第5話 青いカエル
☪︎⋆˚。✩☪︎⋆˚。✩☪︎⋆˚。✩☪︎⋆˚。✩☪︎⋆˚。✩☪︎⋆˚。✩
日が傾いても、帝都の賑わいは静まることはなく、ひとつひとつと
名残惜しくも、そろそろ帰途に着こうとしていた時、メルティナの目がふと、一つの店先に留まった。
張り出し窓の硝子越しに、造形の凝った置物が並んでいる。宝石のようにつるりと磨かれた置物は、どれも色とりどりに淡い光を、自ら発して輝く。
蓄光石にしては澄んだ材質で、その美しさにメルティナはすっかり見惚れた。
「これは蓄光石と魔光石を掛け合わせた、蛍光石の工芸品だ。帝都土産として定着させていくつもりで、売り出しているところなんだ」
小さく囁かれて隣を見ると、アルベリオスの横顔が間近にあった。瞳の中に、鮮やかな光が星のように瞬く。メルティナの目には、軽装も相まって、夢を追う少年のような高揚した表情に映った。
「旦那様が、お考えになったのですか」
「いや。ここの工房主が生成し、築いた技巧だ。わたしはその売り出し方に、少し口を出しただけだ。――まだ時間はある、覗いていこう」
店内には大小様々な蛍光石の置物や装身具が、手に取ってもらうのを待つかのように、不思議な魅力を放って並んでいた。メルティナたちの他、数人の女性客が感嘆の声とともに品を眺めている。
どれも凝った細工で、それだけで鑑賞に値したが、メルティナはさっきほどの感動を得ていなかった。それらは、窓のところにあったもののように、輝いてはいないのだ。硝子細工のように澄んだ面構えで、静かに佇んでいる。
「こちらは光を灯していないのですね」
メルティナが不思議そうに呟くと、接客を終えた店の者がにこにこと話しかけてきた。
「これから、お客様の手で輝かせてもらうのを待っている子たちなんですよ」
淡い翡翠色に輝く耳飾りをした、ふくよかな女性は工房長のマホロと名乗り、アルベリオスにさりげなく一礼した。
「作られていきますか?」
「ああ、頼もう。今日は彼女……妻が、初めて町遊びに出たんだ。記念となるものを残したい」
「あら……! はい、はい。承知いたしましたよ」
ふっくらとした頬が盛り上がり、目を弓のようにしならせてマホロは笑む。
「あの、旦那様。作る、とは?」
「言ってしまってはつまらない。マホロに従って、試してみるといい」
「さぁ、奥様。こちらへどうぞ」
マホロは店の一角へと、メルティナを手招いた。
轟々と炎のたぎるかまどの前に、
「窯で、蓄光石と魔光石をどろどろに溶かして、蛍光石という一つの石にするための原料を作ります。はねますので、お下がりください」
大きめの柄杓で窯から掬い上げた液体は無色透明で、ものすごい蒸気を上げながら、卓の上の鉢に流し込まれた。高温に触れてもヒビ一つ入らない鉢も、相当な代物だ。メルティナはいつになく胸が湧き立つのを感じ、爪先だって眺めた。
「実際に蛍光石を完成させるには、不純物を取り除いたり、二つの石が均一に融け合っているかを慎重に見ながら、冷却していきます。今から奥様に挑戦していただくのは、石を輝かせる最初の一歩です」
「わたくしが、石を輝かせられるのですか?」
マホロは自信たっぷりに頷き、メルティナに椅子を進めると、自分も隣に腰を下ろした。
「わたしの真似をしてください。器に触れても構いませんが、決して手を中には入れませんよう」
マホロが鉢に掌をかざす。すると、透明な液体の底から、光の粒がぷかりぷかりと湧き上がった。翡翠色の泡のように瞬く。
「このように、魔力を注入することで、魔光石の成分が感応して輝きます。そして、光を持続させるのが、蓄光石の性質です」
「それぞれの良いところが、互いを引き立てているのですね。素晴らしいです。……ですが、わたくしは魔法を使ったことがありません。魔力をどのように注げばよいのか」
「大丈夫。お手伝いしますからね」
マホロは自分の手を、メルティナの手に優しく重ねた。
「深く息を吸って、ゆっくり吐いて……お腹の底から指先へ、空気を押し出すように意識して」
「む、難しいです……」
