第6話 想いはひとつにならねども


 帝都の賑わいに心ゆくまで浴し、宮殿に戻る頃にはすっかり寝支度が調えられていた。

 湯浴みを終えて柔らかな夜着に身を包み、寝台に横たわると、メルティナの口からは大きなあくびがこぼれた。町にいる間は気にならなかったが、足も棒のようでどっしりと重たく、体の芯から疲労が押し寄せてくる。

 だがそれは心地よい疲れで、満ち足りた余韻に、心はふわりと浮かんでいた。


 枕辺には、カエルの置物が淡い光をたたえて、お座りする。光に照らされたメルティナの横顔は、かつてアズと過ごした日に返り、穏やかな微笑みに彩られた。

 しばらく一人でゆったりとカエルを眺めていると、寝室の扉が開き、アルベリオスが入室してきた。

 枕元の光に、彼も目を細める。


「ここに飾ったのか」

「ええ。とても心が安らぐ光で、夢の狭間まで誘ってくれそうでしたので」


 愛おしげにカエルを撫でる手を見ていると、アルベリオスはくすぐったい気持ちになる。

 メルティナは畏まった様子で膝を折り、彼に向き直った。微笑みながら、深く頭を下げる。


「本日は有意義な時間をありがとうございました。市井の空気を感じられて、こんなに素敵なものにも出会えて、とても楽しかったです」

「わたしも、あなたの笑みが見られてよかった」

「後日、マホロ様にお手紙をしたためてもよろしいでしょうか? 本日のお礼もお伝えしたいですし、今度は蛍光石を作る過程も見学してみたいのです」

「ぜひ思いの丈をぶつけてやってほしい。彼女もきっと喜ぶ」

「ありがとうございます! マホロ様のお好きなお色は何でしょう。どんな便箋をお喜びになるでしょうか」


 高揚を隠せず、メルティナは興奮気味に身を乗り出す。

 その拍子に、ゆるやかな夜着の襟元がふわりと開き、白い肌が灯りに照らされた。柔らかな膨らみをなぞる影は、無垢な仕草に似つかわしくない艶やかさを添える。

 アルベリオスは息を詰め、咄嗟に視線を背けた。


「……いつもの夜着とは雰囲気が違うようだが」

「こちらは本日、ラキァが仕立て屋で選んでくれたものです。繊細なレース編みと絹の光沢が、芸術品のようではございませんか」


 よく見えるように腕を広げると、ふわりとした袖に青い光が反射して、寄せては返す波のように煌めいた。


 衣装よりも彼女自身に見惚れてしまうアルベリオスだが、視線の置き場には困ってしまった。いつもより薄地のため、臍のくぼみまではっきりと輪郭を主張して、秘めやかな想像を掻き立てる。

 この美しい夜着の紐を解き、白い素肌に触れられるのは自分だけ――そう思うと、ごくりと喉が鳴った。その肌に身を沈めたくて、たまらなくなるのは本能だ。


 理性の鎖をかろうじて繋ぎながらも、彼はメルティナを抱き寄せた。

 寝台がかすかに軋み、帷に揺れる影がひとつに重なった。睫毛さえ触れ合えるほどに顔を寄せれば、吐息も熱を帯びる。


「疲れているのを承知で、すまない。我儘を許してくれ。少しでいい、あなたに触れたい――」

「……我儘を申しているのは、いつだってわたくしにございます。今宵はどうか、陛下の望みを叶えさせてください」


 その言葉に、アルベリオスの胸奥は震えた。腕に閉じ込めた愛しい温もりに、理性も甘く解けていく。

 しかし――不意に気配を感じて視線を上げると、枕辺でカエルがじっ……と見つめていた。わずかな後ろめたさを刺激する、きょとんとした面構えにアルベリオスは顔をしかめる。


(無力だったカエルわたしはもういない。今度こそ、この手でメルンを守るんだ)


 カエルに手を伸ばし、背を向けさせるように置き直した。いたいけな視線が退くと、アルベリオスは躊躇いを捨てて唇を重ねた。


 帷の内に、柔らかな光と灼けつく熱情が交差する。

 四肢の稜線を慈しむように辿る指先が衣の端をさらい、絹の擦れる手触りが彼の耳を甘くくすぐった。

 狂おしく脈打つ鼓動に息が追いつかず、呼気を共有するように唇を貪れば、吐息はますます乱れるばかり――。衣擦れとかすかな声が空気を震わせ、夜を深く、甘く染め上げていく。


 蛍光石の明かりが柔らかく寄り添うなか、温もりは蕩け合い、やがて境もなく一つの熱に結び合った。






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次章に続く



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