涼夏

成瀬なるのすけ

第1話 夏の出会い

「あっつ、、、」


強い日差しを手で遮りながら思わず本音が漏れる。

これでもかと流れ出る汗を拭いながら終わりの見えない長い坂の頂上を見上げる。


「くそ、全然まだまだじゃがな。」


今は帰宅部だが、一ヶ月前までは陸上部に入っていたから身体能力にはそれなりの自信があった。

だがこの坂に関してはこの自慢の身体でも、登るのは骨が折れる。


ここは海辺の何もない小さな町だ。遊ぶところはおろか最低限の生活がやっとのような田舎町だ。そんな町の中央に伸びるこの坂は、海から山に繋がっており、高低差もあるが単純に距離もある。

あまり過酷さに強豪の我が校の野球部も練習で使わず、他で坂ダッシュするくらいのものだ。


じりじりと照りつける夏の太陽が余計に体力を奪うのだが、それでも足を止めることなく坂を登っていった。


「はぁ、はぁ、、、」


コンクリートの路面に沿って生えている木々から吹く風が少し冷たく、オーバーヒートしかけた身体を冷却してくれている。

なぜこんな苦労をしているかといえば、30分前に遡る。


————30分前


「ねぇ、優人ゆうと。なにしよんね。」


テキパキと洗い物をしながら30代半ばの女性が尋ねる。

まだ艶のある髪は丁寧に整えられており、何気ない普段着をまとっているが、それでも品の良さを感じる女性だ。


「別になんもしよらんで。」


もう見飽きた漫画をペラペラめくりながら答える。


「じゃあ今のうちにおばあちゃんのとこ行ってきてくれんか?おじいちゃん腰を痛めたらしいから、この湿布を渡してきてほしい。これ良く効くんじゃて。」

「えぇ、だる。」


間髪を入れずに答える。


「だるいけど、おじいちゃん心配じゃけん行ってきて。」


隣の家にも聞こえるくらい大きく深いため息をつく。

母は祖父の体調が悪いため、少しでも痛みを和らげるためロキソニンも湿布を持っていくようにと至極真っ当なことを行っている。

確かに祖父の様子見を兼ねて、暇をしている自分が行くのは構わない。

学校終わりに何するわけもなく、何回も見た漫画を眺めているような体たらくだ。


「もぉ、頼むわぁ。」


母は笑顔で言う。

——やれやれ、仕方ないか。


いつものようにタンスの中から湿布を数枚を手に取って、お気に入りのスニーカー

に足を入れる。


「ゆうちゃん、ありがとな。」


母の優しい声にうなづきながら、玄関のドアを開けると同時に温度の高い空気が流れこんできた。



————現在


「はぁはぁ。別に行くのはいいけど、この坂がネックなんよな、、、」


祖父母が住んでいる家は、この長い坂を登った先にある。

祖父いわく、全てが見渡せるこの場所がものすごく気に入ったと昔に話をしていた。


確かに少し町中と距離があり、少し高い位置にあるこの場所は、海も含めて景色がとても良い。

特に夕暮れ時になれば、格別の景色を見ることができる。


ただ軽自動車でも根を上げるこの坂を嫌って、他の人は住んではいない。


祖父母の家の着くと祖父は寝たままお礼を言っていた。

祖母はニコニコしながら孫に会えたのが嬉しいのか、おはぎを用意してくれて、それに舌つづみしながら談笑し、祖父母の家を後にした。


「さてっと。」


肩を中心に上半身に力を入れて身体を伸ばす。

少し陽が落ち始めており、辺りは赤みを帯び始めていた。


来た方向とは違う方向に降っていく。

青々と生えている木々たちの間を縫って、歩いた先には古びた公園があった。


公園といっても少しの空き地とベンチしかない。

見晴らしがいいからとつくられたものかもしれないが、場所が場所だけに利用する人は他にいなかった。

この誰もいないプライベート空間が好きで、祖父母の家に来たときには必ず寄るようにしているくらい気に入っていた。


心地の良い波の音を聞きながら、ベンチに腰掛ける。

赤みを帯びた太陽は力強さが弱まり、暑さもあまり感じなくなっていた。


この地球で、たった一人自分しか存在しない。

そんなふうに感じさせるこの空間はやはり特別なもので、さざなみも木々の靡く音も、虫の音楽会も実に心地いい。


「あぁ、格別じゃわ。」


心の声が溢れる。


「ふふっ。」


思いがけない声に、振り返る。

そこには見慣れない女性が立っていた。


「は?だれ?」


女性も驚いた顔をして、目を逸らしながら口を開く。


「ごめんなさい、同じことを思ったから嬉しくて思わず、、、その邪魔したみたいで、、、」


女性は、申し訳なさそうに下を向いてぼそぼそ話した。


「いや全然、ただ驚いただけで。その、ここで何しとん?」


なぜかバツの悪い雰囲気になりそうだったので、思わず声を出していた。

女性は少し考えるような仕草をしながら、間を開けてしゃべる。


「この時間の海って綺麗そうだったから、海側に来てみたの。そうしたら公園?みたいなところがあって、そこの階段から下の浜辺に降りてあの綺麗な夕日と海を眺めていたんだけど、、、」


手を後ろに回し、なにかもじもじとしている素振りを見せる。

気になって凝視していると、貝殻のようなものが見えた。

あまりの可愛さに思わずクスっと笑ってしまった。


「あ、笑った!」


女性は頬を膨らませて少し怒ったような素振りを見せる。


「あはは、ごめんごめん。可愛いな自分。」


「え?あ、ありがと、、、」


女性はまた下を向いてぼそぼそとしてしまった。

自分自身も変に可愛いと言ってしまって恥ずかしくなってきた。


そういう意味じゃないから!と心の中で訂正したが、声にはならなかった。

そんな沈黙の中、改めて彼女をまじまじと見た。


夕陽に照らされた彼女は、俯いているがとても綺麗だと思った。

赤く染まっていてもわかるくらい白く透き通った肌に、長いストレートな髪。

端正で大人びた顔つきに、このへんじゃ見ないようにフリフリのワンピースがアンマッチだが、不思議と似合っていた。


恥じらう彼女が本当に綺麗で、きっとこのときに恋をしたんだと思う。


「綺麗だ。」


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