第3話


 ホームルームが終わった。


 チャイムが鳴り、伏見先生がこの教室を去った後、机に伏せていたスマホが震え出す。


 同時に響くバイブ音が、教室をざわつかせる。


 一斉にポケットや机からスマホが取り出され、各自内容を確認し始めた。


 画面には嶺翠高校公式アプリの通知。


 タップしてマイページへログインすると、

 

《20XX年度入学生による特別試験 ゼロ・トラスト試験のルールについて》


 そんな件名のメールが届いていた。


「何だこれ?」

「ゼロ・トラスト?」


 もちろん全員、同じものを画面越しに見ている。


 やはり来たか、ゼロ・トラスト。


 この嫌な文字列に、苦い記憶が蘇る。


 いや、それよりもルール説明だ。


 実に十年ぶりの特別試験。

 俺は見落としのないよう、改めて記載事項に目を通していく。



 ――――――――――



嶺翠高校 入学者各位



この度、本学では新入生同士の交流を促し、公平な条件のもとで互いの実力を知る機会として、特別試験「ゼロ・トラスト試験」を実施します。


 

本試験の目的は以下の通りです。

• 初対面の相手との協力関係構築

• 公平な条件での競争を通じた自己評価

• コミュニケーション・交渉能力の確認

• 判断力と責任感の育成


 

試験ルール概要(簡易版)

1. 各生徒には入学試験の成績に応じた「初期スコア」を配布済み。

2. ペア成立には互いのスコアを譲渡し合うこと(譲渡ポイントは自由)。

3. ペアを組まない場合、単独スコアで順位付け。

4. 譲渡は即時反映され、期間内は複数回可能。

5. B〜Dクラス上位3ペアは昇格。

6. A〜Cクラス下位3ペアは退学(Dクラスは対象外)。


 

試験ルール概要(詳細版)


本試験は、入学試験の成績を基に付与された各自の「初期スコア」を用いて順位を競うものです。

ただし初期スコアは入学試験時点で各自決まってあり、そのままでは順位が固定されてしまいます。

そのため、受験者同士が二人一組のペアを組み、その合計スコアによって最終順位を決定します。


ペア成立には、互いに任意のスコアを譲渡し合う必要があります(譲渡ポイント数は自由)。

片方のみの譲渡ではペアは成立せず、単独でのスコア順位となります。

譲渡は即時反映され、期間内であれば複数回行うことが可能です。

ペア解消を希望する場合は、職員室にて「正当な理由」を添えて申請し、承認を受けてください。

承認が下りた場合、譲渡スコアは全て元の所持者に返還されます。


試験結果において、B〜Dクラスの上位3ペアは直ちに一つ上のクラスに昇格します。

一方、A〜Cクラスの下位3ペアは退学処分となります(Dクラスは対象外)。


さらに、本試験では順位に応じてスコア報酬が付与されます。

この報酬スコアは、次回以降の試験や学園生活における重要な指標となります。


 



順位報酬(初期スコアに加算)

1位:+200ポイント

2位:+150ポイント

3位:+120ポイント

4位:+100ポイント

5位:+80ポイント

6〜10位:+50ポイント

それ以下:加算なし


 

各クラス平均初期スコア(参考)

Aクラス:800ポイント

Bクラス:650ポイント

Cクラス:500ポイント

Dクラス:350ポイント





試験期間:4月6日現時点から、4月7日17:00まで(ペア成立もこの期間内に行って下さい)

結果発表:4月7日17:15 嶺翠高校公式アプリお知らせにて発表


 

凰嶺学園都市 試験運営委員会



 ――――――――――



 スマホの画面に表示されたルール文を読み終えた俺は、内心で深くため息をついた。


 まぁ要は二人ペアを組んで、合計のスコアをクラス内で競い合うだけ。

 スコア譲渡し合うってのは、ただペアを組む契約みたいなもの。


 それだけのことだけど――


 相変わらず、分かりにくいルールだな。


 しかしこんなものは、この学園都市において、単なる日常に過ぎない。


 こういった特別試験は定期的に行われる。

 そのどれもがオリジナルのもので、一度ルール説明を読むだけでは理解できないものばかりだ。


 これだけ複雑なのも、学園の狙いの一つである。


 細かい条件を最後まで読み切って、正しく解釈できるかどうか。

 その試験の真意の奥を、どこまで正しく理解できるか。


 それすらできないやつは、最初の一戦から勝ち残れない。


 つまりルールの理解力も、この学園で生き残るための実力ってわけだ。


「……は? なんだこれ?」

「ちょっと何言ってるか分からないんだけど」


 ルールを読み終えた生徒たちが、あちこちで顔を突き合わせている。


 案の定、理解できない生徒が教室内で声を上げ始めた。


「おい、これさ……入試の点が高かった同士が組めば、もう昇格確定じゃね?」

「いや、そもそもDクラスは退学しなくていいなら、適当に組んでもいい気がするんだが」

「でもでも! 入学式の時に言ってたけど、このスコアって卒業まで常に加算されていくんでしょ? だったらあんまり適当にやらない方がいいんじゃ……」


 一方でルールを把握した者たちは、様々な意見を出し合う。

 

 あっちでは机を寄せる音。

 こっちで小声の駆け引き。

 

 もう、試験は始すでに始まっていた。


 俺は机に肘をつき、目を瞑った。

 十年前の光景が、昨日のことのように瞼の裏で蘇る。


 結果発表の日。

 汗の滲む手でスマホを握り、スクロール。

 そして最下位に綴られる『綾城理央』の名前。


 頭が真っ白になった。


 周りの視線が怖かった。


 向けられる憐れみの目がすごく痛かった。


 なんで……なんで、俺が、最下位なんだ……?