「焦らず、集中して……そう、今の感じ上手ですよ。魔力が動いて、体が温まるのを感じるかしら?」
「……心なしか、手首の辺りが熱いように思います」
「はい、はい、それです。その熱を爪の先から放つように、思い描いてみましょう。わたしが手を添えておりますから、思い切っていいですからね」
マホロが触れたところに、どんどんと熱が集まっていくのをメルティナは感じた。優しく丁寧に導かれ、熱は指先まで流れ行く。
爪に一番の熱さを感じた次の瞬間――液体の中に、一筋の流星のような白い閃光が走った。
夜空を駆ける星々が降り注いだかのように、淡いきらめきが揺らいでいる。メルティナは思わず腰を浮かせて、器を上から覗き込んだ。
「わ、わたくし、感動しております……。自分の手から何かが、勢いを持って放たれるのを確かに感じました! 胸がすっと晴れるような……とても楽しい気持ちがして、魔法についてもっと知ってみたくなりました!」
頬を上気させて、メルティナは一息に口にする。その初々しい歓喜の声に、マホロもヴァルたちも、目を細めて頷き返した。
一方でアルベリオスは、喉の奥の笑みを噛み殺すように、短い息を吐く。
「あなたの反応は、お手本のように素晴らしいな」
「……年甲斐もなくはしゃいでしまい、お恥ずかしい限りです」
「いや。わたしがこの店に望んでいるのは、まさに今のような顔を見せる客なんだ」
マホロもまた嬉しそうに頷き、アルベリオスの言葉を継いで説明した。
この工房では、体験を通して蛍光石の魅力を広めると同時に、魔法に関心を持った者には魔法学校の紹介や、弟子を求める魔法使いへの口利きも行っているという。観光と、人材育成の窓口を兼ねた場なのだ。
「妙案でございますね。自分の手で何かを為すというのは、心躍ります」
鉢の中で螺旋を描く光の粒が、メルティナの瞳にも星の輝きを宿す。
「熟達すれば、思い描いた色に輝かせることもできますが、初めは一番その方らしい色が出るものです」
「わたくしの色?」
「ええ。魔力の色を見れば、持ち主の気質がわかる……なんて言われていましてね。白は――清廉で純真。気高い心の表れですね」
マホロの言葉を聞いた瞬間、メルティナは胸の奥が小さく揺らいだ。
幾度も死に戻りを繰り返し、そのたびに胸の内に澱んだ暗さは、どうしたって消え去ることはないと思っていた。自分の心は、真っ黒に塗り潰されてしまったのだと。
けれど、今――透明な器に浮かぶ光は、白く澄みきっている。
「……そんなふうに、言っていただけるなんて……」
メルティナはうつむきながら、両頬を指先で押さえた。そうでもしないと、にやけてしまいそうで落ち着かなかった。
「ではいよいよ、この世に一つだけのお土産を作りましょうか。……と言っても、蛍光石をいちから作り上げるには、時間も根気も要りますので……」
マホロはにこやかに目を細め、爪先をそっと店内に向ける。
「先ほどご覧になっていた棚から、お好きなものをお選びください。光を込めれば、奥様だけの宝物になりますよ」
店内の棚に並ぶ品々は、しんと息を潜め、メルティナの手で選ばれるのを待っている。
一輪挿しに、文鎮、首飾りに鍔飾りなど、幅広い品が並ぶ。メルティナは一つ一つを眺め、小さな置物に目を留めた。
「まあ、可愛らしい」
馬や鳥など、生き物をかたどった置物で、掌に乗せられる小ぶりなものだ。
その中の一つは、どこかナィナに似た姿をしている。くるりと背中を丸めて眠る姿が愛らしく、切ないほどに惹かれた。
だが、手を伸ばそうとしてメルティナはやめた。
聖女でなくなった今でも、彼女にとってナィナは敬愛する存在だ。手中に収めて愛でていいものとは思えない。
恥入りながら、他のものに目をやると――。
「……あっ」
目が合った瞬間、これがいいと直感が走った。もう他のどれを見ても、これ以上に胸が高鳴るものはない。
出会うべくして出会ったとしか思えず、メルティナは迷わず手を伸ばした。
それは蛍光石でできた、透き通った体を持つカエルだった。掌にちょこんとお座りし、ご機嫌をうかがうように首を傾げている。
