他言無用

 戦前の女学校では生徒どうしが友情以上の関係を抱き、親密になる文化が存在していたという。終戦後の学制改革で女学校の大半が共学化されてからは衰退していくのだが、星花女子学園においてはまだその名残があった。誰それと誰それが親密だ、というウワサ話はきくも何度耳にしたことがある。


 しかし麗子と富子がしていた行為は、明らかに親密という水準のものではなかった。


「ごっ、ごめんなさああい!!」


 富子は麗子と、戸の前で石像のように固まっているきくを押し出して逃走した。


「ば、坂東さん、あんたこんなとこで何してたの……」


 生まれて初めて接吻を目の当たりにしたきくは立ち眩みしそうになっていたが、どうにかこらえている。


「驚かせてしまってごめんなさい。が可愛かったものだからつい。ちょっとしたお遊びよ」


 お菓子をつまみ食いしてしまったかのような口調で言ってきた。


「あ、遊びでこんなことしちゃいけないもんじゃないの……あんた、良いところのお嬢様なんだからもうちょっと、その……」

「残念だけど、坂東麗子はあなたが思っている人間じゃないの」


 麗子は長い髪をかきあげた。


「他言無用でお願いしますわね」


 小屋から出てきた麗子は、いつものように凛とた顔つきだった。まだ固まっているきくとすれ違ったが、「そうだ」と歩みを止めて振り返る。


「次の日曜日、体を空けられるかしら? 鉛筆のお礼と口止めに、良いところに連れて行って差し上げますわ」


 黒曜石のような瞳に見つめられたきくは、催眠術をかけられたような感覚に陥った。衝撃的な光景のせいで頭がぼうっとしていることも相まって判断力が鈍り、すぐさま「わかった」と返事してしまったのだ。


「お約束も他言無用よ」


 麗子は今度こそ立ち去った。みんなの憧れのお姉さまである麗子と遊ぶ約束を取り付けた。ことの重大さを自覚したのは寮に帰ったときである。


「どエライことになっちゃったな……」


 夕飯の支度に取り掛かろうとしていると、厨房に恐る恐る入ってくる人影があった。富子は今日の料理当番であった。


「あ、あの……」

「昼のことはみんなに黙っとくから入ってきなさいよ」

「すみません、ありがとうございます……」


 自分も麗子絡みで富子に言えない秘密を抱えている身、おあいこである。


 *


 日曜日、きくは休暇の名目で朝食以降の仕事を他の寮生に任せて外出することにした。「どこに行くの?」と寮生から聞かれても「ちょっと遠出するだけ」とはぐらかさなければならなかったが、特に不審がられることはなかった。きくは買い出しや、お盆と年末年始の閉寮期間中の里帰りを除き外出することが無かったため、寮生からはたまの息抜きに行くのかなと思われていたのかもしれない。


 麗子からは最寄り駅の前で待つようにと言われていた。後に学園前駅と改称されるこの星川電鉄の駅の周りにはほとんど田畑と農家しかない。一軒だけ武家屋敷めいた家があり、その正門に神前幕が掲げられている。この目立った家こそが美千代が入り浸っている三元教教会である。


 作務衣姿の若い男性が玄関を掃き清めているのが見えたが、あれが美千代が入れ込んでいる若先生らしい。想像と違い、顔は正直乙の丙ぐらいで美男子とは程遠かったものの、頬骨がガッシリとした強面であり、体格もガッシリとしていた。見た目だけでは美千代の言うように優しく穏やかではなさそうな気がする。


「ああいうのがみっちゃんの好みなのか……」


 人の好みにケチをつける気はないので、お布施を巻き上げられなければ良し、と思うことにした。


 駅舎の時計が待ち合わせ時間を指すと、けたたましいエンジン音が近づいてきた。麗子の送迎に使われている黒塗りの高級車だ。


「ごきげんよう」


 後部座席には麗子がいる。緑色のワンピースを着ていたが、まるでおとぎの国からやってきたかのような可憐さで、きくが身に着けている外行き用のブラウスとスカートが野暮ったく見えるほどであった。


 運転手がドアを開けた。


「どうぞ、お乗りになってください」

「じゃあ、お邪魔します……」


 まるで家に上がるように、きくは恐る恐る乗車した。


「こんないい車に乗せてもらっていいのかな……」


 家が豊かだった頃のきくでも、これほどの高級車には乗ったことがなかった。


「いくらぐらいしたの?」


 きくは下世話な質問をした。


「タダよ。星川電鉄会長のお下がりなの」

「タダで!? すっごい太っ腹だな……」

「会長はお父さまにいろいろとよくしてくださるのよ」


 だからといって車一台をぽんとあげてしまう感覚をきくは理解できなかった。


 車はゆっくりと幹線道路を南下する。このまま進めば国鉄東海道線に差し掛かるが、その前で西の方角に曲がった。しばらく進むと、丘陵地に入っていった。


 頂上には大きな二階建ての豪邸があった。それは和風建築とも洋風建築ともとれる不思議な意匠であった。外壁や窓は洋風にもかかわらず、屋根は瓦が使われている。その造りは寺社仏閣や、三元教教会のものによく似ていた。


 車は豪邸の敷地内に入り、停まった。


「着いたわ」

「坂東さん、ここはどこ?」

「私のお家よ」

「……へ?」

「さ、どうぞお降りになって」

 

 きくはゆっくりと降りた。窓越しではなく、直に豪邸を上から下まで眺めてみると、その不思議な造形に圧倒されそうになる。昔のきくも大きな屋敷に住んでおり、母屋と離れを含めると敷地の広さはこの豪邸と大差ない。だがこの丘陵地の頂上という絶好の場所からは田畑と街並みが一望できる。ここに坂東麗子は住んでいるのである。


「さすがお嬢様……どれだけお金使ったんだろうな……」


 下世話な独り言を麗子に聞かれた。


「こちらも元々は会長のお家でしてよ」


 星川電鉄の会長は何者なのだろうか。

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