 しかも0点って……そんなわけないのに。


 だって俺は、友達になったばかりの奴とペアを組んで……。


 ソイツは俺を見て、笑っていた。


 声に出さず、周りには分からないように、少しだけ口角を吊り上げさせて。


 そして俺は驚愕した。

 今目が合った奴の名が、順位表のテッペンに刻まれていたから。


 1位 朝倉智和・七瀬陽菜ペア


 何が起こったのか分からなかった。


 何がどうなってそうなったのか、理屈すらも理解できない。


 だけど一つだけ確かなことがある。


 俺は裏切られたんだ。


 友達になろうと無垢な笑顔で近づいてきたアイツ、朝倉智和に。


「――なぁ、綾城」


 聞き慣れた憎らしい声に、俺は一気に現実へ引き戻された。

 

 予想通り、そこにいたのは十年前の朝倉。

 手には自分のスマホを開いたまま。


「せっかくだし、俺と組まないか?」


 その言葉に、近くの生徒たちがわずかに反応する。

 ペア候補に選ばれるのは、ある意味ステータスだ。

 だが俺にとっては、絞首台に片足を乗せろと言われているのと同じ。


「お前、入試けっこう上位だったろ? 俺も悪くない成績だし、合計ならかなり高いはずだ」


 にやにやと人懐っこく笑いながら、俺の机の上にスマホを置いてくる。

 画面には『スコア譲渡リクエスト』 の文字。


 やっぱり、きやがったか。


 その笑顔を見ると、あの夜の冷酷な言葉と殴られ続けた感触がフラッシュバックする。


 急激に湧き出る冷や汗。

 思わず目を逸らしてしまった。


「……どうした。綾城? 具合、悪いのか?」


 俺はその声でハッとなる。


 大丈夫だ。

 まだ、あの未来は訪れていない。


「いや、何でもないよ」


 コイツの企みを止めれば、きっとあの夜は回避できる。


「そうか、それならよかった。で、綾城、俺とのペアはどうだ? 仲良くなった同士、一緒に昇格してやろうぜ」


 懐かしい謳い文句。

 記憶にある者と一言一句全く同じだ。


 この一言に、俺は騙されたんだ。


「オレに送ってくれたら、その後でオレも送る。これでペア成立ってやつだ」


「いいよ。一緒にCクラスへ行こう!」


 俺は十年前と同じセリフで返した。


 そしてスマホの画面に指を伸ばし、スコア譲渡の手順を踏んでいく。


「お互い損しないようさ、300ポイントずつ送り合うか?」


「あぁ、そうだな」


 俺は朝倉の提案を呑み、さっそくスコアを譲渡した。


「なるほど。同じポイントを送り合うのか」

「それならお互い損をせずペアを組める」


 俺たちのやりとりを見て、周りも徐々にペアを組み始める。


 そう、これがこの試験の常套手段。

 スコアの譲渡だって、ただの契約。

 信頼の証に過ぎない。


 だから、あの時の俺は何も気にせず自分のスコアを譲渡した。


「オレもポイントを送ったが、まだ反映されないみたいだな」


 反映されない。

 そりゃそうだ。


 お前は俺に、1ポイントだって送ってないんだからな。


 発表の当日まで、俺は騙されていたんだ。


『まだ反映されてないだけど?』


 と、あの時も定期的にメッセージを送っていたが、


『オレの方にはペア成立って書いてる。きっと一年全員のスコアを処理するのに時間が掛かってるんだろう』


 誤魔化され続けた。 


 まさかこれが嘘だったなんてな。


 俺は残ったスコア90ポイントを眺めながら、十年前を振り返る。


「……まだ、ポイントが反映されねぇみたいだし、オレたちは帰ろうぜ」


 と朝倉は、自分の席からバッグを持ち出し、足早に廊下へ駆けて行った。


 俺はそれを目で追う。


 今、お前は勝ち誇った優越感で胸がいっぱいなんだろう。


 だけど残念。


 今回、お前の策は通用しない。

 俺があえてポイントを送ったのは、お前の気分を最高潮まで上げるためだ。


 そしてそこから、容赦なく突き落とす。


 これが俺の復讐のはじまり。

 その布石だ。


 結果発表が楽しみだな、朝倉智和。


 次に笑うのは――この俺だ。

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