とは、自己定義そのもの。
“存在してもいい”と世界に許可を得るための、名札のようなものです」
「おそらく、彼女にとってそれが本来の人格が破壊されたものだとしても
すでに《しずめ》という概念が彼女を生かしている。」
「その可能性は非常に高いでしょう。もしも《しずめ》を否定し、本来の彼女を
呼び覚ましたとしても、彼女は生きられない。」
「雪乃──この少女を、観測だけで済ませられると思うか?」
「……正直に言えば、困難です。彼女はもはや“観測される存在”ではなく、“観測を利用して存在を拡張する概念”です」
「つまり……」
「敵がそれを利用すれば、“しずめ”はただの言葉ではなくなる。自己肯定と承認欲求の交差点に生まれた“心理誘導型情報兵器”として、世界の均衡を崩す可能性があります」
自然に発生した“しずめ”を“敵”が利用していたとしても
“敵”が一から“しずめ”を作っていたとしても
どちらにせよ、精神的に未熟な少女を何の躊躇いもなく使用する。
それだけで大佐が業を煮やすためには十分だった。
大佐は視線を落とし、眼鏡型HUDのフレームを指先でなぞる。
そこに宿るのは、判断を迫られる者の沈黙。
そして、責任の重さ。
「次の段階に移行しよう。観測は続けつつ──少女の情報構造を“解読”する。
その結果次第では、雪乃……」
「はい」
「……彼女を、保護対象に切り替える」
大佐のその言葉は、彼女が《しずめ》であることを受け入れるということだった。
破壊された本来の彼女が二度と戻らないとしても仕方がない。
肉体があるのであれば精神が違っても構わないともとれるそれは
人権団体に訴えられようと言い訳の出来ないことだ。
しかし、死んでしまっては何もできない。
苦渋の決断だと知っていた。
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