第16話




 三日目。レオは《箱庭》の生け簀を満たすため、貴族街を離れ、平民街にある王都最大の市場へ向かっていた。


「レオ、市場のどこに行くの?」


 アクースが尋ねる。


「まずは魚売り場に行きたいんです。生きている魚が手に入ればいいんですが……」


 いつまでも独りぼっちじゃユユが可哀そうだ。


『ゆゆはれおがいればたのしいよ?』


 それは嬉しいけど、でも僕は君に約束したから。商人は契約を大切にする生き物なんだよ。


『ふーん? おさかな! たのしみ!』


 レオはそう言って、市場の地図を頭の中で思い描いた。市場は様々な区画に分かれており、魚や肉、野菜、香辛料、そして日用品が売られている。


 市場に一歩足を踏み入れると、貴族街とは全く違う活気がレオを包み込んだ。人々の喧騒、様々な食材の匂い、売り子たちの威勢のいい声。すべてが新鮮で、レオの好奇心を強く刺激する。


 魚売り場は市場の一番奥にあった。しかし、そこにあるのは、鮮度の落ちた、または塩漬けにされた魚ばかりだった。生きている魚は一匹も見当たらない。


「残念……」

『おさかな~……! ふふふ!』


 レオは肩を落とした。生け簀に魚を入れるには、生きた魚でなければならないだろう。常に開きっぱなしの《箱庭》の小さな窓から、ユユの楽し気な声が響く。


 レオの残念がっている様子を真似して、楽しんでいるようだ。


「生きてる魚なんて売ってないよ。新鮮な魚は漁師さんから直接買うのが普通だから」


 アクースが当然のように言った。


「そうなんですか……」


 それもそうか。


 王都から最寄りの港まで相当な距離がある。生きたまま魚を運ぶには膨大な海水と温度を維持する氷魔法の使い手が必要だ。伝説に謳われる空間魔法使いが居れば話は簡単なんだけどなぁ。


 レオは落胆したが、すぐに気を取り直した。まだ今日を入れて5日ある。焦る必要はない。


「せっかくだから、他の店も見てみましょうか」


 レオはそう言って、市場をぶらぶらと歩き始めた。香辛料を扱う店、布地を売る店、そして武器や防具を売る店。どれもこれも、レオにとっては初めて見るものばかりだ。


 その時、レオは一人の少女に目が留まった。年の頃はレオと同じくらいだろうか。質素なローブを身につけ、フードを目深に被っている。しかし、そのローブは明らかに質が良く、仕立ての良いものだ。


 そして、何より妙だったのが彼女の行動だ。周囲を警戒するように右往左往し、まるで何かから逃げているかのように見えた。


 ……妙だな。


 レオは興味を惹かれ、彼女の様子をじっと見つめる。すると、風が吹き、彼女のフードがわずかに捲れ上がった。


 その下からこぼれ出たのは、太陽の光を浴びてきらめく、豊かな金色の髪。見るものを魅了してやまないその美しい髪の艶やかさ。


 どこかで見た覚えがある。


 レオは父から聞いた豆知識を思い出した。


 魔力の強い貴族、特に侯爵以上の貴族はその髪に魔力が宿り、自然と輝きを放つ。それは彼らの血筋と魔力の強さの証だ。


 身体的特徴にまで魔力の影響が現れるほど、彼らは膨大な魔力を持っている。


 目の前の少女は平民の格好をしているが、その艶やかな髪は明らかに貴族のものだ。


 ……なぜ、こんな場所で、一人で? いかん、厄介ごとの匂いがする。しかし放っておくわけにもいくまい。というか巡回する騎士団は居ないのか!? 気づけよ!


 考え事で足を止めていると、視界に映った少女が見えなくなりそうになる。


 あぁ、クソ。行くしかないか!


 レオは彼女の後を追うことにした。


 少女は市場の喧騒を抜け、細い路地裏へと入っていった。そこは人通りが少なく、薄暗く、埃っぽい。


 レオはアクースに目配せし、少女に気づかれないように慎重に後を追った。


 路地裏の奥で少女は三人の男に囲まれていた。彼らは見るからにごろつきだ。よくわからない何かを背負っている男も居る。


 なんだあれ、馬の餌袋か?


「おい、嬢ちゃん。そのローブ、随分と上等なもんじゃねぇのか? ちょっと貸してくれよ」

「っ、離して……ください!」


 少女は怯えた声で言った。男たちは嘲るように笑い、上から鷲掴むように少女のローブを握りしめた。


 相当な身長差だ。あの子も相当怖い思いをしているだろう。


「おとなしく渡せば、怪我はさせねぇかもしんねぇぞ?」


 その時、レオは彼らの会話を聞き、違和感に眉をひそめた。


 ……目利きが利くごろつきだと?


