夏というもの

なみ

夏というもの

夏を感じること

蝉の声

今年は鳴き始めが遅く

夏が始まった気がしなかった

静かな夏は、夏という気がしない

今は酷暑で網戸で過ごすことも減ったが

昔は日中、網戸にへばりついて鳴く蝉の

脳天が擦れるようなミンミンの声

扇風機の風、うちわのしなびる音

隣の家から聞こえる高校野球の中継と

それら全てが夏の音だった

花火の音

プールの喧騒

そう

夏はとても、うるさいものなのだ


朝の駅までの道のり

住宅街を抜けていると漂ってくる線香の香

線香の香りが、脳を盆へといざなり

やがて終戦へとつながる

朝起きて仏壇に線香をあげる

慌ただしい朝か、

朝の終わりかけに起きる朝しかない私に

仏壇に手を合わせる朝が送れない私に

生き方自体を問うてくるような

そんな線香の香


通勤電車が少し空いている

学生たちが夏休みに入ったのだ

彼らは思い思いの夏を過ごしているだろう

大学の夏休み、約2か月

今思っても「有意義」には過ごせなかった

旅行もしたし、バイトもしたし

本も読んで勉強もしたつもりだけれども

その期間に見合う収穫があったか、どうか

2か月は長すぎた

壮大なことをしない私には長すぎた

2か月×4年間

無駄に過ごしてしまった後悔

働き始めてから興味を持った色々なこと

今ならばあの分野で働いてみたい

これも作ってみたいし、習ってみたい

やってみたいことで一杯なのに

2か月を与えられるには、私は幼すぎた


朝のラジオ体操

子どもの頃の夏休み

近所の神社で行われる

子供会のラジオ体操に参加していた

6時半だったか

こんなに早い時間に外出すること

こんなに早い時間なのに明るいこと

これらに不思議な感じがしながらも

洋々と神社を目指した

農家から鶏の鳴き声が聞こえる

朝はもう、動き出している

そう、夏は日が長いのだ


夏に嫌なこと、辛いことがあっても

それを思い出す記憶のその日は

いつも暑くて明るい

夜のことであっても、

冬の夜よりも明るい

夏の明るさが、悲しみを緩和する

そして楽しみは増す

夏のうるささが

頭を悲しみで満たすことの邪魔をする

夏のうるささが

気持ちを更に高揚させる


夏に沖縄を訪れたことがある

夏に長崎を訪れたことがある

資料館で流した涙、感じた悲痛

外に出て熱気を浴びた時、陽射しを浴びた時

それらが昇華する感じがした

眩しい!

その瞬間に、意識が、

平和な現実に戻った

悲しみを引きずることなく、

休暇を楽しむツーリストに戻った

当時の人々も感じただろう暑さ

それなのに

往年に思いを馳せるよりも

今を生きることを後押しする


一昨年、海水浴をした

水着を来て海に入るのは、実に何年ぶりだろう!

海に入ったら、不快だった下腹部痛が消えた

母なる海の偉大なパワーに驚いた

海は私を満たしてくれる

人間を満たしてくれる

そこに散った何千何万の命を抱えて

今生きる人を満たしている


夏にしか出来ないことがある

夏の力でしか出来ないことがある

夏の心にしか分からないことがある


夏に付き合い始めた人と

別の夏に別れる

付き合い始めた夏を超える高揚は

その後も生まれなかったし

別れる勇気をくれたのも夏だった


夏の私の心は

時に私の心ではない

夏の私が決めたことは

のちの私には理解できない

夏の心は、麻痺した心

夏が人間の心を麻痺させる

喜びも悲しみも、麻痺させる


まだ闇と呼べない夏の夕べに

盆提灯を持つ祖母の姿

いつよりも優しくいつよりも切なく

あの世に送り出した家族を思う表情

今、私が持つ提灯の灯りは

彼女の元に届いているのだろか?


終戦が夏だったのは

まだ良かったのかもしれない

私が無駄にした夏も

夏というだけ良かったのかもしれない


胸がきしむ青春の思い出

幸福な若い日の思い出

それらはほとんどが夏


大切な人を亡くしたのも夏なのに

その後に積み重ねられた別の夏の思い出が

悲しい夏を溶かしていく

悲しみを忘れる訳ではないけれど

また新しい夏の陽射しが

人生をどんどん上書きしていく


夏の情景は全てが幻想的

自分すら確信が持てず幻想的

確かに存在したのに

フィクションであったかのような

半透明の光を浴びて

ぼんやりと

それでいて美しい

それが夏

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夏というもの なみ @rik3

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