希望を信じて

 もうどれだけ歩いたのかエルクリッドは考える事なく、ただただ無心になりつつあった。

 自分の目指すもの、向き合うもの、そうしたものを深淵の中で一つ一つ丁寧に紐解いていく事で、整理がついていく。


(あたしは……知りたい。あたし自身の事も、火の夢エルドリックの事も)


 自分とよく似た名前の火の夢の真の名前を知った事でその思いを再認識する。母スバルが望んだものとは何か、ネビュラと手を組み自分を生み出したことは何を目的としたのか。

 ネビュラもまた、自分を捕らえる機会があったのにそれをせず渇望の種を植えるに済ませたのは何故なのか。


 そして、そこに至るには強くなる必要があると。自分の生命の否定をするのは容易いが、既にスバルやマヤ達から託されてしまっている以上は、後戻りも止まる事もしてはいけない。


(多分、あいつも待ってる……あたしが、乗り越えてくれるって信じてる、んだと思うから……)


 仇敵バエルの存在もまた、エルクリッドにとっては大きな意味を持つ。彼は自分の怒りや悲しみを真っ向から受け止めながら、何かを見つけ出そうとしている。

 それが彼自身の何かを見出す意味があると信じていると、今ならば向き合って考えられると。


「あたし……戻らなきゃ、皆のところに」


 エルクリッドが前を向いてそう賢者ヴルムへ伝えると、彼は足を止めてゆっくりと振り返りランタンを持ち上げ顔をよく見るように照らす。


 しばらくそのまま目を合わせてからそうだなと言ってランタンを下げ、たんっと靴で軽く足を鳴らすとエルクリッドの前に小さな井戸が現れ、覗き込むと青空が映る水面が見えた。


「ヴルム様……えと、なんか落ち着けました。ありがとうございました」


「良い。だが最後に一つだけ忠言しておこう」


 頭を下げ礼を述べるエルクリッドは背筋を伸ばしてヴルムの忠言を受ける。


火の夢エルドリックの名前は決して外では出してはならない。特に君は本来ならば存在しえぬもの……何が起きるかわからない」


「はい、わかっています。あたしは、人とエルフ、二つの血を持ってて、色々危険なんだろーなって」


 存在してはならない、あるいは、するはずがない自分の事を自覚しつつ、でも、とエルクリッドは目に光を灯しながらヴルムにはっきりと言い切る。


「あたしの心は紛れもなくあたし自身のもの。この身体も、力も……辛い事も悲しい事も、怖い事もあったとしても……あたしはその先に希望があると信じて明日を目指します」


 希望エルクリッドという自分の名前が意味する事はわからない。だが決して母スバルが無意味につけたわけではないとわかっている。

 でも今はそれだけで良いとも思えた。まだ見ぬ明日に待ち受ける苦難の先にあるものを信じてと、エルクリッドの心に迷いはなかった。


 それを聞いてヴルムは静かに頷いて背を向け静かに闇へと消えていき、エルクリッドも大きくお辞儀をしてから井戸へと飛び込む。



ーー


 冷たい水の中を泳ぎ進み水面から出た時、エルクリッドは自分がアピスの大穴近くにある屋敷の水汲み場から出てきた事を感じ取り、しばし呆然と薄暗い空を見上げながら留まっていたが身体が冷えたのもあり身動ぎしつつ飛び出し、びちゃびちゃと滴る自身を見て小さくため息をつく。


(うわーすっごい濡れちゃったな……ていうか、穴に落ちてからかなり時間経ってる?)


 入った時の日の傾き具合と異なり今は早朝というのはわかり、また、激しく戦った形跡がある事から誰かがここで戦いを繰り広げ、今は休息しているというのはエルクリッドも推測ができた。

 微かに残る魔力からそれがリオとクレスのものとわかり、彼女達が幾度となく戦っていたのが伝わり日数の経過を実感する。


 と、不意にふっと耳元に息を吹きかけられびくっとエルクリッドは跳ねながら悲鳴を上げて振り返り、けらけらと笑うルナールと顔を合わせ、深呼吸しつつ言葉を交わす。


「お、お、おどろかさないでくださいよ……」


「出てきたのが見えたからのう。さて、迷いが消えたようなら渇望の種をとってやろうかの」


 答える間もなくエルクリッドの鎖骨にルナールの左手が触れ、ずぶぶと沈む様に指が入り込んでそのまま何かが触れる感覚が全身を走り抜ける。


「動くなよ? そのままじっとしていろ、静かに、静かに、だ」


 ゆっくりとルナールの手が入っていく感覚が強くなりながら、彼女の手が何かを掴むのをエルクリッドも感じ取り、そしてゆっくりと引き抜かれた指が摘む黒と赤の小さな玉のようなものを見せられ、次の瞬間にルナールは握り潰す。


「これで除去は終わりじゃ。だがしばらくは影響が残る可能性はある、感情の起伏には気をつけるのじゃぞ?」


「はい……えと、ありがとうございますルナール、様」


 大悪人たるルナールに助けられた事に複雑な気分はあれども、彼女だからこそできる事を再認識しエルクリッドは心を落ち着かせる。


 と、朝の寒さもあってエルクリッドはくしゃみをし、ぞわっと寒気が走る感覚が身体を駆け抜ける姿を見てルナールは中へ入るぞと手を引き、エルクリッドも素直に従い暖を取ることにした。


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