第5話 青いカエル


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 日が傾いても、帝都の賑わいは静まることはなく、ひとつひとつとともり行く魔光石の明かりで、いっそう華やかに息づき始めたくらいだ。

 名残惜しくも、そろそろ帰途に着こうとしていた時、メルティナの目がふと、一つの店先に留まった。


 張り出し窓の硝子越しに、造形の凝った置物が並んでいる。宝石のようにつるりと磨かれた置物は、どれも色とりどりに淡い光を、自ら発して輝く。

 蓄光石にしては澄んだ材質で、その美しさにメルティナはすっかり見惚れた。


「これは蓄光石と魔光石を掛け合わせた、蛍光石の工芸品だ。帝都土産として定着させていくつもりで、売り出しているところなんだ」


 小さく囁かれて隣を見ると、アルベリオスの横顔が間近にあった。瞳の中に、鮮やかな光が星のように瞬く。メルティナの目には、軽装も相まって、夢を追う少年のような高揚した表情に映った。


「旦那様が、お考えになったのですか」

「いや。ここの工房主が生成し、築いた技巧だ。わたしはその売り出し方に、少し口を出しただけだ。――まだ時間はある、覗いていこう」


 店内には大小様々な蛍光石の置物や装身具が、手に取ってもらうのを待つかのように、不思議な魅力を放って並んでいた。メルティナたちの他、数人の女性客が感嘆の声とともに品を眺めている。

 どれも凝った細工で、それだけで鑑賞に値したが、メルティナはさっきほどの感動を得ていなかった。それらは、窓のところにあったもののように、輝いてはいないのだ。硝子細工のように澄んだ面構えで、静かに佇んでいる。


「こちらは光を灯していないのですね」


 メルティナが不思議そうに呟くと、接客を終えた店の者がにこにこと話しかけてきた。


「これから、お客様の手で輝かせてもらうのを待っている子たちなんですよ」


 淡い翡翠色に輝く耳飾りをした、ふくよかな女性は工房長のマホロと名乗り、アルベリオスにさりげなく一礼した。


「作られていきますか?」

「ああ、頼もう。今日は彼女……妻が、初めて町遊びに出たんだ。記念となるものを残したい」

「あら……! はい、はい。承知いたしましたよ」


 ふっくらとした頬が盛り上がり、目を弓のようにしならせてマホロは笑む。


「あの、旦那様。作る、とは?」

「言ってしまってはつまらない。マホロに従って、試してみるといい」

「さぁ、奥様。こちらへどうぞ」


 マホロは店の一角へと、メルティナを手招いた。

 轟々と炎のたぎるかまどの前に、つくえと椅子が用意されていて、卓には魚を鑑賞する鉢に似た透明な器がでんと鎮座している。


「窯で、蓄光石と魔光石をどろどろに溶かして、蛍光石という一つの石にするための原料を作ります。はねますので、お下がりください」


 大きめの柄杓で窯から掬い上げた液体は無色透明で、ものすごい蒸気を上げながら、卓の上の鉢に流し込まれた。高温に触れてもヒビ一つ入らない鉢も、相当な代物だ。メルティナはいつになく胸が湧き立つのを感じ、爪先だって眺めた。


「実際に蛍光石を完成させるには、不純物を取り除いたり、二つの石が均一に融け合っているかを慎重に見ながら、冷却していきます。今から奥様に挑戦していただくのは、石を輝かせる最初の一歩です」

