緩みだしたパフアダー
増田朋美
緩みだしたパフアダー
水穂さんが倒れたという知らせがあって数日後、松本あやかさんは製鉄所に毎日訪れるようになっていた。水穂さんのことをこのまま放置しては行けないと思ったからであった。反対に、パフアダーの集会や、教室には行かなくなった。あの組織よりも、水穂さんや杉ちゃんたちのいる製鉄所のほうがずっと良い。あやかさんはそう思うようになっていた。
そんな中、あやかさんの自宅に一枚のハガキが届いた。差出人を見ると、あやかさんはそれも破って捨ててしまった。もう過去のものにしてしまいたいと思った。
その日もあやかさんは製鉄所に向かった。あやかさんは運転免許を持って居なかったので、製鉄所へ行くにはタクシーで行くことになる。まずっっスマートフォンでタクシーを呼び出し、自宅前で待つ必要があった。いつも通り自宅前でタクシーを待っていると、突然一台の乗用車があやかさんの前を猛スピードで走り抜けていった。ちょっと怖いなと思ったが、数分後に本物のタクシーがやってきたので、あやかさんはそれに乗って、いつも通りに製鉄所へ向かった。
一方、その製鉄所には華岡保夫が来訪していた。なんでも風呂を貸してくれというので、杉ちゃんは、すぐに入らせてやった。
「一体どうしたの?また事件が起きたんか?」
風呂から出て、頭を拭いている華岡に、杉ちゃんはお茶を出しながら言った。
「いや、いつまでも事件が解決しないから、頭を冷やしにきたんだ。」
と、華岡は言った。
「はあ、事件とはどんな事件なの?あんまりテレビも見ないし、新聞も読まないもんでさ。最近の事件のことはよくわからないんだよね。」
杉ちゃんが言うと、
「俺もわからないんだよ。場所は田貫湖の湖畔にある土手なんだが、そこで女性の死体が見つかった。被害者は持っていた免許証から、村下清子という女性だとわかった。死因は、首を刺されたことによる失血死であることも判明している。ただ、周りに血痕がないので、どこか別の場所で殺害されて、田貫湖に遺棄されたと思われる。」
華岡は、杉ちゃんの作ってくれたカレーを食べながら言った。
「それで、人間関係や、誰か恨みを持ってるやつとか、そういうやつは居なかったの?」
杉ちゃんが聞くと、
「それがねえ。人間関係も調べてみたが、村下清子は性格もきちんとしているし、誰かと愛人関係であったとか、そういう情報は一つもなかった。家族も、友人も、彼女が殺害されるような理由は、なにもないと言うんだ。」
華岡は、そういった。
「そうなんだね。彼女は何をしていた人だったの?なにか仕事していたの?」
杉ちゃんがまた聞くと、
「現在は働いては居なかったらしい。会社には勤めてはいない。しかし、インターネットで頼まれた仕事を引き受けて、その都度料金をもらうような感じで生活していたそうだ。」
と、華岡は答えた。
「いわゆる日雇いか。」
杉ちゃんが言うと、
「うーんそれとはちょっと違うんだがな。でも職業00と断定的に言うことはできないな。頼まれたことは何でもしていたそうだから。最近は、ほとんど家から出ないで、インターネットでやり取りするだけだったようだが、まあ事実上は、家事手伝いってことか。」
と、華岡は言った。
「じゃあ、家族以外の人とは、ほとんど接触はなく、インターネットで全てやり取りしていたわけね。」
「まあそういうことだね。親族とも、ほぼ顔を合わせたこともなかったようだ。だから誰も彼女と親密に接した訳ではなく、当然恨みをもつ人間もいないということだ。」
華岡は杉ちゃんに言って、お茶をがぶ飲みした。
「そうかも知れないね。でも華岡さん。もうちょっと調べてみる必要はあるんじゃないかな?」
杉ちゃんは華岡に言った。
「もうちょっとって?」
「だから、もうちょっとやるんだよ。インターネットってものがあるだろ?その関係もちゃんと見るんだよ。SNSとか、動画サイトとかそういうの。そこを調べてみるのも必要だよ。」
「そうか!それがあったか。確かに、インターネットでなにかやっていた可能性はあるな。それではもう少し調べてみなくちゃならないな。杉ちゃんありがとう!俺、もう少し頑張ってみるよ。」
「そうそう。現実の関係より、スマートフォンの関係のほうが、重大っていう時代だよ。」
杉ちゃんにそう言われて、華岡は手帳にインターネットと書いた。これも大多数の人がスマートフォンのメモアプリで済ませてしまう時代であるが、華岡は今でも手帳に書いていた。それだからなかなか犯人にたどり着けないと言われても仕方ないが、華岡はいつか何処かで役に立つのだと、話していた。
