第6話 消えない火を願って

 祭りの前夜、村には焚き火が灯された。


 空気はすでに秋の気配を帯びていて、木々の葉がざわめくたびに、どこか懐かしい香りが漂ってくる。


 村の広場に集まった人々が、各々の“願い”を火に捧げる──それが、年に一度の風習なのだという。


 赤々と燃える炎のまわりに、ぽつぽつと人が集まり始める。老いも若きも、手を合わせ、あるいは口に出して、願いを託す。


「明日の豊穣を祈って」


「病のない年になりますように」


 そんな言葉が、ひとつ、またひとつと、火のまわりに積もっていく。見えない祈りの層が、焚き火の煙に混じって空へ昇っていくようだった。


 私も、アトルの隣に立っていた。夜風に揺れる火の光が、彼の横顔を照らし、どこか幻想的な雰囲気を生み出していた。


「サキ。お前は、何を祈る?」


 その問いに、思わず息を止めてしまった。


 何を、祈る?


 研究の成功? 無事に元の世界に戻れること? それとも──ここでの新しい一歩がうまくいくこと?


 少しだけ迷ってから、私は正直に言った。


「この村で、ちゃんと歩いていけるように。文化を見て、触れて、伝えられるように。それが、私の願い」


 アトルは、静かに目を伏せた。その横顔が、一瞬だけ炎の明かりから外れ、影になる。


「ならば、我の祈りも同じだ。お前が、笑っていてくれるように」


 その言葉は、火よりもあたたかくて、胸の奥がじんわりと熱くなった。炎のぬくもりとは違う、もっと深い場所で灯ったような感覚。


「ねえ、アトル」


「ん?」


「最初にここへ来た時は、観察者として見るつもりだったの」


「……ああ」


 彼は短く相槌を打つ。私の話を、ちゃんと受け止めてくれる声音だった。


「でも今は、文化って、“外から測る”ものじゃない気がしてる。あなたたちの中にあって、それを一緒に感じながらでないと、きっと何もわからない」


 そう言いながら、私は自分の手を見つめた。


 あの儀式で果実を渡された手。記録帳のページをめくった手。そしていま、こうして焚き火のぬくもりを感じている手。


 ──そのすべてが、どこかでアトルとつながっている。


 かつて“調査対象”としか思っていなかった存在が、今は同じ火を囲み、同じ未来を見つめようとしている。境界は、少しずつ溶けていた。


「……アトルは、この先も“記録”を残していく?」


「もちろん。誓いの証としても、村の道しるべとしても」


 その答えに、私は頷いた。


「じゃあ、私も手伝う。異世界人なりに、やれること、あると思うから」


 それは、ある意味では“覚悟”の言葉だった。もはや元の世界に戻るかどうかだけが、自分の軸ではなくなっていた。


 アトルは、ほんの一瞬だけ、目を見開いて──それから、すぐに微笑んだ。


「──なら、我も祈ろう。お前の隣にいる未来を」


 その声は、あくまでも静かで。けれど、私の心に、はっきりと灯った。


 もう、ただの調査ではない。観察対象でもない。この村と、この人の人生に、私は確かに踏み込んだのだ。


 ──火は、まだ小さい。でも、今なら言える。


 どうか、この火が、ずっと消えませんように。

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異世界の結婚儀式、研究対象に惚れられました 雨宮 徹 @AmemiyaTooru1993

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