 平民が身につけるには上質なローブだが、果たしてごろつき風情に目利きが利くものだろうか? 


「……そろそろいいか? おい、"袋"の準備を――」


 レオは咄嗟に前に出た。


「その娘から手を離した方がいいですよ」


 ごろつきの一人がレオを振り返った。


「なんだ、坊主。お前もこの嬢ちゃんの知り合いか?」


 男はそう言って嘲るような笑みを浮かべた。その手には鈍く、異様な光を放つナイフが握られている。


 《魔装化》が施されている。魔力の放つ光を消す艶消しのようなものが施されているが、間違いなく《魔装》の一種。


 《魔装化》とは《魔宝玉》を人工的に作る技術を武装に転用した技術だ。ダンジョンから発掘される魔力が籠った特別な武装も《魔装》に分類される。あのナイフはおそらく第8等級程度だろう。


 ……なんでこんなものまで見通せるんだ、僕。


【スキル《精霊交感Lv.2》が発動しています】

【あなたは精霊の知覚を得ています】


 ……そういうことか。とりあえず納得しておく。


 それにしてもおかしいところがありすぎる。ごろつき風情が持っていていい武装じゃない。平民相手には騙せるかもしれないが、あいにくこちらは貴族相手に商売してる目が肥えた宝石商の息子だ。


 僕の眼は誤魔化せない。


「この娘は僕の知り合いなんです。彼女に手を出せばただでは済みませんよ」


 レオは強気に言い放った。しかし、レオの言葉に男は肩を震わせ、笑いを堪えられない。


 大根役者だな。


 父に連れられ、劇場にも足を運んだことがあるレオはそう思った。


「はっはっは! 坊主、いい度胸だ。だが、ここは平民街の外れだぜ? お坊ちゃんが偉そうにする場所じゃねぇんだッよ!」


 男はそう言って、ナイフをレオに突き出した――その瞬間、アクースの姿が消えた。


 いや、違う。速すぎて見えなかったのだ。この場に存在する全ての知覚をぶっちぎり、アクースは三人組のごろつきの背後に移動していた。


 次の瞬間、男たちの身体は宙を舞っていた。アクースは一人の男の腕を掴み、そのまま軽々と投げ飛ばしたのだ。


「ぐっ!」


 男は壁に叩きつけられ、意識を失った。


「あに――き?」

「な、?」


 残り二人のごろつきは何が起こったのか理解できないまま、呆然と立ち尽くしている。


 アクースは静かに冷たい声で言った。


「レオに指一本でも触れるな。私の護衛対象だ」


 その言葉にごろつきたちは嫌そうな顔をして、舌打ちをして倒れた仲間を背負い逃げていった。


 Bランク冒険者。


 その実力を目の当たりにしたレオは、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「……アクースさん、すっごー……!」


 レオはそう呟いた。


 アクースは何も言わず、ただ静かにレオの隣に立つ。彼女の顔には一切の表情がない。


「怪我はない?」


 アクースが少女に尋ねる。


 少女は怯えた様子で首を縦に振った。


 レオは小さくアクースに近づき、小声で


「アクースさん……下手なこと言わない方がいいですよ。多分、彼女貴族です。それも相当高位の」


 と伝えると、アクースの獣耳がビクッと固まる。


「……怪我はない、です、か?」


 カチコチになりながらアクースは再び少女に尋ねた。わかりやすすぎる反応にレオは吹き出しそうになりながら、アクースに助け船を出すべく少女に近づき、声をかけた。


「大丈夫ですか?」


 少女は少しの間レオを見つめた後、静かにフードを外した。


 そこに現れたのは黄金に輝く髪と、深く澄んだ青い瞳を持つ、息をのむほど美しい少女だった。これが貴族の令嬢か。


 まるで人型の生きる宝石だ。


 彼女はレオを見つめ、呼吸を落ち着かせて言った。


「……ありがとう、ございます。助けてくれて」


 声まで美しいとは。鈴の音のような可愛げのある声……ん? これは……。


 レオは彼女のローブの内側に小さくある刺繍を目にして、とある貴族の家紋を思い出した。


 吠える狼と満月の模様……!?


 王都でも指折りの公爵家、ルーフェン家の家紋! 大物中の大物じゃないか!


 この子は公爵家の令嬢なのか。どうして平民街に? それにあのごろつきたちも違和感の塊だったし。


 レオは内心で困惑しながら、笑顔で彼女に手を差し伸べた。


「怪我がないならよかった。一旦僕の家に来ませんか? ここはあまり安全な場所ではないですから」


 少女はレオの手を掴み、小さく頷いた。


「……はい」


 こうして、レオは予期せぬ形で、貴族の令嬢を拾うことになった。

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