第15章 再会の色
第40話 待ち合わせ
ユカリからのメッセージを受け取ってから三日後、私たちは、学生時代によく利用した駅の、中央改札前で会う約束をしていた。過去は変えられない。けれど、その意味を変えることはできる。ミナトさんの藍色に見送られながら家を出た私の心には、雨上がりの空に架かる、淡い金色の希望が灯っていた。けれど同時に、心の片隅では、薄青色の緊張が、冷たい霧のように漂い続けていた。本当に、私たちは、もう一度笑い合えるのだろうか。罪の告白と、赦しは、本当に可能なのだろうか。
■待ち合わせ
週末の駅前は、行き交う人々の様々な感情の色で、飽和状態だった。待ち合わせへの期待に満ちたオレンジ、休日の解放感を示す明るい緑、人混みへの苛立ちが放つ濁った黄色。その色の洪水の中で、私は一人、壁際に立って、改札口をじっと見つめていた。
約束の時間、五分前。心臓が、嫌な音を立てて脈打っている。会って、何を話せばいい?彼女は、どんな顔をして現れるだろう。もし、彼女の周りに、またあの濁った緑色が見えてしまったら?想像するだけで、指先が冷たくなっていく。私の周りを覆う薄青の緊張が、濃度を増していく。まるで冷たい霧が肺に満ちるように、呼吸が浅くなるのを感じた。
その時だった。人波の向こう側に、見慣れた、けれど、どこか違うシルエットを見つけたのは。
ユカリ。
肩まで伸びた髪は、中学の頃の黒髪ではなく、アッシュ系の落ち着いた色に染められていた。シンプルな黒いワンピースに、アーティスティックな銀のアクセサリー。昔の、太陽のような快活さとは違う、洗練された、静かなオーラをまとっている。インスタレーション作家としての、彼女が歩んできた時間が、その佇まいに現れていた。
彼女も、私に気づいたようだった。雑踏の中で、二人の視線が、まっすぐに交差する。時間が、止まった。
彼女の周りには、私が恐れていた濁った緑色は、どこにもなかった。代わりに、私と同じ、薄青色の緊張が、彼女の肩を、繊細なレースのように包み込んでいる。そして、その青いレースの奥で、私に会えることへの、かすかな期待を示す、小さな金色の光が、蝋燭の炎のように、はかなく揺らめいていた。
彼女も、私と同じように、怖がっている。そして、同じように、希望を抱いてくれている。
その事実に気づいた瞬間、私を縛り付けていた薄青の緊張が、ふっと、その張りを失った。私は、一歩、前に踏み出す。ユカリも、同じタイミングで、私に向かって歩き始めた。
「……久しぶり、ハル」 「うん。久しぶり、ユカリ」
数年ぶりに交わした言葉は、少しだけ掠れて、ぎこちなかった。けれど、その声を聞いた瞬間、私たちの周りに漂っていた薄青色は、春の雪解け水のように、すうっと、透明な色へと変わっていった。浄化。私たちの間にあった、長くて冷たい冬が、今、終わりを告げようとしていた。
■喫茶店
私たちは、駅ビルの中にある、昔ながらのレトロな喫茶店に入った。赤いベルベットのソファ、ステンドグラスのランプシェード。時間がゆっくりと流れるこの場所は、私たちの空白を埋めるのに、ふさわしいように思えた。
窓の外は、また静かな雨が降り始めていた。雨粒が窓ガラスを伝い、外の景色を、柔らかく滲ませている。私たちは、向かい合って席に着いたけれど、すぐには言葉が出てこなかった。ただ、珈琲の湯気が、私たちの間の気まずい沈黙を、そっと和らげてくれる。
先に口を開いたのは、ユカリだった。
「あの頃のこと……本当に、ごめん」
彼女は、テーブルの上で、自分の指を固く組み合わせた。その指先が、微かに震えている。
「私、ハルの才能が、羨ましくて、妬ましかった。ハルの絵は、いつも、他の誰とも違ってたから。まるで、人の心の中を、そのまま描き出しているみたいで……。それを見るのが、だんだん、怖くなっていったんだ」
珈琲の湯気の向こう側で、ユカリの瞳が、悲しげに揺れる。私は、ゆっくりと首を横に振った。
「違う。謝るのは、私のほうだよ。私は、ユカリが怖かったんじゃない。私自身の、この目が怖かったんだ」
私は、初めて、自分の能力について、他者に、自分の言葉で説明しようと試みた。人の感情が、色になって見えること。その色が、時に、暴力的な力を持って、私を傷つけること。そして、あの日、ユカリから見えた濁った緑色が、あまりにも苦しくて、どうすることもできずに、ただ逃げてしまったこと。
「だから、ユカリが苦しそうな顔をしているように見えたのは、私のせいなんだ。私の目が、ユカリにそうさせていた。本当に、ごめんなさい」
私の告白を、ユカリは、ただ黙って聞いていた。彼女の周りには、驚きを示す紫でも、拒絶を示す黒でもない、ただ、すべてを受け止めようとする、透明な光が、静かに広がっていた。
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