第10話 ー 群像の町

町の中央広場に店を構える布商の弥平は、井戸に映る影を毎夜恐れていた。

「遼が袋を破ったなら、なぜ水底に顔が残る?……いずれまた、俺たちを呑む気じゃないか」

客足は遠のき、布を買う者も減った。

だが一方で、「遼の魂が見守っている」と信じ、祈りのために布を買い求める者もいた。

弥平は商いの矛盾に翻弄されながら、町の不安を商機として利用している自分を呪った。



畑を耕すお光は、井戸水を恐れながらも日々を支えられていた。

「水がなければ作物は育たない……」

子どもに水を汲ませると、時折、遼の声が混じる。

「抗え……恐れるな……」

その声に励まされるように、お光は鍬を握る。

だが、夜半になると井戸から別の囁きが聞こえる。

「次は……子どもを渡せ……」

彼女は両耳を塞ぎ、泣きながら朝を待った。


嶋崎老人は祠の跡に立ち続けていた。

人々に「祠を再建せよ」と促すが、多くは怖れて近づこうとしない。

「遼の犠牲を無駄にするな。袋を鎮める場所が必要なのだ」

だが若者たちは反発した。

「また袋を祀るのか? 奴は俺たちを呑もうとした! 遼が抗ったのは、そのためだろう!」

老人は「祀ることと呑まれることは違う」と答えるが、声は虚空に消えていった。


子どもたちは井戸端で遊び、水面に手を伸ばす。

そのとき、水滴が弾け、遼の声が囁く。

「笑え……遊べ……恐れるな……」

子どもたちはその声を素直に信じ、笑い声をあげた。

だが、大人たちは蒼白になり、子どもを引き離す。

「触れるな! 遼はもう、人ではない!」

町は「信じる子ども」と「疑う大人」とで、見えない裂け目を抱え始めた。


町は救われたはずだった。

だが人々はそれぞれの立場から遼の残響を受け止め、信じ、恐れ、利用し、拒んでいた。


井戸は毎夜、揺らめく。

そこに映るのは「守護者の顔」か、それとも「袋の残滓」か。

真実は誰にも分からない。


ただ一つ確かなのは――町の人々がもう、遼の不在を他人事として逃れることはできなくなった、ということだった。

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