込み上げるもの

 じっと遠くから戦いを高みの見物といった様子のネビュラの姿は、遠目でノヴァも捉えていた。彼女の隣のタラゼドとルナールも同様に確認こそしていたが動かず、その理由についてルナールがノヴァに話す。


「あの男は影法師の術を扱える、なればその応用たる影送りの術も使えるのが道理……捕らえようにも今は難しいのう」


「えぇと……どうしてですか?」


「影送りの術は視界内の影に自分を飛ばす術、つまり今ここであやつを捕らえようとしたところで術で逃げられるのは明白……話を聞く限りではネビュラという輩は無策で動く事はしないはず、ワシがカードや外法を使ったところで逃走手段は確保しているじゃろう」


 影法師の術の応用術を使えると踏んでのルナールの判断にタラゼドも静かに頷き、ノヴァも何とか話を飲み込み理解をする。

 目の前にいて捕らえられない歯痒さというものがノヴァの心に浮かぶものの、対してタラゼドやルナールは沈着冷静に分析を進めていく。


「ではどのように捕らえますか? もう少し距離を詰めれば時間停止をネビュラに使えますが」


「いや、こちらが見えているという事はあちらからも見えているという事、下手な動きは気づかれる。それに微かではあるが時空間の歪みを感じる、下手に魔法を使えばこちらが消えかねん」


「では改めて策を練る必要があると?」


「不本意だがそうせざるを得まい。もっとも、小娘達の戦いの結果によってはまた変わるがの」


 無策という訳ではないが不足と感じるルナールは戦いを静観する姿勢を見せ、タラゼドもひとまずそれに従いつつ無言で結界を張り直す。

 彼女の言うようにエルクリッド達がトリスタン達の内一人でも撃破し、捕らえることができれば情報を引き出して打つ手が見える可能性はある。無論アテにしすぎず、というのはノヴァはルナールの横顔から感じられ、募る思いはあるがぐっと堪えた。


(エルクさん……皆さん……)



ーー


 エルクリッドとダインはザキラと戦いを続けるも、決め切れずにただ時間と体力と魔力だけを消耗していた。

 ザキラが召喚しているレッドキャップのトパーズの速さでこちらのスペル等は振り切られ、それを突破しても影に潜むマリンが防衛するという布陣を破れず、ダインを戻し他のアセスへ変えようとするのは阻止される。


 それでいてザキラは攻撃には消極的で、トパーズも必要以上の攻撃をせず逃げ回るだけ。ならばとネビュラの方へ向かおうとすれば阻まれる、退却するのも同様とこれまでにない相手の性質にエルクリッドは歯を食いしばりつつも思考を回す。


(考えろあたし、落ち着けあたし……エスケープもアセスチェンジも潰されてるし、ダインに無理もさせられない。どうすればいい……どうすれば……)


 焦燥感が強くなり思考が止まりそうになる。敗北という二文字があらぬ未来を脳裏に浮かばせ、そこから招かれる恐怖が力を求めさせ、エルクリッドの鼓動が早くなっていく。


 そんなエルクリッドへダインが振り返り一度鳴いて前を向かせ、刹那、トパーズがダインの背に飛び乗り大斧を振りかざす姿に目を見開いた。


「ダイン!」


 カードを抜くのも間に合わない状況下でエルクリッドが手を伸ばし、次の瞬間にダインは背負う金の円環を解いて帯状にしトパーズを縛り上げ、間一髪大斧の一撃は防ぎ止める。

 だが、安心する間もなくトパーズの影から飛び出してきたマリンが橦木のような頭を持つ漆黒の鮫の姿を晒し、刹那にダインの喉元を噛みちぎった。


 エルクリッドの首筋からも同様に激しく血が飛び、ガクンと膝から崩れるようにダインと共にその場に倒れ伏せ、だが意識を留めながらカードへと戻ったダインを手に取り、傷を押さえながらカード入れへと戻す。


「あたくし、殺しはしたくないの。見逃してあげるからそのまま立たないで」


(負ける……あたしが……)


 トパーズとマリンをカードへ戻しカード入れへとしまったザキラの言葉はエルクリッドの耳には届いてはいなかった。流れ落ちる血溜まりを見つめ、心の底から黒いものが湧き上がる感覚に身を委ねるように、静かに立ち上がりながら瞳から光は消えて赤い髪が黒く染まっていく。


「あたしは、負けない……負け、られない……!」


「……声、聴こえてなさそうね。まぁいいわ、それじゃあまた」


 エルクリッドが黒い光を帯びたカード入れへと手にかけた瞬間にザキラは手を振りながら後退し、そそくさとその場から立ち去ってしまう。

 だが逃しまいとエルクリッドは走って追いかけ、地面を抉り細くなった瞳孔でザキラを捉える姿は獲物を追う肉食動物にも見えた。


「エメラルド、あれを作って頂戴」


 あまりの変化にザキラはさらに足を早めながらカードを引き抜き、エメラルドと呼んだ深緑と青色の身体を持つ大蜘蛛が頷いて別方向へと走り去り、エルクリッドは構わずザキラを追い回す。


 何度か廃墟の追跡劇を繰り広げながら少しずつ少しずつザキラとの距離が詰まる中、角を曲がったところでザキラは滑り込むように何かの下をくぐり、エルクリッドはそこに張り巡らされていた蜘蛛の巣に引っかかり暴れる程に糸は絡みつき、さらに待ち伏せていたエメラルドが尻から糸をさらに吹きつけ雁字搦めにしていく。


「スペル発動アースバインド、ちょっとは落ち着きなさいな」


 木の根による拘束を行うアースバインドもありエルクリッドは完全に動けなくなり、それでも暴れ狂い何やら叫ぶ様にはザキラはため息をつきながらエメラルドをカードへと戻す。


 しばらくその様子を見てからカードを抜くと、ふと隣にネビュラがやって来ていたのに気づきカードを戻しため息をつく。


「依頼通りに贈り物とやらは彼女に埋めたけど……こうなるなら言ってほしかったわね」


 ザキラがそう言って振り返るのはエルクリッドと遭遇した際に鎖骨に触れた刹那。事前にネビュラから渡されていた黒と赤の小さな玉を当てて身体へ潜り込ませ、すぐに離れた事や体内へ消えた事からエルクリッド自身は気づいておらず、しかしその結果と思うと呆れるしかない。


 対するネビュラは予想外だったと一言だけ述べながら懐からカードを取り出し、それをザキラへと渡しながらさらに語り続ける。


「彼女は特別、なるべく早く捕まえておこうと思ったけれど……トリスタン達を退け続けてるから難しいなって思う」


「なら、このまま連れて帰れば?」


「ルナール・ミゾロギの姿が見えた。彼女ならエルクリッドを捕らえたのを探知して拠点を割り出す事もしてくるだろうし、今回の目的は君を雇う事と、エルクリッドへ贈り物をする事だから……それに、顔を見たらなんか不思議なものが思えた、なんだろね、これは」


 胸に手を当てながらネビュラは目を閉じ、未だ暴れている様子のエルクリッドへ目を向ける。

 その眼差しが何処か穏やかにも見えたザキラであったが、さぁ帰ろうかと言った事で思考をやめひとまずその場から離脱した。


 

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