「わたくしが、石を輝かせられるのですか?」


 マホロは自信たっぷりに頷き、メルティナに椅子を進めると、自分も隣に腰を下ろした。


「わたしの真似をしてください。器に触れても構いませんが、決して手を中には入れませんよう」


 マホロが鉢に掌をかざす。すると、透明な液体の底から、光の粒がぷかりぷかりと湧き上がった。翡翠色の泡のように瞬く。


「このように、魔力を注入することで、魔光石の成分が感応して輝きます。そして、光を持続させるのが、蓄光石の性質です」

「それぞれの良いところが、互いを引き立てているのですね。素晴らしいです。……ですが、わたくしは魔法を使ったことがありません。魔力をどのように注げばよいのか」

「大丈夫。お手伝いしますからね」


 マホロは自分の手を、メルティナの手に優しく重ねた。


「深く息を吸って、ゆっくり吐いて……お腹の底から指先へ、空気を押し出すように意識して」

「む、難しいです……」

「焦らず、集中して……そう、今の感じ上手ですよ。魔力が動いて、体が温まるのを感じるかしら?」

「……心なしか、手首の辺りが熱いように思います」

「はい、はい、それです。その熱を爪の先から放つように、思い描いてみましょう。わたしが手を添えておりますから、思い切っていいですからね」


 マホロが触れたところに、どんどんと熱が集まっていくのをメルティナは感じた。優しく丁寧に導かれ、熱は指先まで流れ行く。

 爪に一番の熱さを感じた次の瞬間――液体の中に、一筋の流星のような白い閃光が走った。

 夜空を駆ける星々が降り注いだかのように、淡いきらめきが揺らいでいる。メルティナは思わず腰を浮かせて、器を上から覗き込んだ。


「わ、わたくし、感動しております……。自分の手から何かが、勢いを持って放たれるのを確かに感じました! 胸がすっと晴れるような……とても楽しい気持ちがして、魔法についてもっと知ってみたくなりました!」


 頬を上気させて、メルティナは一息に口にする。その初々しい歓喜の声に、マホロもヴァルたちも、目を細めて頷き返した。

 一方でアルベリオスは、喉の奥の笑みを噛み殺すように、短い息を吐く。


「あなたの反応は、お手本のように素晴らしいな」

「……年甲斐もなくはしゃいでしまい、お恥ずかしい限りです」

「いや。わたしがこの店に望んでいるのは、まさに今のような顔を見せる客なんだ」


 マホロもまた嬉しそうに頷き、アルベリオスの言葉を継いで説明した。

 この工房では、体験を通して蛍光石の魅力を広めると同時に、魔法に関心を持った者には魔法学校の紹介や、弟子を求める魔法使いへの口利きも行っているという。観光と、人材育成の窓口を兼ねた場なのだ。


