第06話 エリオットの決断

「……クソッ!」


 俺は、走り出していた。

 気づけば足が動いていた。

 恐怖は、まだあった。

 でも、それ以上に、見捨てることの方が怖かった。

 舞台へ続く石畳を蹴る。

 魔獣の咆哮が鼓膜を揺らし、視界の端で逃げ遅れた誰かが悲鳴を上げている。

 でも、もう目は逸らさなかった。


 たとえ「役立たず」と呼ばれようが、関係ない。

 今ここに、俺しかいないのなら――俺がやるしかない。


「おい、止まれ!」

「危ないぞ、やめろ!」


 誰かが叫ぶ声が背中から聞こえる。

 でも、止まる気なんてさらさらなかった。


 舞台の下まで走り、駆け上がる。

 魔獣がこちらに気づき、牙を向けた。

 その威圧感に足がすくみかける――でも、踏み出す。

 震える手を前に突き出し、魔力を練る。

 久しぶりに使う補助魔法。だけど、体は覚えていた。


「――《エアロ・ブースト》!」


 自分の足元に風の魔法陣が展開され、身体が軽くなる。

 補助魔法は攻撃できない。

 でも、動きを加速させるくらいはできる。


「《シールド・ベール》!」


 続けざまに詠唱。

 シンシアの目の前に薄い光の膜が展開される。

 たとえ一撃でも、防げればいい。

 たとえ一瞬でも、時間を稼げればいい。


 魔獣が咆哮とともに飛びかかってくる。

 巨大な爪が、シンシアを狙って振り下ろされ――


 ――バキィッ!


 光の盾が砕ける音。

 しかし、ほんのわずかにその動きが止まった。

 その瞬間、俺はシンシアに向かって叫ぶ。


「今だっ! 反撃しろッ!」


 彼女の目が見開かれる。

 そして次の瞬間、彼女の手が、咄嗟に魔力を込めて振り上げられた。


「《ファイア・バレット》!」


 赤い光が弾丸のように放たれ、魔獣の顔面に炸裂する。

 咆哮とともに、獣が舞台を転がった。

 煙が舞い上がる。

 その中で、俺は肩で息をしながら、シンシアの隣に立っていた。


「……ふう。なんとか……」


 息を切らしながら、俺は彼女の隣に立った。

 全身から汗が吹き出し、膝が笑っている。

 だけど、不思議と立っていられた。


「――どういうつもり?」


 シンシアが俺をじっと見つめてくる。

 その目は呆れているようで、でもどこか――驚いているようにも見えた。


「いきなり出てきて、命懸けで助けるとか。正気なの? それとも、ただの馬鹿?」

「……馬鹿でも何でもいいよ。助けなきゃ、俺、絶対後悔するって思っただけだから」

「……ふうん」


 短く吐息をついて、彼女は視線を逸らした。

 その横顔には、微かに赤みが差していたような気もする。


「じゃあ、せいぜい後悔しなかったことを感謝しなさい――命の借り、一つ」

「感謝されるの、なんか変な感じだな……」

「別に感謝してないけど?」

「いや、してたよね今。借りって言ったよね?」

「してないって言ってるでしょ!」


 ビシッと指を突きつけてくる彼女の姿に、思わず苦笑が漏れる。


「……そっか。鈍感で、馬鹿な俺で、悪かったな」

「全く……あなた、変な男ね」


 そう言いながらも、シンシアの声には棘がなかった。

 むしろ少しだけ、あたたかかった気がする。


「でもまあ――」


 彼女が一拍置いて、ぽつりとつぶやく。


「……悪くなかったわ」


 不意に心臓が跳ねる。


「……ありがとな」

「別に礼を言われる筋合いはないけど。あんたが勝手にやっただけだし」

「それでも、言いたくなったんだよ。ありがとうって」


 彼女は何も言わず、わずかに頬をふくらませる。

 けれど、否定もせず――しばらく黙って隣に立っていた。


 心臓の鼓動はまだ早い。

 足も震えてる。

 でも、もう怖くはなかった。


 少なくとも今、俺はただの『役立たず』じゃない。

 誰かを守ろうとして、自分の意思で動いた。

 そして、それを見てくれた人がいた。


 それだけで、――ほんの少し、救われた気がした。

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