第3話 勝負
「おはようございます、姫」
「……」
登校して教室に入る。自分の席に座ると、隣から岸辺の挨拶が聞こえてくる。
「姫?」
「……姫って呼ぶな」
訝るような岸辺の声に、俺はやや遅れて突っ込みを入れる。……どうやら、今朝の夢が原因でボケっとしてしまったようだ。
「姫野君、どうかされたんですか? 先程からぼーっとしていらっしゃるようですが」
「ただの寝不足だよ、気にすんな」
心配そうにしてくる岸辺をあしらって、俺は机に突っ伏した。……そうだ、これはただの寝不足だ。決して動揺していたわけではない。この中二病女が「実は本当に前世で恋人だったのかも?」なんて思ったりはしていない。本当に本当である。
「……姫野君。昨日はありがとうございました」
「……ん? ああ、放課後のことか」
「はい。案内して頂けて、とても助かりました」
そんな俺の内心を知ってか知らずか、岸辺がそんなことを言ってくる。顔を上げる俺に、岸辺はこう続けた。
「それでなのですが……今日はお礼も兼ねて、放課後、我が家にご招待したいのです」
「招待……」
岸辺に言われて、俺は困惑した。……正直、こいつとはあまり関わりたくない。ただでさえ中二病、しかも今朝の夢のこともある。これ以上距離を詰めると、ろくでもないことになりそうな予感がする。
「姫が好きなケーキも用意していますよ」
「……俺、甘いものは苦手なんだけど」
俺を誘い出すかのように告げてくる岸辺だが、生憎と俺は甘いもの全般があまり好きじゃなかった。食えなくはないが、好んで食べたいとは思わない。
「そうですか……確かに、16年も経過すれば、嗜好が変わることもあるでしょうね。でしたら、今はどのようなものがお好みなのですか?」
「そうだな……辛いものは割と好きだが」
俺が好きな食べ物は、唐辛子が効いたピリ辛系の料理である。別に激辛メニューが好きというわけでもないが、普通のポテチよりはカラムーチェを選ぶ、程度には好んでいる。
「分かりました。用意しておきますね」
「……って、まだ行くとは言ってないんだが」
しれっと俺の訪問を確定させようとした岸辺に、俺は突っ込みを入れる。こいつのペースに飲まれてはいけない。
「そうですか……男子高校生というのは常に女子と懇ろになりたい生き物だと聞き及んでおりましたが、わたくしの体では魅力が足りませんでしたか」
「……いや待て何の話?」
「これでもわたくし、同年代の中ではかなり見た目に自信があったのですが……姫にはご満足頂けないようですね。いえ、或いは女体ではなく男性の体のほうが―――」
「いやほんとに何の話!?」
なんかとんでもなく不名誉なことを言われている気がした。俺は全力で突っ込む。
「姫はわたくしの体に魅力を感じないから、わたくしの家に来て下さらないのでしょう?」
「……何でそんな話になった?」
「違うのですか?」
「違う!」
俺が性欲大魔神みたいな言い方をされて、さすがに黙っていられなかった。……こいつを避けているのは魅力がどうこうではない。それを打ち消して余りある程の面倒臭さが原因である。美少女なら何をやっても許されるのはアニメの中だけである。
「そうでしたか。では、招待に応じて頂けるのですね」
「……お前、話が通じないって言われないか?」
話が堂々巡りしていて、さすがに疲れてきた。まだ授業が始まっていないうちから、どうしてこんなに疲弊しないといけないのか。
「姫……わたくしは姫と一緒にいたいのです。どうか、わたくしの願いを聞いて下さいませんか?」
「いや、知らんがな」
岸辺に懇願されるが、こいつの願望なんて俺には知ったことではない。こいつの願いを聞いてやる理由もなかった。
「そうですか……姫がそう仰るのであれば、ここは一つ勝負をしましょう」
「勝負?」
「今日の英語の授業、小テストがあるようですね。その点数で競うのです」
英語の授業は、昨日と今日で連続して行われている。そして昨日の授業で、今日小テストがあることが予告されていた。そこで勝負をしようというのだ。
「わたくしが勝てば、姫には招待に応じて頂きます」
「いい加減、姫呼び止めろ」
「失礼……そして姫野君が勝てば、潔く諦めましょう。今後も家に招待したり、お手を煩わせることはしないと約束します。何なら、学校では一切話し掛けないと誓ってもいいです」
「……」
ここで押し問答をするよりは小テストで決着をつけたほうが建設的に思える。今後の安泰も保証されるというのなら猶更だ。けれど、そんなことを提案してくる以上、彼女は英語が得意なんだろう。中二病だからと侮れるほど、俺も馬鹿じゃない。勝負をするのは分が悪いと考えるべきだ。
「両者同点の場合は姫野君の勝ちということにしましょう。つまり、姫野君が満点を取ればそれだけで済む話です。……それでも、不安ですか?」
「……上等だ」
しかし、岸辺の言葉で事情が変わった。……俺が満点を取ればいい。そんな風に煽られたら、こちらとしても引けない。これを断れば、たかが小テストで満点も取れないと宣言しているようなものだ。
「では、楽しみにしていますね」
「嘘だろ……」
英語の授業が終わり、返ってきた小テストの結果に俺は呆然とした。……岸辺の結果は満点。それは当然だ。満点が取れる自信がないと勝負を吹っ掛けたりしない。問題は、俺の点数だ。
「姫野君、この勝負……わたくしの勝ちでよろしいですね?」
「……」
俺の答案に記された点数は、70点。当然ながら、俺の完敗である。
「……姫は、相変わらず勉学が苦手なようですね。懐かしいです」
岸辺が小声で、そう煽ってくる。……そういえば、今朝見た夢の中では、姫(俺)が勉強をサボるシーンもあったな。けれど、さすがに偶然のはずだ。実際、俺は普段からちゃんと勉強をしている。結果が伴わないだけで。
「では約束通り、放課後はわたくしの家に来て頂けるということで」
「……分かった」
岸辺の言葉に、俺は大人しく頷くしかなかった。……正直に言えば行きたくはないが、両者合意の上で挑んだ勝負だ。ここで約束を違えるのは、人として大切なものを失ってしまう気がした。俺にだって、その程度のプライドはあるのだ。けれど同時に、彼女の家に行ったら何かが変わってしまう。そんな恐れもあった。
「放課後が楽しみですね」
そうやって微笑む岸辺は、まるで魔女か何かのように思えた。……お前、前世は騎士じゃなくて魔法使いか何かじゃないのか?
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