世、妖(あやかし)おらず ー不昇降機ー

銀満ノ錦平

上昇

 世の常識というものは常に我々が脳の働きによって視力、聴力、触覚、嗅覚、味覚によって形成された実像を現実と捉え、それにより過去の偉大なる研究者達の功績により不可解な現象や伝説の生物等の存在の否定に貢献し、それを我々も常識として叩き込まれ今、自身はその知識によって世を全うしている。


 私もその一人であり、世の常識の範囲で生まれ、教育し、大学卒業後は地元を出て他県のある会社に就職、一人暮らしを満喫しながら生活を送っていたが、私の心には不満もないが満足かと言われれば何処か空虚な気持ちになってしまいがちでいつも精神的に満たされない感情に何処か不安な要素が垣間見え、私自身がどの様な人生を送りたいのかが分からなく少し憂鬱気味に陥っていたと思う。


 私が住んでいるマンションは2LDKの賃貸で、当分独り暮らしする身としては別に不満も無いし、近所付き合いも悪くない。


 仕事も順調とは言えないが、別にストレスを溜めるほど忙しいとか社内環境が良くないとかでは無かったので知らず知らずに溜め込ん出るのかと思いつつも、ここまで気持ちが重く感じるのは明らかにおかしいと実感はしていたので私は様々な趣味をし始めた。


 先ずは簡単にジョギングをし始める。


 最初は意欲満々に取り組んでいたが、一人でジョギングをしているという孤立感が拭いきれず、結局1〜2ヶ月で飽きて辞めてしまい、より憂鬱感が溜まる一方でもうどうすればいいか頭を悩ましてしまいそのまま数ヶ月が経ってしまったある日…。


 偶々、マンションのエレベーターに乗った時、自身の部屋の階のボタンを押した際に手が滑って下の階も押してしまった時にこれも偶々だが、一緒に乗っていたマンションの住人が少し顔を歪ませたのを見てしまう…。


 私はその時、とても申し訳ない気持ちともう一つ…心からざあまみろという感情が何故か浮き出て、どちらも相見えない筈の感情が反発どころか混ざり合いそれが快感と一瞬でも起こしてしまったことに困惑したが、それが後々私自身の快楽になり変わったのはそう時間は掛からなかった。


 何故これが快楽となったのか…それは分からないが要は他人の不快な姿を見た時の恐縮感に、このエレベーターの様な狭い箱空間にはなるべく1人がいいという持論と、心の奥で一緒に乗った相手が邪魔だという邪な感情…この感情の不安定の波が心地よく感じてしまっているのだろうと実感してしまって、最初はそんな歪な癖に頭を抱えたが偶にその行為をすると自身の憂鬱さが消えて、爽快感と幸福感、それに快楽さえも充実していつしかそれが止まらなくなってしまったのである。


 しかし意図的に連続してそれをしてしまうと流石にわざとと怪しまれてしまうのは最悪住人問題…いや、マンション全体の問題に発展して仕舞いかねないので一ヶ月に2回程に留めておいて行動し始めた。


 一ヶ月程度とはいえこれもジョギングと同じく当初は少ししたら飽きるものだろうとしていたが、それが全く飽きない。


 他人の感情が少しでも不安や苛つきを見せる瞬間を見るのがここまで楽しくて愉快な感情を芽生えさせるほど快感を誕生させるのかと思わず、人としていけない事をしてしまう行為が…人として失格と言わざるおえない行為が…とても胸が熱く、興奮し、感情昂って、脳内のドーパミンがどくどくと溢れ出くこの高揚感に私は溺れていくのを理解していく。


 そしてついに、私はこの興奮がマンション内で収まらなくなってきてしまったのだ。


 やはり、マンション内は顔を知ってる人同士が乗ってしまう為に、例えわざとでないと言ったとしても同じ人が乗るとほぼ確実に誰も止まらない階のボタンを押されてしまい、最悪マンション内で私について苦情が来てしまい、立ち退きをせざる負えなくなってしまう事態に陥るのだけは私とて嫌な気持ちには間違いない。


 それでもこの興奮…エレベーターのボタンをわざと別の箇所を押して同乗してる他人の苛ついた感情を見ずにはいられない衝動をどう発散すればいいか悩みに悩んだ。


 結果、他のデパートを使うことで発散すればいいと結論付ける。


 これなら乗ってくる人はほぼ確実に赤の他人であるし、顔を知られてもどうせその時だけしか顔を合わせないので一生次に合う可能性もほぼ無い。


 運が良ければ人が多く乗くる上に、老若男女のその苛ついた表情、態度、そしてそれを外に発散出来ない為に心の中で留めざるおえない時のモヤモヤ感が無意識に身体に出ているのを見て取れると思うと本当に期待感が膨らんでいき、早速次の休みの日から実行に移した。


