何にも無いから

怠惰メロンソーダ

偽の少年

「…才音サイネが羨ましいんだ。」


「…え?」


 わたしは戸惑ってしまった。自分とは住んでいる世界が違うのだと思っていた生正セイショウくんが、わたしと真逆で文武両道かつ明るい性格の彼が、あまり聞かない暗めの声色でそんなことを言い出したから。


「な、なんで…?わたし、何にも出来ないのに…」


 昔から、わたしは音楽以外は何も出来なかった。ギターは趣味なので続けているだけで、他はダメだ。努力しても何も変わらない。勉強も運動も、他者とのコミュニケーションすらまともに出来なかった。


 それなのに、彼は否定した。


「違え、そうじゃねえ。」


 そう言って、わたしの目を真剣に見つめる。それに圧倒され何も言えないでいると、彼は少し表情を和らげて、こう言った。


「やりたいこととか、楽しいこととか…そういうの、オレには何も無いから。」


 ずっと満たされないんだよ、と、目線を落とした。


「…じゃあ、わたしが…」



「……」


「才音?」


「うわっ!?」


 修学旅行前日、放課後。昔のことを思い出していると、生正くんから声をかけられた。彼は慌てるわたしを面白がるように笑う。


「なんだよ、そんなびっくりするなよ!」


「だ、だって、急だったから…!」


 話しつつ、わたしは考える。もし彼がこれからもわたしだけに心を開き続けたら、わたしに全て捧げてくれるのだろうか。いくらでも楽に生きられる筈の彼が持ちうる手段を全て使って、出来損ないのわたしを愛してくれるのだろうか。


「…?お前、なんか考えてる?」


「えっ?」


 そうだ、彼は勘が鋭い。隠し事をしても無駄だ。


「あ……その…」


 だがこれを言ってしまえば、彼を嫌な気分にさせるかもしれない。引かれてしまうかもしれない。それは嫌だ。それに、直接言うのは恥ずかしい。


「…な、何でもないよ!じゃあね!」


 わたしには言う度胸が足りなかった。彼は察しがついてしまったかもしれないけど、構わずわたしは帰ろうとした。


「なあ。」


 彼が呼び止めたので、足が止まった。


「修学旅行の日、ちょっとだけ一緒に来てくれよ。」


「え?」


 振り返ると、彼がまっすぐわたしを見ていた。


「…ダメか?」


 それを聞いた瞬間、わたしは考えるより先に首を横に振ったらしかった。今の声は、今まで聞いたどんな声より凄味があり、それでいて脳味噌を掻き乱すような妙な刺激があった。


「よし、じゃあ明日、自由行動の時にオレが声かけるから。」


 元の声で言われ、彼が去っていった後も、わたしはしばらく立ち尽くしていた。

 わたしはあの声に弱い。



 その日の夜、夢を見た。才音への羨望、不安、嫉妬、支配欲…それらのどうしようもない感情を、どうすることもできず全て吐き出すように黒く禍々しい吐瀉物を吐きながら、彼女に馬乗りになって首を絞める夢であった。オレはその時、どうにも冷静になれず、「お前がいるから」だの「これじゃ正しくなれない」だの「オレを受け入れろ」だの、自分でも内心驚くほどの本音や隠したい欲望をうだうだと言いながら泣いていた。流れる涙も黒かった。

 絞められていた才音の顔は安らかだった。それこそ、オレの昔からの願望である『どんなオレであろうが受け入れて欲しい』というのが具現化されたようだった。だが、オレは少しも嬉しくない。だって、そんなの、オレの願望が才音という人間を捻じ曲げているだけだ。


「チッ……。」


 放課後、才音がオレのことを考えていた気がしたからってそれが良いこととは限らないのに、夢まで見て。


「うわ、まだ深夜だ…。」


 とんだ悪夢のせいで、変な時間に起きてしまった。二度寝するには夢を思い返したことで頭が冴えてしまったので時間がかかる。

 夢では黒い吐瀉物や涙に加え、腕に禍々しい紋様が浮かんでいたが、それは夢の中だけではない。オレは昔、鬼になったから。周りの空気を壊すことができなかった。クラスメイト達に遊び半分で当時学校で流行った降霊術『鬼呼び』をやらされてしまい、本当に憑かれてしまった。


「……。」


 鬼のオレが首を絞めれば、才音は確実に死ぬだろうな。


「……才音。」


 無意識に虚空へ名を呼ぶ。オレが素を見せるのは、あいつにだけだ。昔、幼馴染だからって信用してたし、オレには無い趣味、それに対する努力や才能とかも持っててずっと羨ましかったのもあるけど、ふと、偽るのすらどうでもよくなってつい本音を溢してしまったことがある。でも、あいつは受け入れてくれた。拒絶しなかった。それどころか、こう言ったのだ。


『…じゃあ、わたしが…絶対、何か探すから…!!』


『絶対何か探すから』それを聞いた瞬間、オレは彼女に憑かれてしまった。狂わされた。ずっと素の自分を潰していたのに、適当言って適当に正しく生きていたのに、それが義務だと思っていたのに。そんなことを幼馴染に本気で言われてしまえば、それだけで満たされるどころか…