それと同時に、華岡のスマートフォンがなった。
「はいはいもしもし。」
華岡が言うと、
「警視何やってるんですか。もうすぐ捜査会議始まりますよ。早く帰ってきてください!」
という声が聞こえてくる。また部下の刑事が、華岡を催促しているんだなと杉ちゃんは笑いだしてしまった。華岡はごめんねと言って、すぐ製鉄所を出ていった。
それから、数分後に松本あやかさんが来訪した。彼女は、製鉄所をただ利用するだけではなくて、水穂さんの世話をしたり、製鉄所の掃除をしたりと、いろんなお手伝いをするようになっている。
「今日はなにかお手伝いすることはありますか?」
あやかさんは、杉ちゃんに聞いた。
「ほんじゃあ、中庭の洋蘭に水をやってくれ。」
杉ちゃんが言うと、
「また何かあったんですか?」
あやかさんは聞いた。そういう直感的になにかあったかわかってしまうようなところが、いわゆる精神障害と思われるのかもしれなかった。
「いやあ、何かあったわけでもないんだけどね。お前さんが来る前に、華岡さんが来て、事件の事を話していったよ。何でも、村下清子さんという、女性が殺害されたらしくてね。それで困っているみたいだったぜ。」
杉ちゃんがそう答えると、
「その村下という女性、私知ってますよ。パフアダーにいたとき、村下さんが小田島代表と話していたのをよく見かけました。村下さんは、小田島代表のことを、本にしたいって言って、よく、小田島代表に絡んでいたんです。その人が、殺害されたんですか?」
松本あやかさんは驚いていった。
「なるほど。やはりパフアダーにつながっていたわけか。その村下という女性はどんな女性だった?」
杉ちゃんはそう聞いてみる。
「あたしが見た限り、村下清子さんは、パフアダーをもう少し開かれた組織にするんだと言って、よく小田島代表にインタビューしては断られるのを繰り返していました。」
「それ、いつのことだ?彼女はいつ、小田島小夜子につきまとってた?」
杉ちゃんが聞くと、
「はい。私が見かけたのは、五年近く前でした。小田島代表があまりにもうるさいので、彼女を追い出したんです。その後は、私も知りません。彼女のことは。」
あやかさんは答えてくれたのであった。
「はあなるほどね。五年前にはパフアダーのことを記事にしようと企んでいて、その後はインターネットで日雇いの仕事をしていたわけね。」
「ええそんな感じでした。でもその村下さんが、何っで殺害されたのでしょうか。村下さんはパフアダーのことを、知らない人へ伝えようとしていたんですよ。」
「まあそうかも知れないけどさ。いずれにしても、事実は事実でもあるからな。そういうことなら、これで小田島に関わる女性が、4人なくなったことになるな。それは明らかに異常だぜ。それをなんとかしなくちゃな。」
「そうね。杉ちゃんの言う通りかもしれない。あたしも確かにこれではおかしいと思うようになった。」
杉ちゃんとあやかさんはそう言い合った。
「そうだろう。そういう障害のある人を引き取って、いかにも良いことをしているように見えるけど、役に立たないとそうやって殺害してしまうテロ組織だよ。パフアダーというのはね。それがたまたま、精神障害のある人たちで、ご家族に迷惑をかけているから、そればっかり強調されて、良いことをしたと言うか、紀が楽になったように見えちゃうわけ。そういうトリックだからね。トリックだぞ、トリック。」
それと同時に杉ちゃんのスマートフォンがなった。
「ああもしもし杉ちゃん、大変な事がわかったよ!」
電話の主は、華岡であった。
「何だよ。ちゃんと要件をいえ。そんな興奮しても通じないよ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「実はなあ。あの村下清子の遺体が握りしめていた、一枚の紙切れなんだが、もうほとんど水で濡れていて、全部の文字は解読できなかったんだがね。最初と最後、小と子だけがわかったんだ。つまり小と子がつく人物が、村下清子を殺害したということになる。つまりどういうことかと言うと、」
「うんわかる。そうしたのは小田島小夜子だろ?」
興奮してそういう華岡に、杉ちゃんはでかい声で言った。
「そういうことだと思うんだ。しかし、小田島がなぜ、その更生施設であるパフアダーの利用者をこれで4人も殺害しなければならなかったか?これがわからない。」
華岡は電話口でそう言っていた。
「何を言ってるの。それを調べるのがお前さんたちの仕事だろ?ちゃんと小田島小夜子という女性をしっかり調べてよ。」