 結果はもうそれはそれは私の期待値を大きく上回る興奮度合いで、大型デパートの大きいエレベーターの中で密集しながらついわざと別の階のボタンを押した時の同乗してる人々の苛つき顔ときた、それはそれは私の心が晴れやかになる程に完璧な歯痒い空気が密封された空間で、私は申し訳なさとざまあみろというせめぎ合いの歪んだ精神に興奮してしまっていた。

 

 だが、数ヶ月後にはそれも飽きてしまい、会社の中のエレベーターに乗っていると頭の中で「私が知っている顔の苛ついた態度も見たい…」という欲求が脳内に流れ出るようになり、それがとても辛くもしてみたいという衝動に駆られ…結局、その脳内声が仕事中にも呟いて聴こえる様になってきてしまった為、私は自身の欲に従い、遂に仕事場のエレベーターでもその行為を行なってしまったのだ…しかも寄りによって上司が乗っている前で…。


 いけないことだとは思いつつ、やはりこのしてはいけないがやってしまう時の脳内の興奮度合いの良さに負けてしまい、私は上司に何処の階に向かうかを聞いてその階のボタンを押したと同時に膝にわざと他の階のボタンを押して、その上司の表情をガラス越しで確かめる。


 この上司はとても温厚で穏和な性格をしていて誰からにも慕われている人物で、一番反応を見たかった人物であったのでより、胸の高鳴りが轟始め、より一層興奮度合いが高まってるのがわかる。


 …この人もマンションの住人やデパートの客や従業員と同じで顔を少し歪ませ苛ついた態度になるのか…いつも柔らかい表情で人に接し尊敬されているこの人がそんな歪な表情になるのかもしれないと思うと…私は自然と出そうになるにやけを必死に抑えながら上司の表情を見た。


 その顔は、正に人を見下す様な冷たい表情と蔑む眼光で私をガラス越しから私を睨んでいたのだ。


 いつも笑顔が自然に張り付いていて、とても明るい表情しかイメージの沸かなかったあの上司の表情は、まるで自らに血を吸いに来た蚊を叩き殺してその死体を一瞥してるかの様な…何故こいつは俺の目の前で邪魔で煩わしい事をしているんだと言わんばかりの表情を目の辺りにして、私の顔は硬直し、只々その場から文字通り動くことができなかった。


 わざと押した階に到着する。


 その時エレベーターのドアが開かれる一瞬…ほんの一瞬ガラスに見える上司の表情はそれはそれは人を人として見ない…私の本当はわざと押していたことがバレているのではないかと不安にさせる程の見下した顔…私は、今まで行ってきた行動が如何に哀れでちっぽけな人間の卑劣な振る舞いだったのかを後悔してしまうには充分な態度で、上司は少しため息をつきながら独り言の体で私に聞こえるように


 「下らない、まるで不具合を作為的に起こしている生きたエレベーターだな。」


 この言葉がなぜ私に刺さったのかはわからない。


 いや、本当は見透かされていた事に気付かれていた真実に現実を受け入れられなかったと言ったほうが正しいかもしれない。


 その言葉は私がこういう行動を意図的にしているんだと確信したからこそ言ったのではないかと思う。


 よく考えれば私が上司の顔をガラス越しで見れたということは相手も同じく私の顔を見ていたということになり、その時の私の顔はきっと悪魔が微笑んでいるかの様に見えていたのかもしれないと思うと、途端に前までの興奮がナンタラというのが恥ずかしさとみっともなさで後悔が押し寄せてきてしまい、私はわざと押した階に勢いで降りてしまった。


 私は振り向いて上に向かうエレベーターに乗っていた上司を見ることが怖くてできなかった。


 私は今まで、他人といういつでも逃げれる立ち位置の存在を見下して自身の臆病さをひけらかしていたんだと恥ずかしくなり、私はエレベーターに籠もりたくなった。


 だけどエレベーターは私の為に止まってはくれない。


 あくまで人々の為…個人的な理由では私の為に止まってくれないのだ。


 だから私はもうエレベーターで快楽を得るのを諦めた。


 また別の快楽とストレスの発散を探そうとその日に決め私は虚ろながら反省の意を心に宿しながら仕事をし始めた。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

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