第9話

【9】


 次の月曜日。喫茶エルノーの定休日。

 奏太は放課後に、結翔と待ち合わせをしていた。

 向かうと結翔は既に待っていた。エプロンはしていないが、白いシャツに黒いスキニーパンツで、普段の印象とそう変わらない私服だ。

 「お待たせしました」

 「時間ぴったりだよ。じゃあ、行こうか」

 向かうのは、ポール・エルノーが経営する飲食店だ。

 一番近い日にちで暇を尋ねたところ、今日の夕方を指定されたとのことだった。


 ポールの店は、奏太達の町の、隣町にあった。少し時間がかかったが、喫茶エルノーから、歩いて行ける距離だ。

 「ここだよ」

 示されたのは、住宅地の中にある、小さくも大きくも無い洋食屋。店の前に出されたメニューを見ると、昼間は一般的な価格でランチを出し、夜は本格的なフレンチを食べられる店のようだ。

 

 カランカラン


 ドアを開けると、取り付けられたカウベルが音を立てる。

 入り口付近は四人掛けや二人掛けのテーブル席が、八つほど並ぶ客席。奥の厨房前には、少しカウンター席もあるようだ。

 夕方の今は、店は客がおらず、厨房で三人のシェフが下ごしらえをしているだけだった。

 それを、腕組みして見つめる、長身の外国人が一人。

 「ポールさん、こんにちは」

 結翔が声を掛けた。

 長身の外国人――ポールは、パッと振り向き、笑顔を浮かべた。

 「ユウト! 待っていました! こっちへどうぞ!」

 ポールは厨房から出ると、店のさらに奥を示した。

 ついていくと、そこはこぢんまりとした、四人掛けの個室だった。

 「座ってください。あなたは、堤クンですね?」

 「あ、はい。堤奏太です」

 奏太がぺこりとお辞儀をする。

 「Paul(ポール) Ernaux(エルノー)です。妖精をみつけてくれて、ありがとうございます」

 そういわれて、妖精を取り出そうとする奏太。

 しかし、結翔が手をかざして、ストップを掛けた。

 個室の戸が開いて、ホールスタッフがアイスコーヒーを三つ持ってやってくる。奏太の分には、ミルクとガムシロップがついていた。

 ポールが笑顔で促す。

 「うちの自慢のブレンドコーヒーです。どうぞ」

 奏太はストローを出し、早速一口すする。

 香ばしくて、苦みが強く、コク(・・)の強い味だ。ケーキなどと合わせるより、これ単体で楽しむものだろうと感じた。奏太には苦すぎて、ガムシロップとミルクを入れる。

 苦みがまろやかになり、飲みやすくなっただけで無く、ミルクとコーヒーの香りが調和して、とても優しい香りがした。

 「おいしいです」

 奏太は素直にそう言った。

 「ユウトのコーヒーとどちらがおいしいですか? 私、負けないように作りました」

 「ちょっと、奏太君を困らせないで」

 ポールが期待した目で彼方を見る。結翔は苦笑して宥(なだ)めた。

 奏太は真顔で答える。

 「二つとも全然違います。佐々木さんのは飲みやすくて、すぐ飲み干しちゃうけど、これはゆっくり時間をかけて飲むものだなって思います」

 「奏太君、大人だね」

 結翔が感心して言った。

 「勝てなかったです! ユウト、上手になりましたね」

 「いえ、まだまだです」

 ポールが結翔を讃(たた)えるが、結翔は笑顔でそう答えた。


奏太は改めて、ポケットから青妖精を出した。

 青妖精は飛び上がって、三人の顔を見渡す。それから、奏太の肩に座って落ち着いた。

 ポールは、パンパンと拍手した。

 「おお、本当にFée(フィ) bleue(ブル)……! 安心しました、カナタと仲良しなのですね!」

 「いえ、俺は何も……」

 奏太が頭をかくと、ポールは両手を肩の高さに広げ、少し呆れ顔をした。パリジャン(・・・・)な容姿のため、そんな仕草もとても様(さま)になる。

 「日本人は、〝無〟を良いとすることがある。もっと笑った方が素敵ですよ!」

 奏太の無表情が気になったのだ。奏太は驚いたり、焦ったりしたときでも、あまり表情や態度が変わらない。

 奏太は再び頭をかいた。

 「それはそうなんですけど、生まれつきこうで……」

 「そうなのかい?」

 結翔が意外そうに言った。十三歳という年頃のせいだと思っていたのだ。

 奏太は『はい』と頷(うなず)く。

 「両親いわく、赤ん坊の頃だけ泣いたり笑ったりして、幼稚園の頃にはすでに、ほとんど顔に出ないようになってたらしくて。両親は、自分たちが仕事ばかりで構えなかったせいだって悩んでますけど、俺は単にこういう性分なだけで、別に困って無くて」