「妙案でございますね。自分の手で何かを為すというのは、心躍ります」


 鉢の中で螺旋を描く光の粒が、メルティナの瞳にも星の輝きを宿す。


「熟達すれば、思い描いた色に輝かせることもできますが、初めは一番その方らしい色が出るものです」

「わたくしの色?」

「ええ。魔力の色を見れば、持ち主の気質がわかる……なんて言われていましてね。白は――清廉で純真。気高い心の表れですね」


 マホロの言葉を聞いた瞬間、メルティナは胸の奥が小さく揺らいだ。

 幾度も死に戻りを繰り返し、そのたびに胸の内に澱んだ暗さは、どうしたって消え去ることはないと思っていた。自分の心は、真っ黒に塗り潰されてしまったのだと。

 けれど、今――透明な器に浮かぶ光は、白く澄みきっている。


「……そんなふうに、言っていただけるなんて……」


 メルティナはうつむきながら、両頬を指先で押さえた。そうでもしないと、にやけてしまいそうで落ち着かなかった。


「ではいよいよ、この世に一つだけのお土産を作りましょうか。……と言っても、蛍光石をいちから作り上げるには、時間も根気も要りますので……」


 マホロはにこやかに目を細め、爪先をそっと店内に向ける。


「先ほどご覧になっていた棚から、お好きなものをお選びください。光を込めれば、奥様だけの宝物になりますよ」


 店内の棚に並ぶ品々は、しんと息を潜め、メルティナの手で選ばれるのを待っている。

 一輪挿しに、文鎮、首飾りに鍔飾りなど、幅広い品が並ぶ。メルティナは一つ一つを眺め、小さな置物に目を留めた。


「まあ、可愛らしい」


 馬や鳥など、生き物をかたどった置物で、掌に乗せられる小ぶりなものだ。

 その中の一つは、どこかナィナに似た姿をしている。くるりと背中を丸めて眠る姿が愛らしく、切ないほどに惹かれた。

 だが、手を伸ばそうとしてメルティナはやめた。

 聖女でなくなった今でも、彼女にとってナィナは敬愛する存在だ。手中に収めて愛でていいものとは思えない。

 恥入りながら、他のものに目をやると――。


「……あっ」


 目が合った瞬間、これがいいと直感が走った。もう他のどれを見ても、これ以上に胸が高鳴るものはない。

 出会うべくして出会ったとしか思えず、メルティナは迷わず手を伸ばした。

 それは蛍光石でできた、透き通った体を持つカエルだった。掌にちょこんとお座りし、ご機嫌をうかがうように首を傾げている。

 愛嬌のある仕草にアズを思い浮かべ、メルティナは胸に抱くように引き寄せた。


「……やはり、カエルが好きなのか?」


 アルベリオスが、ひどく緊張した面持ちで尋ねる。メルティナの胸が、瞬時に縮んだ。

 蓮池で同じことを訊かれた時――彼はカエルを嫌っているのだと信じて疑わず、慌てて首を振った。今さら肯定などできるはずもない。

 アルベリオスの表情に宿る硬さも、メルティナには不快を露わにしているように思えてしまう。だが、掌の小さなカエルには、どうしようもなく心を動かされた。


「一目で……運命を感じたのです。こちらにいたします」


 迷いを振り切るように告げる。すると、アルベリオスはほんの短い間、メルティナの手元を見つめ……やがて静かな微笑を浮かべた。


「あなたに選んでもらえて、そのカエルは幸せものだ」


 不快どころか、むしろ慈しむような色を帯びたその笑みに、メルティナは思わず目を丸くした。

 困惑を隠すように、視線をカエルの置物へ戻す。可愛らしい姿を見ると、心が慰められた。早く自分の手で輝かせてみたいと、思いも高まった。


 器に光を込めたときと同じように、両手で包み込むようにして集中する。だが、そう簡単にはいかず、先ほどのような熱は湧いてこない。

 ひとりでは上手くできそうになく、助けを求めてマホロを振り返るも、彼女はただにこにこと微笑み返すばかりだ。

 メルティナがおろおろしていると、背後からヴァルとラキァの野次が飛んできた。


「奥様が困ったら、旦那様が手助けするものですよ!」

「気の利かない男は離縁していいんですからね!」


 アルベリオスは文句を言いたそうに二人に鋭い視線を向けたが、マホロにも勧められて観念した様子だった。


「……わたしが手を出して、あなたが嫌でなければ」


 ためらいがちに、手が差し伸べられる。また不機嫌な顔をしているように見えて、メルティナは戸惑いながらも、カエルを抱いた手を彼のほうに掲げた。

 アルベリオスの手が重なると、マホロの手引きを受けた時の感覚が蘇った。じわじわと、体の内側から熱いものが湧き上がってくる。滞留していた魔力が押し出されるように、自然に外へと向かっていくのが、メルティナにもわかった。


 カエルに届くよう、祈りを込めて力を振り絞る。すると、透明だったカエルの胸に、ほのかな光が宿った。

 中心から徐々に、優しい光が体全体に広がる。光は強弱を付けて明滅し、カエルの体を輝かせた。それはまるで、鼓動が脈打つかのようだ。


「しまった。わたしの魔力まで一緒に流れ込んでしまったようだ」


 明滅する光は、白と青とを交互に繰り返している。当然ながら、メルティナに色を変えるような芸当はできない。青はアルベリオスの力だ。


「すまない、教えるのは下手なんだ。あなたは自分の手で仕上げたかっただろうに、邪魔をしてしまった」

「いいえ……とても、良い色です」


 メルティナは掌のカエルを見つめる。青いカエルが輝く拍動とともに、そこに蘇ったかのようだ。その姿を見ていると、メルティナの胸の奥にも、ほんのりと温かさが広がる。


「ありがとうございます、旦那様。ずっと、ずっと……大切にします」

「気に入ったのなら……いい」


 二人を静かに見守っていたマホロは、思いついたように会計カウンターに向かう。初々しい夫婦のために、とびきり縁起の良い包装を選んでやるつもりだ。頬が緩むのを、どうしたって止められない。

 そこへヴァルがやってきた。


「ねねね、マホロ姐さん。参考までにお伺いしたいんだけど、青の魔力はどんな人柄なのさ?」

「そうねぇ……」


 マホロはもう一度、メルティナの手からこぼれる光に目をやる。


「海のように深い瑠璃色は……柔軟な思いやりと誠実性、静かな情熱の持ち主です」

「あら、陛下にぴったりですね」


 ラキァの言に、マホロもヴァルもそろって大きく頷いた。

 ぎこちなく手を取り合う姿も、青と白が寄り添って輝く姿も――似合いの夫婦だと、マホロは満足げに目を細めるのだった。


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