「そうだね杉ちゃん。」
杉ちゃんに言われて、華岡は納得したように言った。電話の奥で、部下の刑事が捜査会議始めますよと言っている声が聞こえてきたので、
「早く捜査会議に行きな!」
とだけ言って杉ちゃんは電話を切った。
「本当に小田島さんでしょうか?」
と、彼女、松本あやかさんは言った。
「なんでそう思うんだ?だって、あのパフアダーという組織を主催しているのは小田島だぜ。」
杉ちゃんが言うと、
「だってあたしたちも、そうだったんですけど、小田島さんが、あたしたちを家から出してくれたことによって、あたしたちは、居場所を見つけることができたんですよ。」
と、あやかさんは言うのである。
「だけどさあ。いいか、すでに4人の犠牲者が出た。それはわかるよな?」
と、杉ちゃんが言った。
「でも、森江鮎子さんは自殺、加藤菊代さんも自殺だとすでにはっきりわかってるのに。」
「そうじゃないんだよ。だって今回の犠牲者であった、村下清子さんは明らかに他殺とわかってるんだから、他の二人だって、小田島が指示してやったことに決まってるさ。」
杉ちゃんはでかい声で言った。
「でも、そういうことするなら理由があるはずよね?」
あやかさんがそう言うと、
「まあねえ。でも、小田島の身勝手で、人を殺害したり、自殺に追い込んだりすることは、良くないことだぜ。」
杉ちゃんはすぐに言った。
「そうなんですね。あたしたちは、あの組織で居場所を見つけられたと思ったのに。御存知の通り、あたしたちが行くところなんてどこにもありません。足が悪い人たちや、高齢の人たちみたいに、居場所がたくさん提供されているわけでもありません。大体の子は、病院に長い間入れられて、いつの間にやらおじいさんおばあさん。それからでは、何もできません。そういう人間を小田島さんは集めて、行くところを作ってくれたんですよ。」
あやかさんは、そう静かに言った。
「でも、そうかも知れないけどね。いらない存在だから消しちまえっていう考え方を持ってる女性に、なんでそうやって何人もの女性がついていくんだ?」
杉ちゃんはよくわからないと言う顔で言った。
「ええ。そういうことなら、よく分かるわ。だって、あたしたちは、日頃からいらない存在だって、みんなから言われているから。」
あやかさんはそういった。
「まあ、そうだけどねえ。」
「日本では、将来的には大規模な施設に入れられるしか行くところがないのよ。それがあたしたちの行く末なの。健康な人のように、結婚して、子供を作らない限りね。それは寂しいけど仕方ないわよね。だから、ああして愛してくれると言ってくれる人は、本当に貴重なのよ。それだけは、私も嬉しいと思った。」
あやかさんの言葉に、杉ちゃんはひとこと
「そうなのね。」
とだけ言ったのであった。
それと同時に、華岡たちは、小田島小夜子のいるパフアダーの富士宮総本部に到着していた。今度は、小田島小夜子も、急用で出かけたなどの建前を作らず、ちゃんと、施設内にいた。
「なんですか。警察の方がこの施設に来るなんて、おかしな話ね。」
小田島は、警察に囲まれても堂々としていた。
「小田島さん。只今から、家宅捜索させていただきます。実は、先日亡くなられた、村下清子さんが、あなたの名刺を握りしめていたことから、あなたが事件に関与している疑いが出てきました。」
華岡が言うと、
「ええわかりました。どうぞしてください。」
小田島小夜子は、堂々といった。
「しかし、家宅捜索とは、変なものですね。それにしても私はなんの罪に問われるのかしら?」
「まず初めに、村下清子さんを殺害した容疑がかかってます。あなた、まず初めに、村下清子さんが殺された日、二時から五時の間ですが、どこにいました?」
華岡がそう言うと、
「ええ。ちゃんと話しますね。私はその時は、講演にいました。場所は富士市の文化センター。ちゃんと、岳南朝日新聞の記事にもなってるわ。それを、ちゃんとご覧になっていただいたかしら?」
と、小田島小夜子は言った。
「それに、その村下清子さんは明らかに他殺とわかるような刺され方をされていると聞きましたが、それをしたとされる凶器のようなものはどこにもありませんわ!」
捜査員たちは、建物全体に散らばって、引き出しを開けてみたり、衣装ケースを開けてみたりしたが、確かに、凶器になりそうな刃物は見つからななかったし、村下清子の返り血を浴びて汚れた服なども押収されなかった。そういうわけで、小田島小夜子が村下清子さんを殺害したという証拠は全く出てこなかった。捜査員たちは、仕方なく帰っていくしかなかったのだった。
