第26話





 セレナはユユと無邪気に砂遊びをし、レオは焚き火のそばに座り、その様子を静かに見守っていた。セレナの頬の痣は薄れ、髪には再び月のような輝きが戻ってきている。ユユはセレナの周りを跳ね回り、二人から笑い声が絶えることはなかった。


 ……セレナ様の心が少しでも軽くなればいいな。ユユも楽しそうだし、連れてきてよかった。環境因子《月の森林》が活性化し、《箱庭》に魔力が満ちているせいかセレナ様も疲れ知らずで羨ましい。


 元々インドア派なレオは深いため息をつき、ぱちぱち跳ねる焚き火の音にぼんやりと寝転がった。


 《箱庭》には昼夜の概念がない。いつ見ても同じ光度、同じ風景。ともすれば、永遠に続くんじゃないかとも思える。


 空を見上げれば、蒼い空もなく虚無が広がっているのだ。


 星空の花を空に飾れば、少しは《箱庭》の空も夜空に近づくだろうか。


 ……よしっ。現実逃避はこのくらいにしよう。


 セレナの身体に残る、男たちの卑劣な行いの跡が彼の脳裏から離れない。そして、自分たちの身に巻かれた忌々しい《魔封じ》の鎖。


 あれが外されない限り、自分たちは馬車の檻の中に囚われたままだ。


 ふざけた真似をしてくれた馬鹿どもには裁きをくれてやる。


 レオは心に固く誓った。


 奴らを殺すために、僕は今まで使ってこなかった切り札の練習をする必要がある。


 レオはユユに声をかけた。


「ユユ、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ」


『なーに、れお! れおもいっしょにあそぶ?』


 ユユは楽しそうに光を揺らした。


「うん。遊びみたいなものかな。ユユの力を借りて、魔法を使えるようになりたいんだ」


『まほう? ゆゆのちから? うーん、あんまりつよくないよ? まだちっちゃいもん』

「それでもいいんだ。助けてくれる?」

『うん!』


 レオはそう言って、浅瀬へと向かった。


 ユユはレオの言葉に嬉しそうに光を揺らし、レオの周りを飛び回る。


 レオは海辺に立ち、目を閉じ集中する。


「ユユ、海水を操る手伝いをしてくれないか?」

『うん! れおがまほうつかえるように、ゆゆがんばる!』


 ユユの声に応えるように海水が虚空から生み出される。


 【スキル《精霊術Lv.1》が発動します】


「っ…!」


 その海水の塊をレオは思い切り前に突き出した。海水の塊は勢いよく飛び出し、海面にぶつかり少しの水柱を上げた。


 ドパーンッ!


『おー! おもしろーい! れおとゆゆのまほう~♪』


 ユユは嬉しそうにレオの周りを飛び跳ねた。


 確かに威力はある。だが、この程度の威力では馬車の護衛を殺しきれないな。精霊の力はこんなものじゃない。幼いとは言え精霊は精霊なのだ。


 その力を引き出せないのは、僕の力不足ってやつか。


 ……だが、人を殺すのに威力は必要ない。


 レオは《深き海のサファイア》に触れた時のことを思い出していた。海水の塊が喉に流れ込み、息ができなくなったあの窒息の恐怖。


 王国の死刑の中でもより残酷な方法。水魔法による窒息死。


 奴らにはお似合いだろう。レオは淡々と殺害の手順を考える。


『れお? こわいかおしてるよ?』

「レオ様は魔法も使えるんですね! 凄いですっ!」


「実はこれ、魔法じゃなくてユユの力なんです。僕に魔法は使えません」


 そもそもセレナ様と違って僕、魔力回復しないし。魔法っぽく出しているのはユユにお願いして出した《精霊術》の一種だ。


 そう言って、レオは静かに笑った。





 次の日、六日目の夜。レオたちは寝たふりをしながら、来るべき脱出の機会を待った。荷台に入る光の一切を遮断する天幕が開けられ、カンテラに火を付けた護衛の太っちょが中を確認する。


「……寝てやがるな。ま、あと一日もあればこの旅は終わりだ。ちょっとくらい使みたかったが……はぁ」


 ため息を吐き、太っちょが天幕を下げ出ていく。


 ……。


 …。


「行きましたね」

「そうですねっ、ふふ。すこしどきどきしました」


 身体を寄せ合い、小さな声で会話する。セレナは《箱庭》で過ごした経験が良い影響をもたらしたのか、この状況を楽しむ余裕すらあった。


 その様子にレオは内心ほっと息をつき、手順を再び確認する。


 そして馬車の揺れが止まった時、レオは意識を《箱庭》へと飛ばした。


「ユユ、お願いがあるんだ」

『なーに、レオ?』

「僕の身体についた鎖を、錆びさせてほしい」


 ユユは不思議そうに光を揺らした。


『さび?』


 レオはユユに説明した。


「海水は鉄を錆びさせる。ユユは海を操れるから、僕の身体を海水に浸して、鎖を錆びさせてほしいんだ。大丈夫、僕も手伝うからきっとできると思う」


『うん! わかった!』


 ユユはレオの言葉に元気よく返事をした。


【スキル《精霊術Lv.1》が発動します】

【スキル《精霊交感Lv.2》が発動します】

【特性《箱庭の管理者》により工程が省略されます】


 その瞬間、レオの《箱庭》の外にいる肉体が水に包まれる。


 馬車の中を満たす水。


 いや、それは水ではなく海水だった。《箱庭》の中に存在する《深海》から、ユユが海水を抜き出したのだ。


 レオの身体は宙に浮き、海水の塊に包まれていく。そして、レオの手足に巻かれた《魔封じ》の鎖が海水に浸されていく。


 ジャラリと、鉄の鎖がわずかな音を立てた。


 ユユの力と共鳴する。


【《幼き海の精霊》が海水の腐食効果を加速させます!】


 しゅぅぅぅ……。


 鎖が溶けるように錆びていく。


【《魔封じ》の鎖が破損しました】


 鉄の鎖はボロボロになり、レオの手足から外れ落ちた。


 セレナにも同じようにしてあげるよう、ユユに頼むとセレナの鎖も同様に腐食が進んでいく。彼女もまた鎖から解放された。


「すごい……! レオ様、鎖が…!」


 セレナは感動と驚きに満ちた声で呟いた。


「よし、成功だ。これでようやく動き回れる」


 《箱庭》の中の海水が再び《深海》へと戻っていく。


 ようやく取れた。レオはこすれて皮が剥げた手首と足首を確認し、その痛そうな見た目に顔をしかめる。


 痛いのは痛いけど、慣れてるからそこまででもないんだよな。この手の痛みって。靴擦れが少し酷くなったみたいな感じだ。


 セレナも暗闇で見えないながらも、取れた鎖に喜んでいる。


 夜。男たちが寝静まったその時が脱出のチャンスだ。不寝番は二人、交代交代でやっているだろうし、片方にさえ接近できれば《精霊術Lv.1》でも十分確実に殺せる。


 レオは静かに鉄格子の扉に手を伸ばした。


「ユユ、お願い」


 【スキル《精霊術Lv.1》が発動します】


 海水が《箱庭》から呼び出され、鉄格子がしゅぅぅぅ……という音と共に腐食していく。



「クソ野郎どもに覚めない夢を見せてやろう」



 レオの双眼には冷たい合理性が蠢いていた。



【《星の輪を追いかける獣》があなたの発言に耳をピクピクさせています】




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