「…ダメだな。」


 思考を振り払おうとしたが、どうにも消えない。そこで、オレは変な気を起こしてしまった。


「…もう、明日全部バラしちまおう。」




 彼女なら受け入れる。絶対に受け入れる筈だ。








 翌日、オレは昨日言った通り、才音を見つけて声をかけた。探しに行くまで他の奴らが群がってきたが、それっぽい適当を言って引き離した。こういうのは得意である。


「急に言ったのにありがとうな。」


「えっ、あ…うん。」


 遊園地の端、建物の裏。それも、木々の影で暗くなっている。才音はオレから目を逸らしている。顔が赤いので、恐らく今の状況が恥ずかしいのだろう。オレはというと、全く恥ずかしくない。好きな子と2人きりという状況なのに、色々と冷めてしまっているのが自覚できてしまって嫌になる。…いや、今に限っては冷めている、とは違うか。


「オレ、心配になっちまうな〜。」


「!?ち、違うよっ…生正くんだから従っただけだよ…!!」


 軽口を叩き油断させ、さりげなく近付く。…やはり変な気を起こしている。本当はこんなことしないつもりだった。ただ言うだけだったのに。


「…生正くん?」


「そんなこと言われる価値ねえわ。」


「え…?」



 困惑する彼女に、『昔言ったようにさ』と、オレは続ける。


「今よりガキの頃からずっと、自分の趣味とか、楽しみとか、そういうのが無かった。理由は正しく生きることしか考えてなかったから。」


 昔から、オレは他人の望んでいることや考えていることがなんとなく分かってた。先生や両親の言う『正しい人間』が、思いやりを忘れず、人や雰囲気に合わせて、羽目を外さない人間だってことも分かってた。だからオレはそれに従って、嘘の自分を作った。空気を読んで生きていた。


「…で、でも、それだけじゃ勉強や運動は…」


「努力したんだ。」


「っ…」


「『何故そこまで』と思ったか?簡単な話だ。」


 言った後、オレは一呼吸置いた。


「……怖かったからだよ。」


「怖かった…?」


「ああ。」


 人に嫌われるのが怖かった。オレはお前より臆病だから、自分を守るための盾を作っただけ。実際、クラスメイトの奴らが盾に寄ってきたから、これは成功した。


「…でも、ずっと虚しかった。」


 今更変わろうとしても、これしか知らないから無理だ。だから、オレには価値なんざ無い。これからもずっとそうだって、本気で思ってた。


「……。」


「…そんな時にさ。」


 オレの人生を変えたの、誰だと思う?


「…あ」


 違う、こんなこと言おうとしていない。でも、もう言ってしまったのだ。つまりは無意識なのだ。なら仕方が無い。


「え…」


 彼女の返事を待たず、オレは彼女が壁にもたれかかっているのを確認して…すぐ横に手を突いた。


「!?」


 顔を真っ赤にして、オレを見る彼女。


「せ、生正くんっ……こ、これ、壁ド」


「才音。」


 声を低くして囁くと、彼女はびくりとして小さく息を呑む。それは恐怖からではないことは、彼女の顔を見れば明らかである。オレは受け入れられているのだと感じる。ああ、なんて気分が良い。


「…お前だよ。」


 きっとオレ、お前に会うために生まれてきたんだ。



 元々わたしは彼が好きだった。幼馴染だから気にかけてくれていたのだろうが、彼は、無価値なわたしに唯一優しくしてくれた人間だから。容姿端麗というのも理由だ。


「…お前だよ。」


 彼にそう言われた瞬間、わたしは頭が真っ白になった。今のこの状況だけでもかなり厳しいのに、そんなこと言われれば壊れるに決まってる。


「せ…生正くん、あ、頭…」


 それに今は頭から角が生え、腕や顔には禍々しい紋様が出ている。明らかに人間ではない。それが更にわたしをおかしくさせる。


「あ〜……もういいんだよ。」


 言いながら彼は笑う。だが、皆に見せる笑顔とは違う、妙に澄んだ表情である。


 生正くんは明るい。それが偽りだと知っているのは、わたしだけだ。わたしだけが信用されている。その事実だけで、どうにかなりそうになる。


 生正くんがくれたのは、信用と狂気に満ちた愛である。しかも、受け入れただけでこれだ。わたしは興奮した。あの日以来、わたしは彼の素の声や、狂気や欲望を帯びた声に弱くなった。


 わたしにとって愛とは、相手に何かを捧げることだ。地位だろうが名声だろうが金だろうが何だろうが、与えなければ愛しているとはならないと思っている。


 彼は自分の声の使い方を知っているし、容姿端麗である自覚もある。わたしの行動によりもっと献身的になれば、彼はどうなってしまうのだろう。それによる結果はどうなるのだろう。いっそ壊して欲しい。彼の愛に殺されてしまいたい。


「そうなんだ…あは、すごく嬉しい…」


 わたしは震える指を抑えようともせず、彼を見つめた。


「…生正くん。わたしも好きだよ。」


 だから、もっとわたしに狂って。

 わたしを愛して。

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