夏の正しい道

元気モリ子

夏の正しい道

うちの亡くなった祖父は、大変な人格者であった。


長年大阪の商店街で小さな商店を営んでいた祖父は、あまり「商人」らしい風情はなく、どちらかというと「先生」のような人だった。


そんな祖父には、生前様々な逸話があった。

特によく聞かされたのは、オイルショックの際、ティッシュペーパーやトイレットペーパーが高値で売り捌かれる中、祖父だけは通常値のまま販売し続けたというものだった。

その時の恩義からか、地元の人たちからもかなり慕われていた。

もちろん祖父が自分でぺらぺらと話したのではない。

父や祖母が、何度も自慢げに聞かせてくれたのだ。


そんな祖父の最期は、人間の理想形のようなものであった。

何の前触れもなく、朝、布団の中で眠るようにして亡くなっていた。

どうやら夜中に用まで足していたらしく、布団ひとつ汚すことなく、家族に何ひとつ迷惑をかけることなく、ひとりすみやかに逝った。

大往生だった。


そんな祖父の戒名は「正道」と名付けられた。

馴染みの坊さんが付けてくれたのだ。


「正しい道」


祖父を知る人たちは、皆「ぴったりだね」と口々にそう言った。



夏が来るたび、祖父の小さな商店で過ごした時を思い出す。

見知りの果物屋のおっちゃんや、布団屋のおばちゃんに挨拶をしながら、じゃりン子チエさながらに商店街を練り歩き、ようやっと祖父の店へと辿り着く。

商品で溢れた棚の隙間から、決して愛想が良いとは言えない祖父が、少しだけ口角を上げて「来たんか」とこちらを覗く。


「暑いやろ、こっち入り」


年季の入ったパイプ椅子に、手編みの座布団が年中敷かれており、250ml缶の三ツ矢サイダーを飲んでは、店内の小さなテレビを2人で黙って観た。

そして、母と選んだ手土産の水まんじゅうを、私はいつもひとりで平らげていた。



二度と戻らないあの夏を思い出す時、今もまた二度と戻らないこの夏なのだと思い出す。


祖父が出してくれた三ツ矢サイダー

祖母が作る大きなおはぎ

母が作る鮮やかな紫蘇ジュース

父の小鉢から分けてもらう馬力


それらを最後に口にしたのはいつのことだったか、そしていつが最後になるのか、今は見当もつかない。

見当などつきたくはないから、つかないのだろう。


優しい子に育って欲しくて「優子」と名付けるのと同じ尺度の愛情で、正しい人だったからと名付けられた「正道」という戒名は、不思議と私の中で輪郭を持って残っている。


祖父をあまりに「おじいちゃん」と呼び過ぎて、本当の名前を素直には思い出せず、私の中で祖父は年々「おじいちゃん」から「正道」へとなだらかに変化を遂げてゆく。


歳を重ねる毎に人との別れは否応にして増えてゆき、それらを経験するたび、「また会いたい」と思う類いの愛情と、「あちらで幸せでいて欲しい」と願う類いの愛情を自分の中で見出すことができ、祖父に対するものは後者だと認識する。

それは祖父が人生をやり切った証であり、私自身もそれらを受け止め切れるだけの夏を過ごした勲章でもあった。


自分がいつか死ぬ時、どんな戒名が与えられるのだろう。

小学生があだ名を付けるように軽い気持ちで付けてもらっても構わないし、祖父のように立派な理由があるのも誇らしい。

キラキラネームさながらのキラキラ戒名も辞さない。

そのためにも、与えられた時間をただ生きていくほかない。


今年も夏らしいことをひとつもせずに、八月はスキップで駆け抜けてゆく。

缶の三ツ矢サイダーを探し求めて、ごった返すイオンモールを歩いてみても、見つかるのは人の夏ばかりで、あの缶は見当たらない。

それでも私の舌は覚えている。

おじいちゃんの商店の匂いも覚えている。

水まんじゅうと三ツ矢サイダーが合わないことも、ただそれだけでいい。

缶の三ツ矢サイダーは、少しだけ炭酸がきつかった。



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夏の正しい道 元気モリ子 @moriko0201

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