しかし、悔しそうな顔をして、車に乗り込もうとした華岡と部下の刑事たちの前に、一枚の紙切れが、落ちていた。華岡がそれを拾うと、下手くそな字でこう書いてあった。
「警察さんごめんなさい。わたしたちがやりました。」
よく意味がわからない文句だったので、部下の刑事たちは捨ててしまおうと思ったが、こういうときに慎重になる華岡は、その紙切れをカバンの中にしまった。
「しかし、これでは小田島を逮捕することができない。だって、そのためには物的証拠が必要だが、何も出なかった。」
華岡は、それを眺めながら困った顔で言った。
「そういうわけで、俺達は何も得られないで結局帰って来るしかなかった。」
と、華岡は、大きなため息を付いて、杉ちゃんの出してくれたカレーにかぶりついた。
「それで、得たものは紙切れ一枚だけか。」
と、杉ちゃんがでかい声で言った。
「でもそれに私達がやったと書いてあったんですね?」
と、水穂さんが言った。
「そういうことならちゃんとした罪の告白ということになるな?」
杉ちゃんが言うと、
「そうかも知れないけど、これでは、何があったのか、よくわかんないよ。」
華岡は、またカレーを食べながら言った。
「でも私達がやったと書いてあるんだったら、その私達は誰のことなのでしょうか?」
水穂さんがそう言うと、
「うーんそれは、パフアダーの組織に入って、あの組織がどうなっているのか調べてみる必要があるな。だけど、利用者が精神障害者という存在である以上、彼女たちの家族も、何も言わないんだ。もうみんな、利用している人がいなくなってほしいという願いを持っている人たちばかりでな。だから、あの組織でどうなっているのかを知っている周りの人間もいないってことだ。」
と、華岡は言った。
「そうなんだ。まあ、ねえ。そうなっちまうのか。だけど、調べ上げないと、森江鮎子さんや、加藤菊代さん、そして村下清子さんの魂は浮かばれないぞ。」
杉ちゃんが腕組みをした。
「でも、突破口はなにもないよなあ。誰かが組織に入ってみることが必要だが、それができるやつはいないだろうからな。」
華岡が改めてそう言うと、
「じゃあ。僕がパフアダーに行ってみる!」
杉ちゃんがでかい声で言った。
「杉ちゃんが?」
華岡は言うが、
「水穂さんでは体がだめだろうし、華岡さんは警察の関係者だからまずいだろ。そういうことなら、僕がなる!」
杉ちゃんは潔く言った。
「しかし、杉ちゃんがパフアダーの組織に入るとなれば、どういう立場で入ることになるのかな?」
華岡がそう言うと、
「ああ、そんなもの適当でいいさ。新しく事業をするとか、新しい支援グループを作るとか、そういう事を言えばいいんだ。それに、パフアダーの事を褒め称える言葉を使えばすぐに乗るよ。そういうわけで囮には僕がなるよ。ちゃんと協力するから心配しないで。」
と、杉ちゃんは平気な顔で言った。
「怖くないのかい?そういうこと平気で言うけど。それに杉ちゃん車椅子でしょ?」
水穂さんがそう言うが、
「いや大丈夫だ。僕、読み書きできないからさ。犯罪者集団から逃げてきたこともある。それに歩けないってことは、結局武器としても使用できる。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「じゃあ、そうしよう。杉ちゃん、君にはぜひ、潜入捜査に協力してもらいたい。できれば、あのパフアダーの組織がどうなっているのか、正確に伝えてもらいたい。」
華岡が、カレーを飲み込んでそう言ったので、杉ちゃんがパフアダーの組織に行くことは決定的になった。
それから数日後、杉ちゃんは、華岡たちの覆面パトカーに乗せてもらって、富士宮市にあるパフアダーの総本部に行ったのであった。迎えたのは小田島小夜子その人であった。小田島の説明によると、現在預かっている女性は、5人ほどいて、皆重い精神障害があり、中には意思が伝わらない人もいるのだそうだ。それでも、この施設では、彼女たちを自由にさせているという。小田島はそれを楽しそうに語ったが、そのような楽しそうな雰囲気は、施設内にはどこにもなかった。小田島に連れられて、杉ちゃんは車椅子で施設内に入っていく。それを華岡たち警察官たちは、一か八かのかけだという表情で見守っていた。
緩みだしたパフアダー 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます