見たい未来

奏鳴

約束された未来は変えられる


時瀬透は、昼休みの教室でひとり窓際に座っていた。

外の光がやわらかく差し込み、教室は弁当を広げる声や笑いで賑わっている。


透は静かにノートを開き、課題に目を落とした――その瞬間、胸の奥をざわめきが突き抜けた。


「……まただ」


視界が歪む。ノートに並ぶ文字、窓の外の青空、友人たちの笑い声――どれも「前に見た」気がして、息が詰まる。


透は目を閉じ、深呼吸をする。だが消えない。

数日前にも同じ感覚に襲われた。まるで記憶が幾重にも重なるように。


(今が初めてのはずなのに……)


机の上の手を握りしめる。耳に届く声や差し込む光は変わらない。けれど胸の違和感だけは消えなかった。――まるで未来を知っているかのように。



放課後。透と悠人は並んで歩いていた。秋の空気は澄み、風が頬を撫でる。


「昨日の映画、マジで面白かったんだよ」

悠人は笑いながら透を見やる。


「へぇ、どんな映画?」

透が気のない返事をした瞬間、胸が凍った。


――今、見た。


足が止まる。信号が青に変わり、人々が横断歩道へ進む。


視界が揺れ、頭の奥に光景が流れ込む。

悠人が一歩踏み出す。そこへ――猛スピードの車。


「――悠人、危ない!」


透は腕を掴み、全力で引き寄せた。直後、車が風を切り裂き二人の前を駆け抜ける。


ブレーキの悲鳴。道端に停止した車から運転手が青ざめた顔で何度も頭を下げていた。だが透にはそれを気にする余裕はない。


悠人の腕を握ったまま、冷たい汗が背を伝う。――もし掴んでいなかったら。


「……お前、今、何があった?」


息を切らした悠人の視線が突き刺さる。


「ただの偶然だよ」

透は肩をすくめて笑ってみせる。だが震えは隠せなかった。


悠人は冗談めかして笑い、すぐにまたくだらない話を始める。透は横でその顔を盗み見た。生きていることがただ嬉しくて、胸の力が少し抜ける。


(今は……こいつと一緒に笑っていたい)



夜。透は机に突っ伏して考えていた。

あれは偶然ではない。何度も繰り返してきた「既視感」と同じ。


(俺の目は、未来を見ている……?)


もしそれが本当なら――あの目は誰かを救えるかもしれない。


悠人の笑顔がよぎる。守れたことが誇らしく、同時に恐ろしくもあった。


「……使えるのか、この目を」


呟きは夜に溶けた。



翌日の放課後。透の視界が突如暗転する。


光と音が頭を裂き、意識が引き込まれた。


――駅前。制服姿の人波。轟音。爆炎。黒煙。逃げ惑う人々。倒れる学生たち。血に染まる悠人。


「……っ!」


透は立ち上がった。喉が渇き、呼吸が荒い。今のは幻じゃない。“未来”だ。


(あれが来る……?)


昨日のように救えるかもしれない。そう思った瞬間、拳が震えた。


「やるしかない」


夜風がカーテンを揺らす。未来は変えられる。――透はその思いを胸に刻んだ。



翌朝。透は未来視で見た光景を反芻していた。

――駅前の喧騒、爆音、黒煙。血に倒れる悠人。


(あれは五日後に起きる……でも、どう防げばいい?)


ノートに場所や時間を書き出しても答えは出ない。焦燥だけが胸に積もっていく。


「……透、大丈夫か?」


振り向くと、悠人が立っていた。心配そうな目がまっすぐ透を見ている。


「最近変だぞ。何かあったなら言えよ」


「……大したことじゃない。ただ考えごとしてただけ」


「嘘だな。顔色悪い」

悠人は眉をひそめ、それ以上は言わず肩を軽く叩いた。

「無茶だけはするなよ」


その声が胸に突き刺さる。透は答えず、ノートを閉じた。


(ごめん……全部一人でやるしかない。でも、どうすれば)


拳は小さく震えていた。



三日間、透はほとんど眠れなかった。ノートに何度も同じことを書き殴り、どうすればあの未来を変えられるのか考え続ける。だが答えは出ない。


駅前に人が集まる時間、爆発の規模、逃げ惑う人々――そして倒れる悠人。

思い出すたび胸が締めつけられた。


(俺に……防げるのか?)