愛嬌のある仕草にアズを思い浮かべ、メルティナは胸に抱くように引き寄せた。
「……やはり、カエルが好きなのか?」
アルベリオスが、ひどく緊張した面持ちで尋ねる。メルティナの胸が、瞬時に縮んだ。
蓮池で同じことを訊かれた時――彼はカエルを嫌っているのだと信じて疑わず、慌てて首を振った。今さら肯定などできるはずもない。
アルベリオスの表情に宿る硬さも、メルティナには不快を露わにしているように思えてしまう。だが、掌の小さなカエルには、どうしようもなく心を動かされた。
「一目で……運命を感じたのです。こちらにいたします」
迷いを振り切るように告げる。すると、アルベリオスはほんの短い間、メルティナの手元を見つめ……やがて静かな微笑を浮かべた。
「あなたに選んでもらえて、そのカエルは幸せものだ」
不快どころか、むしろ慈しむような色を帯びたその笑みに、メルティナは思わず目を丸くした。
困惑を隠すように、視線をカエルの置物へ戻す。可愛らしい姿を見ると、心が慰められた。早く自分の手で輝かせてみたいと、思いも高まった。
器に光を込めたときと同じように、両手で包み込むようにして集中する。だが、そう簡単にはいかず、先ほどのような熱は湧いてこない。
ひとりでは上手くできそうになく、助けを求めてマホロを振り返るも、彼女はただにこにこと微笑み返すばかりだ。
メルティナがおろおろしていると、背後からヴァルとラキァの野次が飛んできた。
「奥様が困ったら、旦那様が手助けするものですよ!」
「気の利かない男は離縁していいんですからね!」
アルベリオスは文句を言いたそうに二人に鋭い視線を向けたが、マホロにも勧められて観念した様子だった。
「……わたしが手を出して、あなたが嫌でなければ」
ためらいがちに、手が差し伸べられる。また不機嫌な顔をしているように見えて、メルティナは戸惑いながらも、カエルを抱いた手を彼のほうに掲げた。
アルベリオスの手が重なると、マホロの手引きを受けた時の感覚が蘇った。じわじわと、体の内側から熱いものが湧き上がってくる。滞留していた魔力が押し出されるように、自然に外へと向かっていくのが、メルティナにもわかった。
カエルに届くよう、祈りを込めて力を振り絞る。すると、透明だったカエルの胸に、ほのかな光が宿った。
中心から徐々に、優しい光が体全体に広がる。光は強弱を付けて明滅し、カエルの体を輝かせた。それはまるで、鼓動が脈打つかのようだ。
「しまった。わたしの魔力まで一緒に流れ込んでしまったようだ」
明滅する光は、白と青とを交互に繰り返している。当然ながら、メルティナに色を変えるような芸当はできない。青はアルベリオスの力だ。
「すまない、教えるのは下手なんだ。あなたは自分の手で仕上げたかっただろうに、邪魔をしてしまった」
「いいえ……とても、良い色です」
メルティナは掌のカエルを見つめる。青いカエルが輝く拍動とともに、そこに蘇ったかのようだ。その姿を見ていると、メルティナの胸の奥にも、ほんのりと温かさが広がる。
「ありがとうございます、旦那様。ずっと、ずっと……大切にします」
「気に入ったのなら……いい」
二人を静かに見守っていたマホロは、思いついたように会計カウンターに向かう。初々しい夫婦のために、とびきり縁起の良い包装を選んでやるつもりだ。頬が緩むのを、どうしたって止められない。
そこへヴァルがやってきた。
「ねねね、マホロ姐さん。参考までにお伺いしたいんだけど、青の魔力はどんな人柄なのさ?」
「そうねぇ……」
マホロはもう一度、メルティナの手からこぼれる光に目をやる。
「海のように深い瑠璃色は……柔軟な思いやりと誠実性、静かな情熱の持ち主です」
「あら、陛下にぴったりですね」
ラキァの言に、マホロもヴァルもそろって大きく頷いた。
ぎこちなく手を取り合う姿も、青と白が寄り添って輝く姿も――似合いの夫婦だと、マホロは満足げに目を細めるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます