『俺達のグレートなキャンプ93 管理人さんの娘(良い子)を悪役令嬢に育てよう』
海山純平
第93話 管理人さんの娘(良い子)を悪役令嬢に育てよう
俺達のグレートなキャンプ93 管理人さんの娘(良い子)を悪役令嬢に育てよう
朝日が昇りかけた湖畔のキャンプ場。鳥のさえずりが響く中、一際大きな声が静寂を破った。
「よーし!今日も始まったぞ、グレートなキャンプ93回目だ!」
石川が両手を高々と上げながら、まだ薄明かりの中で雄叫びをあげる。その声は湖面に反響し、遠くのカモの群れがばたばたと羽ばたいて飛び立った。近くのテントがぷるぷると震え、中から「うーん」という寝起きのうめき声が聞こえてくる。
「石川……声がでか過ぎるって……」
富山がテントから這い出てきながら、寝癖で後ろ髪がピンピン立った頭を両手で押さえつけようとする。目を細めて周りのテントを見回すと、案の定いくつかのテントがもぞもぞと動いている。中の人達が石川の声で起こされてしまったのは明らかだった。
「おはよう富山!今日も素晴らしい朝だな!空気が美味い!」
千葉が湖のほとりで顔を洗いながら振り返る。冷たい湖水で顔を洗った千葉の頬は林檎のように真っ赤に染まっているが、本人は全く気にしていない。むしろ満面の笑みを浮かべて、水滴をぽたぽた落としながらタオルで顔をごしごし拭いている。
「で、今日のグレートなキャンプは何をするんだ?昨日から楽しみで眠れなかった!」
千葉の目がキラキラと星のように輝く。好奇心旺盛な表情で石川を見詰める千葉に、富山は胃のあたりがきりきりと痛む嫌な予感を感じ取っていた。石川のにやりとした、まるで悪戯を企む小学生のような笑顔が、いつものトラブルの前兆だと長年の付き合いで骨身に染みて分かっているのだ。
「ふふふ……今回は特別にグレートだ」
石川がポケットから小さなメモ帳を取り出し、ページをぺらぺらとめくる。そのメモ帳には「グレートキャンプアイデア集」と油性ペンで書かれており、既に92回分のアイデアがびっしりと書き込まれている。中には「全員で逆立ちキャンプ」「無言で24時間過ごすキャンプ」などの文字も見える。
「管理人さんの娘を……」
「は?」
富山の右眉がぴくりと上がり、頬が微妙にひきつる。
「悪役令嬢に育てる!」
石川が勢いよくメモ帳をぱたんと閉じながら宣言する。その瞬間、富山の顔がまるで幽霊を見たかのように青ざめ、千葉の目がさらにキラキラと、まるでクリスマスツリーのイルミネーションのように輝いた。
「それってどういう……」
富山が震え声で聞こうとした時、管理棟の方からりんりんと鈴の音のような女の子の声が聞こえてきた。
「お父さん、今日もキャンパーの皆さんにご挨拶しなきゃね。昨日のアニメで見た悪役令嬢さん、とっても素敵だったの」
振り返ると、10歳くらいの女の子が管理棟からとことこと出てきた。髪は母親が丁寧に編んだであろう三つ編みで、淡いピンクの花柄のワンピースを着た、まさに絵本から飛び出してきたような良い子だった。彼女の名前は山田みどりちゃん。このキャンプ場の管理人の娘で、毎朝キャンパー達に元気よく挨拶して回るのが日課だった。
「あ、みどりちゃんだ!そうか、アニメで悪役令嬢を見たのか!」
千葉が勢いよく手を振る。みどりちゃんも小さな手をひらひらと振り返し、頬にえくぼを作って笑った。
「おはようございます!今日も一日よろしくお願いします!昨日見たアニメの悪役令嬢さん、最初は意地悪だったけど、本当はとっても優しい人だったんです。ドレスも髪型もとっても素敵で……」
みどりちゃんが目をうっとりと輝かせながら話す。その清らかな挨拶と無邪気な様子に、周りのキャンパー達も微笑ましそうに手を振っている。まさに天使のような存在だった。
「よし、運命だ!あの子だ!」
石川がにんまりと笑いながら、まるで獲物を見つけた猛獣のように指を差す。富山の顔がさらに青くなり、唇がわなわなと震えた。
「ちょっと待て石川!まさかあの子を巻き込むつもりじゃ……」
「心配するな富山!俺達がやるのは『教育』だ。あの純粋無垢な良い子を、一日限定で悪役令嬢風にイメチェンさせるんだ!見ろ、本人も興味を持ってるじゃないか!」
石川が胸を張って説明する。その表情は自信に満ち溢れているが、富山の心配は募る一方だった。
「でも、そんな急に変身なんて……」
千葉が首をかしげながら、でも期待でそわそわと足踏みをしている。
「簡単さ!まずは見た目から変えるんだ。髪型、服装、メイク……そして最後に性格と立ち振る舞いだ!完璧な悪役令嬢育成計画だ!」
石川がリュックサックをがさごそと漁り始める。中から出てきたのは、なぜか黒いフリフリのドレス、きらきら光るティアラ、そして子供用の化粧品セット、さらには悪役令嬢風のポーズが描かれた手作りの指導書まであった。
「なんで……なんでそんなものを持ってるのよ!しかも指導書まで!」
富山が目を見開いて驚愕の声を上げる。周りのキャンパー達も振り返り、こそこそと噂話を始めている。
「準備万端だからさ!前回のキャンプの帰りに思いついて、一週間かけて準備したんだ。この指導書は三徹で作ったんだぞ」
石川が得意げに胸を張り、指導書をぱらぱらとめくって見せる。そこには「悪役令嬢の立ち方」「悪役令嬢の笑い方」「悪役令嬢の決め台詞集」などが細かく書かれている。その徹底した準備に、千葉は目をきらきらさせて感心し、富山は頭を抱えて呆れていた。
この時、みどりちゃんがとことことと歩いて石川達の方に向かってきた。いつもの人懐っこい笑顔を浮かべ、小さな足でぺたぺたと地面を踏みしめている。
「おはようございます!石川おじさん、富山おばさん、千葉おじさん!」
「おじさん……おばさん……」
富山がひそひそとつぶやき、こめかみをぴくぴくと痙攣させる。20代後半でおばさん呼ばわりはなかなかショックで、心の中で「まだ若いのに……」とつぶやいていた。
「おはよう、みどりちゃん!今日も元気だね。ところで、悪役令嬢に興味があるって?」
石川がしゃがみ込んでみどりちゃんと目線を合わせる。
「はい!昨夜見たアニメがとっても面白くて……でも悪役令嬢さんって、どうやったらなれるんでしょうか?」
みどりちゃんの純真な質問に、石川の目がさらにぎらぎらと輝いた。
「実はね、みどりちゃんにお願いがあるんだ」
「お願い?」
みどりちゃんが首を小鳥のようにかしげる。その仕草があまりにも可愛らしくて、富山の心配も一瞬和らいだ。
「みどりちゃんを、本格的な悪役令嬢に変身させてみたいんだ。どうかな?」
石川の提案に、みどりちゃんは小さな指を唇に当てて考え込む表情を見せた。眉をひそめ、上を向いて「うーん」と唸る。しばらく黙った後、顔を上げてぱっと笑顔になった。
「やってみたいです!でも……本当に悪いことはしなくていいんですよね?」
心配そうに聞くみどりちゃんに、石川は力強く頷いた。
「もちろんだ!あくまで『ごっこ』だからな。でも、その前にお父さんの許可をもらわないと」
石川の提案で、一行は管理棟に向かった。
管理棟の前で、管理人の山田さんが竹箒で落ち葉を掃いていた。50代の穏やかそうな男性で、長年このキャンプ場を切り盛りしている。額に薄っすらと汗をかき、丁寧に掃除をしている。
「山田さん、おはようございます!」
石川が元気よく手を振りながら挨拶する。
「あ、石川さん。おはようございます。今日も早いですね……いつもの企画ですか?」
山田さんが苦笑いを浮かべながら答え、箒を止める。石川達の奇抜なキャンプは既に有名になっていた。
「実は、今日みどりちゃんと一緒に『悪役令嬢ごっこ』をしたいんですが……」
石川が切り出すと、山田さんの表情がぱっと心配そうになり、眉がしかめられた。
「悪役令嬢ごっこ?それは……」
「安心してください!あくまでコスプレと演技の練習です。夕方にはちゃんと元に戻しますから」
石川の説明に、山田さんは娘の方を見た。みどりちゃんが期待に満ちた目でじっと見つめている。
「みどり、本当にやりたいのか?」
「うん!アニメで見た悪役令嬢さん、とっても素敵だったの。一回だけでいいから、やってみたいです」
みどりちゃんの返事に、山田さんは困ったような、でも娘の気持ちを理解するような笑顔を浮かべた。
「分かりました。でも、他のお客さんに迷惑をかけないでくださいね。それと、みどりが嫌がったらすぐに止めてください」
「もちろんです!お任せください!」
石川が胸を張って答えた。富山は内心で「本当に大丈夫かしら」と胃をきりきりさせていた。
こうして、史上最もグレートで危険なキャンプが始まった。
「それじゃあ、まずは衣装チェンジだ!特訓は外見から始まる!」
石川がリュックから黒いドレスを取り出し、勢いよく振りかざす。フリフリのスカートと袖がついた、いかにも悪役令嬢風の衣装だった。
「わあ!本当に素敵!アニメと同じです!」
みどりちゃんが目をきらきらと輝かせ、小さな手をぱちぱちと叩く。その無邪気な喜びように、石川は満足げに胸を張った。
「富山、着替えを手伝ってくれ。男性陣はあっちを向いてるから」
「え?私が?何で私が……」
「頼むよ、女性同士の方が安心だろ」
石川と千葉がくるりと後ろを向く。富山は大きなため息をつきながらも、みどりちゃんの手を引いて近くの女子トイレに向かった。
「みどりちゃん、本当にやる気?無理しなくても良いのよ?おじさん達、時々暴走するから……」
富山がひそひそと心配そうに聞く。
「大丈夫です!とっても楽しみです。富山おばさんも一緒にやりませんか?」
みどりちゃんが無邪気に笑顔で答える。その屈託のない笑顔に、富山も少しずつ緊張がほぐれていった。
数分後、黒いドレスに身を包んだみどりちゃんが現れた。しかし、顔は相変わらず人懐っこい笑顔のままで、ドレスを着ても全く威圧感がない。むしろ可愛らしさが倍増している。
「うん、見た目は完璧だ!でも笑顔が優しすぎるな……次はメイクだ!」
石川が化粧品セットを取り出し、がさがさと中身を確認する。子供用とはいえ、アイシャドウ、チーク、リップなど本格的なセットだった。
「え、メイク?10歳の子に?」
富山が目を見開いて青ざめる。子供にメイクなんて早すぎるのではないだろうかと心配になる。
「大丈夫だって!薄くやるだけだよ。悪役令嬢らしく、ちょっとクールな感じに」
石川が軽く答えるが、富山の心配は募る一方だった。
メイクが終わると、みどりちゃんは確かに悪役令嬢風に見えた。しかし、性格はまだまだ良い子のままで、「ありがとうございます」と丁寧にお辞儀をしている。
「よーし、いよいよスパルタ特訓の開始だ!」
石川が手をパンと叩き、目をぎらぎらと燃やす。その様子に千葉はワクワクし、富山はげんなりした。
「まずは基本中の基本!悪役令嬢の笑い方だ!みどりちゃん、『オーホホホ』って笑ってみて!」
「オーホホホ?」
みどりちゃんが困惑の表情を浮かべ、首をかしげる。
「そう!悪役令嬢の定番の笑い方だ。手は腰に当てて、顎を上げて、高らかに笑うんだ!」
石川が実際にやって見せる。腰に手を当て、顎を上げ、「オーホホホ」と笑う石川の姿は、なかなかシュールだった。
「オ、オーホホホ……」
みどりちゃんが恐る恐る真似してみる。しかし、どう聞いても可愛らしい笑い声にしか聞こえない。まるで風鈴の音のように涼やかで優しい。
「ダメダメ!もっと威厳を持って!もっと高飛車に!」
石川が手をぶんぶんと振る。
「こ、こうですか?オーホホホ!」
今度は少し大きな声で笑ってみるみどりちゃん。しかし、やはり可愛らしさは変わらない。その瞬間、近くにいた他のキャンパーがこちらを振り返った。
「あれ、みどりちゃん?何してるの?」
50代くらいの男性キャンパーの田中さんが驚いた表情で近づいてくる。手には釣り竿を持っており、朝の釣りから戻ってきたところのようだった。
「田中おじさん、おはようございます!悪役令嬢の練習をしてるんです!」
みどりちゃんがいつものように元気よく挨拶し、ぺこりとお辞儀する。しかし、黒いドレスを着て軽くメイクをしているため、見た目とのギャップが凄まじい。
「悪役令嬢……?みどりちゃんが?」
田中さんが困惑して目をぱちぱちさせている。
「そうです!でもまだ上手くできません……」
みどりちゃんが少し落ち込んだ表情を見せる。その様子を見た石川の目がさらにぎらぎらと燃え上がった。
「よし!特訓を続けるぞ!次は立ち方だ!」
石川が指導書をぱらぱらとめくる。
「悪役令嬢は常に堂々としている。背筋を伸ばして、顎を上げて、周りを見下ろすように立つんだ!」
石川がお手本を見せる。しかし、おじさんがそのポーズを取る姿は、周りのキャンパー達をどん引きさせていた。
「い、石川さん……周りの人達が……」
富山がひそひそと注意するが、石川は全く気にしていない。
「みどりちゃん、やってみて!」
「こ、こうですか?」
みどりちゃんが背筋を伸ばして顎を上げてみる。しかし、どうしても優しそうな表情になってしまう。
「ダメダメ!もっと冷たく!もっと高飛車に!心の中で『愚民どもめ』と思うんだ!」
石川の指導に、周りのキャンパー達がざわざわと騒ぎ始めた。
「愚民どもめ……」
みどりちゃんが小声で呟いてみるが、申し訳なさそうな表情になってしまう。
「そんな顔じゃダメだ!もっと練習あるのみだ!」
石川が熱血指導を続ける。その様子に、富山は頭を抱えていた。
「次は歩き方だ!悪役令嬢は優雅に歩く。顎を上げて、ゆっくりと、まるで世界を支配しているかのように!」
石川の指導で、みどりちゃんはぎこちなく歩いてみる。しかし、転びそうになったりよろけたりして、全く優雅には見えない。
「もっと堂々と!」
「で、でも歩きにくくて……」
みどりちゃんが困ったような表情を見せる。
「慣れだ!練習あるのみ!」
石川の容赦ない指導が続く。みどりちゃんは一生懸命練習するが、どうしてもぎこちない動きになってしまう。
数時間後──
「よし、それでは実践練習だ!」
石川が満足げに頷く。みどりちゃんは汗だくになって練習を続けていた。
この時、キャンプ場の中央で困っている家族がいた。テントの設営に苦戦しているようだった。
「あそこで悪役令嬢らしく振る舞ってみよう!」
石川がみどりちゃんを連れて行く。
「あ、あの!」
みどりちゃんが家族に声をかける。しかし、声が震えている。
「手伝ってもらいたければ、この私に……お、お願いを……」
みどりちゃんが震え声で言いかけるが、途中で申し訳なさそうな表情になってしまう。悪いことを言っているような気持ちになって、罪悪感でいっぱいになる。
「あ、いえ!手伝わせてください!」
結局、いつものみどりちゃんに戻ってしまった。
「うーん、まだまだだな……」
石川が首をひねる。
更に数時間の特訓が続いた。石川のスパルタ指導は容赦なく、みどりちゃんは何度も同じことを練習させられた。
「オーホホホ!愚民どもめ!この私に逆らうなんて生意気よ!」
午後になると、みどりちゃんの悪役令嬢っぽい振る舞いが少しずつ様になってきた。立ち方も歩き方も、朝よりはずっと悪役令嬢らしくなっている。
「おお!やっとそれらしくなってきたぞ!それじゃあ、実践練習として悪役令嬢らしいティータイムをやってみよう!」
石川が興奮して手を叩く。
「ティータイム?」
みどりちゃんが首をかしげる。
「そうだ!悪役令嬢といえば、優雅なティータイムは欠かせない!」
石川がリュックサックをまたがさごそと漁り始める。中から出てきたのは、なぜか子供用の陶器のティーセット、小さなテーブルクロス、そして紅茶のティーバッグだった。
「またそんなものまで……」
富山が呆れた表情で見ている。
「準備万端だ!さあ、悪役令嬢みどり様のティータイムの始まりだ!」
石川が簡易テーブルにテーブルクロスを敷き、丁寧にティーセットを並べる。その様子は意外にも手慣れていた。
「わあ、素敵!まるでお人形さんのお茶会みたい!」
みどりちゃんが目をキラキラさせる。しかし、すぐに気を取り直して背筋を伸ばし、顎を上げる。
「い、いえ……オーホホホ!当然でしょう!この私にふさわしいセッティングね」
みどりちゃんが悪役令嬢風に言ってみる。しかし、嬉しそうな表情を隠しきれずにいる。
石川がお湯を沸かし、紅茶を淹れる。湯気がゆらゆらと立ち上り、紅茶の良い香りが辺りに漂った。
「さあ、みどり様、どうぞお座りください」
石川が椅子を引いて、執事のような仕草でみどりちゃんを案内する。
みどりちゃんは習った通り、背筋を伸ばして優雅に腰を下ろそうとする。しかし、椅子が少し高くて、よじよじと登るような格好になってしまった。
「あ、あの……登れません……」
みどりちゃんが小声で助けを求める。その様子に、周りのキャンパー達がくすくすと笑い始めた。
「ほら、手を貸してあげて」
富山が石川に指示する。
「オーホホホ!愚民の分際で、この私に手を貸そうなどと……あ、でもお願いします」
みどりちゃんが途中で素に戻ってしまい、みんながどっと笑った。
石川に手を貸してもらって椅子に座ったみどりちゃんは、改めて背筋を伸ばす。
「オーホホホ!それでは、お茶をいただくとしましょう」
みどりちゃんが悪役令嬢風に言いながら、ティーカップに手を伸ばす。しかし、小さな手でティーカップを持つのは意外に難しく、両手でしっかりと握りしめてしまった。
「みどりちゃん、もっと優雅に。小指を立てて、片手で持つんだ」
石川が指導する。
「こ、こうですか?」
みどりちゃんが小指を立てて片手でティーカップを持とうとする。しかし、手が小さすぎてバランスが悪く、カップがぷるぷると震えている。
「あ、危ない!」
富山が心配そうに見守る。
「だ、大丈夫です……オーホホホ……」
みどりちゃんが必死にバランスを取りながら、震える手でティーカップを口に運ぶ。その緊張した表情がとても一生懸命で、見ている人達は微笑ましい気持ちになっていた。
ようやく紅茶を一口飲んだみどりちゃんは、ほっとした表情を見せる。
「おいしい……あ、いえ!オーホホホ!まあまあの味ね」
みどりちゃんが悪役令嬢風に評価しようとするが、素直においしいと思った気持ちが先に出てしまう。
「それじゃあ、お菓子もどうぞ」
千葉がクッキーを差し出す。
「オーホホホ!この私がそんな庶民のお菓子を……でも、せっかくだからいただいてあげるわ」
みどりちゃんが高飛車に言いながらも、目はクッキーに釘付けになっている。
クッキーを一口食べると、みどりちゃんの顔がぱっと明るくなった。
「おいしい!……あ、オーホホホ!悪くないわね」
またしても素の感想が先に出てしまい、慌てて悪役令嬢風に言い直す。その様子に、周りの人達は心が温まる思いだった。
「みどりちゃん、正直な感想の方が可愛いわよ」
女性キャンパーが微笑みながら言う。
「オーホホホ!可愛いだなんて……でも、ありがとうございます」
みどりちゃんが照れながら答える。悪役令嬢のはずなのに、「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言ってしまうのが、いかにもみどりちゃんらしかった。
「それじゃあ、悪役令嬢らしく、何か命令をしてみて」
石川が提案する。
「命令……ですか?」
みどりちゃんが困惑する。普段から人に命令なんてしたことがない。
「そうだ!例えば『もっとおいしいお菓子を持って来なさい』とか」
石川のアドバイスに、みどりちゃんは考え込んだ。
「も、もっとおいしいお菓子を……でも、今のクッキーもとてもおいしいので……」
みどりちゃんが途中で遠慮してしまう。
「ダメダメ!もっと傲慢に!」
石川が指導する。
「う、うう……も、もっとおいしいお菓子を持って来なさい!……すみません、今のは嘘です」
みどりちゃんが命令した直後に謝ってしまい、みんなが大笑いした。
「みどりちゃんは本当に優しいのね」
富山が感動したように言う。
「オーホホホ!優しいだなんて……そんなことないもん」
みどりちゃんが照れながら答える。その「もん」という語尾に、年相応の可愛らしさが滲み出ていた。
ティータイムが続く中、みどりちゃんは一生懸命悪役令嬢を演じようとするが、どうしても本来の優しさが出てしまう。クッキーを食べる時も「おいしい」と素直に喜び、紅茶をこぼしそうになった時は「大丈夫ですか、テーブルクロス!」と心配する始末だった。
「オーホホホ!よくやったわね、石川!」
最後に、みどりちゃんが練習通りに悪役令嬢風に笑う。その様子を見ていたキャンパー達も、思わず拍手していた。
「すごいじゃない、みどりちゃん!」
「本当に悪役令嬢みたいよ」
「でも、やっぱり優しいみどりちゃんが一番素敵」
周りから賞賛の声が上がる。みどりちゃんも嬉しそうな表情を見せていた。
しかし──
「はあ……つかれた……」
突然、みどりちゃんがぺたりと地面に座り込んでしまった。悪役令嬢の格好をしているのに、その仕草は完全に普通の10歳の女の子だった。
「あら、みどりちゃん」
「疲れちゃったのね」
周りのキャンパー達が心配そうに声をかける。その様子がとても微笑ましくて、みんなの顔が自然とほころんだ。
「悪役令嬢って、疲れるんですね……」
みどりちゃんがぽつりと呟く。その素直な感想に、みんながくすくすと笑い始めた。
「そうよね、ずっと威張ってるのって疲れるわよね」
女性キャンパーが優しく声をかける。
「やっぱりみどりちゃんは、いつものみどりちゃんが一番よ」
別のキャンパーも頷く。
「でも、がんばったね」
「とても上手だったよ」
みんながみどりちゃんを褒めてくれる。その温かい雰囲気に、みどりちゃんの表情も明るくなった。
一方、石川は──
「オーホホホ!愚民どもめ!」
まだ悪役令嬢モードから抜け出せずにいた。数時間の指導で、自分も悪役令嬢の言動が身についてしまったようだった。
「石川……」
富山が呆れた表情で見ている。
「オーホホホ!何か文句でもあるというの?富山よ!」
石川が悪役令嬢風に答える。その姿に、周りのキャンパー達が爆笑していた。
「あはは、石川さんの方が悪役令嬢みたい」
「みどりちゃんよりも似合ってる」
みんなが笑い転げている。
「おい、失礼だぞ愚民ども……あ、いや、普通に戻った」
石川がやっと我に返る。しかし、時々悪役令嬢の口調が出てしまう。
「石川おじさん、面白い!」
みどりちゃんも笑っている。疲れていたはずなのに、石川の面白い姿を見て元気になったようだった。
「よし、それじゃあレクリエーション大会で披露してみよう!」
石川が提案するが、みどりちゃんは首を振った。
「もう疲れちゃいました。やっぱり悪役令嬢は大変です」
みどりちゃんの正直な感想に、みんながまた笑った。
「そうね、ずっと演技してるのは疲れるわよね」
富山が優しく頷く。
「でも、今日はとても勉強になりました。悪役令嬢さんって、実はとても大変なお仕事なんですね」
みどりちゃんの真面目な分析に、大人達は感心していた。
「オーホホホ!その通りよ……あ、また出た」
石川がまた悪役令嬢口調になってしまい、みんなが笑い声を上げた。
「石川さん、今日は石川さんが悪役令嬢をやったらどう?」
キャンパーの一人が提案する。
「それは面白そうですね!」
みどりちゃんも手を叩いて賛成する。
「え?俺が?」
石川が慌てる。
「オーホホホ!何を慌てているの?石川よ!」
千葉が石川の真似をして、みんながまた大爆笑した。
夕方になると、みどりちゃんは元の服に着替えていた。しかし、時々無意識に「オーホホホ」と笑ってしまう。
「みどりちゃんも抜けてないじゃない」
富山が苦笑いする。
「えへへ、癖になっちゃいました」
みどりちゃんが照れながら答える。
「今日は楽しかったです。でも、やっぱり悪役令嬢より、普通のみどりの方が楽ちんです」
みどりちゃんの感想に、みんなが頷いた。
「でも、とても良い経験になったね」
山田さんが娘を見て微笑む。
「はい!アニメで見るのと実際にやってみるのは、全然違いました」
みどりちゃんがしっかりとした口調で答える。一日の経験で、少し成長したようだった。
その夜のキャンプファイヤーでは、今日のことが話題の中心になった。
「今日のみどりちゃんは本当に可愛かった」
「石川さんの指導も面白かった」
「最後は石川さんの方が悪役令嬢になってたね」
みんなが今日の出来事を振り返りながら笑っている。火の光がゆらゆらと顔を照らし、温かい雰囲気が広がっていた。
「オーホホホ!そんなことないわよ!」
石川がまた悪役令嬢口調になってしまい、みんなが腹を抱えて笑った。
「石川おじさん、本当に抜けませんね」
みどりちゃんがくすくすと笑いながら指摘する。
「うう……俺の方が洗脳されてしまった……」
石川が頭を抱える。数時間の熱血指導で、自分の方が悪役令嬢になってしまったのは予想外だった。
「でも面白かったわ。みどりちゃんの一生懸命な姿も、石川の変な指導も」
富山がしみじみと言う。最初は心配していたが、結果的には微笑ましい一日になっていた。
「私、今度アニメを見る時は、きっと違った気持ちで見ると思います」
みどりちゃんが真面目な表情で言う。
「どんな気持ち?」
千葉が興味深そうに聞く。
「悪役令嬢さんも、きっとすごく頑張ってるんだなあって」
みどりちゃんの答えに、大人達は感心した。一日の体験を通して、みどりちゃんなりに何かを学んだようだった。
「オーホホホ!さすがはこの私の弟子ね!」
石川がまた悪役令嬢口調で答えてしまい、またしても爆笑の渦に包まれた。
「石川さん、明日の朝には治ってるといいですね」
山田さんが心配そうに言う。
「オーホホ……あ、また!くそう、どうすれば治るんだ」
石川が真剣に悩み始める。その様子がまた面白くて、みんなが笑い続けていた。
「大丈夫ですよ、石川おじさん。きっと明日には普通に戻ってます」
みどりちゃんが慰めるように言う。
「そうかな……オーホホホ……ああ、また出た」
石川が頭を抱えるたびに、みんなの笑い声が大きくなった。
「でも、今日のキャンプも確かにグレートだったね」
千葉が満足げに言う。
「うん!93回目も大成功だ!オーホホホ……」
石川が嬉しそうに答えるが、やはり悪役令嬢口調が抜けない。
「次は94回目ね。今度は何をするの?」
富山が恐る恐る聞く。
「そうだな……オーホホホ!次は『キャンプ場で一番の執事を育てる』というのはどうだ?」
石川の提案に、富山の顔が青ざめた。
「執事?また変なこと考えて……」
「オーホホホ!素晴らしいアイデアでしょう?」
石川が得意げに胸を張る。
「でも、誰を執事にするんですか?」
みどりちゃんが首をかしげる。
「もちろん千葉だ!オーホホホ!」
石川が千葉を指差す。千葉の目がキラキラと輝いた。
「執事か!面白そうだな!やってみたい!」
「ちょっと待ちなさい!もう変なことは……」
富山が制止しようとするが、石川と千葉は既に盛り上がっていた。
「オーホホホ!完璧な執事に育て上げてみせるわ!」
「はい、お嬢様!」
千葉がふざけて石川にお辞儀をする。
「もう……」
富山が大きなため息をついた。また明日も騒がしい一日になりそうだった。
「でも、楽しそうですね」
みどりちゃんが微笑む。今日一日で、石川達の奇抜なキャンプの魅力を理解したようだった。
「今度は私も何かお手伝いできるかな?」
「オーホホホ!もちろんよ!みどりは私の助手として……」
石川がまた悪役令嬢口調で答える。
「石川おじさん、本当に抜けませんね」
みどりちゃんがくすくす笑う。
「うう……明日の朝には治ってるはずだ……オーホホホ」
石川の嘆きに、みんなが最後の大笑いをした。
火が少しずつ小さくなる中、キャンパー達は三々五々とテントに戻っていった。
「今日は本当にお疲れさまでした、みどりちゃん」
富山が優しく声をかける。
「はい!とても楽しかったです。でも、やっぱり普通のみどりが一番楽ちんです」
みどりちゃんが素直に答える。
「それが一番よ」
富山が頭を撫でる。
「石川おじさんも、明日には治るといいですね」
みどりちゃんが心配そうに石川を見る。
「オーホホホ!心配無用よ、みどり!」
石川がまた悪役令嬢口調で答えてしまい、みどりちゃんがまた笑った。
「おやすみなさい!」
みどりちゃんが元気よく挨拶して、山田さんと一緒に管理棟に戻っていった。
テントに戻った石川達は、今日一日を振り返っていた。
「結局、みどりちゃんを悪役令嬢にするより、俺が悪役令嬢になってしまったな」
石川が苦笑いを浮かべる。口調はようやく普通に戻っていた。
「でも、みどりちゃんの良さを再確認できて良かったじゃない」
富山が言う。
「そうだな。あの子の純粋さは本物だ」
千葉も同意する。
「それにしても、悪役令嬢の演技って意外に難しいんだな」
石川が指導書をぱらぱらとめくりながらつぶやく。
「当たり前よ。性格を変えるなんて、そう簡単じゃないのよ」
富山が呆れたように答える。
「でも、みどりちゃんなりに頑張ってたじゃないか」
千葉がフォローする。
「ああ、最後の方は結構様になってたな」
石川も認める。
「でも、疲れて座り込んじゃった時が一番可愛かったわ」
富山が微笑む。あの瞬間、みどりちゃんの自然な姿が見えて、とても微笑ましかった。
「明日は執事か……楽しみだな」
千葉が期待を込めて言う。
「お前、本当にやる気なんだな」
石川が笑う。
「当然だ!どんなキャンプも一緒にやれば楽しくなる!」
千葉の変わらぬモットーに、石川も頷いた。
「でも、今度はもう少し普通の範囲で……」
富山が懇願するような目で二人を見る。
「普通じゃグレートじゃないだろう?」
石川が笑う。
「そうだ!グレートでなきゃキャンプじゃない!」
千葉も同調する。
「はあ……」
富山が大きなため息をついたが、その表情には満足感も滲んでいた。今日は確かにグレートな一日だった。
翌朝、いつものようにみどりちゃんがテントサイトを回ってきた。今日も花柄のワンピース姿だが、なんとなく昨日よりも堂々として見える。
「おはようございます!今日も一日よろしくお願いします!」
いつものように元気よく挨拶するみどりちゃん。しかし、よく見ると昨日の経験が少し自信をつけさせてくれたのか、微かに大人っぽい雰囲気も感じられる。
「おはよう、みどりちゃん!今日も元気だね」
石川が手を振る。口調は完全に普通に戻っていた。
「石川おじさん、治りましたね!」
みどりちゃんが嬉しそうに言う。
「ああ、ようやく普通に戻ったよ。みどりちゃんのおかげで、悪役令嬢の大変さがよく分かった」
石川が感謝を込めて答える。
「私も勉強になりました。今度アニメを見る時は、もっと深く理解できそうです」
みどりちゃんが真面目に答える。
「今日は何をして遊ぶんですか?」
みどりちゃんが期待を込めて聞く。
「今日は千葉を執事に育てる予定だが……みどりちゃんも手伝ってくれるか?」
石川の提案に、みどりちゃんの目がキラキラと輝いた。
「はい!お手伝いします!」
「よし、それじゃあ94回目のグレートなキャンプの始まりだ!」
石川が元気よく宣言する。
「でも、今度はもう少し優しい指導でお願いします」
富山が釘を刺す。
「分かってるよ。昨日の反省を活かして、今度はもっとソフトにやる」
石川が笑いながら答える。
こうして、みどりちゃんを悪役令嬢に育てようという前代未聞のキャンプは幕を閉じた。結果的に完璧な悪役令嬢にはならなかったが、みどりちゃんの成長と、キャンプ場の温かい雰囲気を再確認できた、本当にグレートな一日となった。
そして石川の悪役令嬢口調も治り、新たなグレートなキャンプへの準備が始まろうとしていた。次はどんな騒動が起こるのだろうか?
キャンプ場の朝は、今日も穏やかで、そして少しだけ騒がしい一日の始まりを告げていた。
「それにしても、昨日は本当に大変だったな」
石川がしみじみとつぶやく。
「でも、楽しかったじゃないですか」
千葉が明るく答える。
「みどりちゃんも喜んでたし、結果オーライよね」
富山も微笑む。
「そうだな。次もきっとグレートなキャンプになる!」
石川が空を見上げながら宣言した。青い空には白い雲がゆっくりと流れ、新たな一日の始まりを祝福しているようだった。
【おわり】
『俺達のグレートなキャンプ93 管理人さんの娘(良い子)を悪役令嬢に育てよう』 海山純平 @umiyama117
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