四日目の放課後。教室に残った透に声が飛ぶ。


「なぁ透……一人で何抱えてんだよ」


悠人だった。普段の軽さはなく、真剣な眼差しで見つめてくる。


「最近ずっと変だったよな。顔色も悪いし、何か隠してるのくらいわかる」


透は言葉を失い、視線を逸らす。

「……言ったって、信じてもらえない」


「信じるさ。俺はお前の親友だからな。それに――」悠人は少し笑みを浮かべ、すぐ真剣な声に戻した。「お前だけに任せるつもりはない。一緒に背負うから言えよ」


透の胸が揺さぶられる。唇が震え、声が漏れた。


「……四日前に見たんだ。駅前で事故が起きる未来を。黒煙が上がって、人が逃げ惑って……お前が血に倒れてた」


悠人は息を呑み、それでも笑い飛ばすことはなく言った。

「……そうか。じゃあ、俺たちで防ごうぜ」


「……え?」


「一人じゃ無理でも二人ならできるかもしれない。困ってる人がいたら周りだって動く。だから――一緒にやろう」


透は長く胸に溜めていた息を吐き、小さく頷いた。

「……うん、ありがとう」


恐怖は消えていない。だが悠人となら――そう思えた瞬間、胸に小さな光が灯った。


決意は固まった。明日、未来を変えるために動き出す。



五日目の夕方。駅前は人で混み合っていた。広場を包むざわめきと電車のアナウンス。――あと三十分で未来が来る。


「……透」


悠人が駆け寄ってきた。笑みを浮かべつつも、目は真剣だ。

「見えた場所まで行こう。何かわかるはずだ」


二人は肩を並べ、未来視で見た広場の一角へ向かう。


透の記憶と寸分違わぬ景色。ガラス張りのビル、バスロータリー、ベンチの学生たち。背筋に冷たいものが走る。


「……ここだ」


そのとき、不自然な影が視界の端に映った。黒いリュックを背負った男が広場の隅でしゃがみ込み、何かをいじっている。


(あそこだ……未来で爆発が起きた場所!)


悠人も気づき、声を低くする。

「……まさか」


透は唇を噛み、うなずいた。未来で見た黒煙と倒れる悠人の姿が脳裏に蘇る。


(まだ間に合う……!)


「俺が行く。止めないと」


「危険すぎる!」


「悠人は周りの人を遠ざけてくれ。爆発が起きたら、多くの人が巻き込まれる。避難させられるのはお前しかいない」


悠人は言葉を詰まらせ、それでも強く頷いた。

「……わかった。でも無茶すんなよ」


「……うん」


透は人混みを抜け、男に歩み寄る。

「……そのバッグ、爆弾だろ?」


男の指が止まり、薄笑いが浮かぶ。「……ガキが、何を知ってる」


背筋が凍る。だが逃げない。次の瞬間、視界が白く塗りつぶされた――未来視。


赤いスイッチに指を伸ばす男。直後に広がる爆炎。


「――やめろ!!」


透は飛びかかり、男の腕を押さえ込む。必死でリュックを奪い取ろうとする。


「この辺の避難は済んだ!」

背後から悠人の声。汗をにじませ駆け寄ってくる。


悠人の目がリュックに吸い寄せられる。次の瞬間、透と男の間に割り込むと取っ手を掴み、川沿いの柵へと駆けた。


「貸せッ!」


ゴォンッ、と重い音。リュックは水面に沈み、爆炎は水に呑まれて拡散した。


人々の悲鳴が静まり返る。透はへたり込み、悠人の背中を見つめた。


(……未来が、変わったんだ)


男は警察に連行され、川には破片が漂う。透は全身の力が抜け、胸に確かな安堵が広がった。


悠人が肩で息をしながら歩み寄る。「……終わったな」


透は小さく頷いた。悠人は川を眺め、それから透を見る。


「お前、本当にすげぇな。飛びかからなかったら、ここにいる全員……」


透は目を伏せ、静かに答える。「……俺だけじゃない。悠人が避難を呼びかけて、最後に投げてくれたからだ」


悠人は口元をゆるめる。「ったく……心臓に悪いぜ。でもよ、親友がそんな力持ってんなら――これからも安心だな」


「……安心、か」

透は空を見上げた。煙の奥に青空が覗く。


(未来は……変えられる)


胸に灯った確信が透を奮い立たせる。恐怖も不安もある。けれど守りたいものがあるなら――きっと進める。


「……うん」

透は小さく笑い、悠人に頷いた。その笑みはこれからの決意を示すものだった。


「なぁ、透」

悠人が穏やかに言う。「お前ひとりで背負い込むなよ。困ったら、俺がいる。……親友だろ?」


透は笑みをこぼした。ずっと一人で抱え込んでいたが、悠人が隣にいる。それだけで胸の重さが軽くなる。


「……そうだな。ひとりじゃない」


未来は恐ろしい。何が起こるのか、完全にはわからない。だが隣に頼れる存在がいるだけで――救える未来がある。


透は空を仰ぎ、深く息を吸い込んだ。そして静かに、しかし確かな声で呟いた。


「これからも……守ってみせる。どんな未来でも」


澄み渡る空の下、二人は肩を並べて歩き出した。その背中は、これから先の未来を変えていけると信じられるほど、力強かった。

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見たい未来 奏鳴 @kn_narukana

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