 『ただ、』と奏太は言葉を続けた。

 「色々気にならない分、気にして悩む人とかの気持ちが、分からなくて。冷たいこと言っちゃうこととかあるから、それだけが申し訳ないです」

 「そうだったんだね」

 結翔は思わしげに言った。

 ポールもいつしか、真剣な顔で聞いていた。

 「でも、奏太君の年頃なら、感情の出し方が解らなくなる子は多いから、時間が解決してくれる所もあるかもね」

 結翔が提案するように言う。

 それに、ポールも頷く。

 「きっと変われます。相手の気持ちを解りたい、カナタの気持ちはとっても素敵。きっと解るようになれます。結翔だって、この六年でとても変わりました」

 「ちょっと、ポールさん」

 結翔は苦笑いでポールを制した。

 しかし奏太は大真面目に頷く。

 「確かに、子供の時からそんなに落ち着いてたわけ無いですよね。どんな子供だったんですか?」

 「奏太君まで……」

 「ユウト、それにシキは、最初とっても怖かったです。夜になると街に行って、喧嘩ばかりしていました」

 ポールは懐かしそうにする。

 奏太は真顔のまま驚いた。

 「えっ。不良だったってことですか」

 「まあ、そうだね」

 結翔は観念したように話し出した。

 「僕と志希は一八歳だった。進路のことや家庭のことで、うまくいかなくて、夜に繁華街へ繰り出しては、悪さばかりしていた。そのとき、声を掛けてくれたのが、街でフレンチレストランをしていたポールさんだったんだ」

 「まさか、喧嘩を止めてくれたり?」

 「そうじゃないよ。『ご飯を食べていかないか』って言ってくれたんだ。ポールさんは何人もの若者にそうやって声を掛けていた。その中で、僕と志希は『タダ飯(めし)だから』って居着くようになってね。ポールさんと一緒に夜食を食べるようになった。それから、色々話すうちに、店でバイトさせてもらえることになって。料理を教わって、飲食業でやっていけるように、鍛えてもらったんだ」

 結翔はいつしか穏やかな顔をしていた。懐かしい、暖かい時間を思い出して。

 今度は奏太が思わしげに頷く。

 「それで、ポールさんが師匠なんですね」

 「本当は、師匠なんて言葉じゃ足りないくらいだよ。親以上に感謝している」

 「親に感謝できるようになるのは、自分が親になってからですからね」

 ポールさんがハッハッハと笑った。

 奏太はまだ結翔に質問をする。

 「なんで普段はポールさんって呼ばずに、エルノー氏って言ってるんですか?」

 「うーん……例えば、奏太君は両親の話をするときに、お父さん・お母さんって言うかい? 父・母っていうだろう? そんな感じかな」

 「なるほど……?」

 奏太は、『要は照れくさいのだろうか』と思ったが、それは口に出さずにおいた。


 「それで、残りの三匹の妖精だね」

 結翔が話を切り替えた。

 「紫に、赤と白。問題は、彼らから取り上げられたとしても、保持できる人員が、こちらに居ないことだ」

 「妖精って、一人二匹までしか持てないんですか?」

 奏太が今更ながらに尋ねる。

 結翔は顎(あご)に手を当て、思案顔になった。

 「前例がないから解らない、というのが正直なところだね。ひょっとしたら持てるのかもしれない。でも、現状二匹までしか持った人が居ない」

 「そうか。じゃあ取り上げても、どうしたらいいのか……瓶に帰ってくれそうにはないですよね」

 「そうだね」

 考え込む結翔と奏太。

 そんな二人を前に、ポールだけが明るく笑った。

 「大丈夫です。きっと上手くいきますよ! 信じましょう」

 (何を根拠に……お国柄的に、〝神の采配を信じよう〟ってことかな)

 奏太はつい半眼になってしまう。根拠の無い気休めだと思った。

 けれど、ポールは心底『大丈夫だ』と思っているようで、ニコニコしている。

 ポールに会ってから少し変わった郁を、奏太は思い出した。

 (確かに、不安がるのが馬鹿らしくなってくる人だな)

 奏太自身が馬鹿らしくなりながら、コーヒーをすすった。


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