水巾着

蓬戸 功

第1話 ー 湧き出すもの

港町・潮見の外れに、誰も近寄らぬ古井戸がある。

その水は透明に澄んでいながら、覗き込んだ者の顔はゆらぎ、輪郭を失っていく。

まるで水面の下に、もう一つの「自分」が膨らんでいるかのように。


ある夏の日、大学生の真田遼が井戸の近くを通った。

蝉の声に混じって、ぬるりとした囁きが耳の奥に届いた。


「――入れ。ここは柔らかい。お前を包む。」


遼が足を止めると、水面がふくれ、袋のように膨張した。

まるで水そのものが巾着となり、彼を呑み込もうとしているようだった。

恐怖に足を引きずりながら逃げ出した彼の背後で、井戸は音もなく沈黙を取り戻す。


その夜、町では「水巾着に吸われた」者が出たと噂が広がった。

袋に包まれた人間は、形を残したまま水となり、やがて消えるという。

誰も真実を確かめられぬまま、井戸はただ、じっと呼吸を潜めているのだった。

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