第5章 SNSの向こう側

第16話 ピクセルの内省

表参道の裏路地にある、白壁のギャラリー。コンクリート打ちっぱなしの床が、ひやりと冷たい。大学の選抜グループ展の搬入日、私は自分の作品を壁に掛けていた。スポットライトの白い光が、アクリルで額装された作品の表面を滑る。そこに映し出されているのは、私がこの一年で生み出した、「売れる色」の数々だった。


夜の街のネオンを反射する雨粒。クリームソーダの泡のはじける瞬間。夕暮れの教室の、ノスタルジックなオレンジ色の光。どれも、SNSで何千、何万という「いいね」を獲得した作品たちだ。ネオンピンクを基調とした色鮮やかで、構図は洗練され、誰が見ても「美しい」と感じるように、完璧に計算されている。


けれど、その一枚一枚から、感情の色は抜け落ちていた。私の目には、それらがただのインクの染み、ピクセルの死骸にしか見えない。魂が、そこにはなかった。


ふと、自分の手元にあるタブレットに目を落とす。私が描くデジタルの「ピクセル」と、私の目に見える感情の「ピクセル」。この二つの関係性について、最近よく考えていた。「私は、神様が創ったピクセルを、人間の作ったピクセルに変換しているだけなのかもしれない」。そんな独白が、心の内で繰り返される。神様が創った、魂の質量を持つピクセル。それを、私は、誰にでも分かりやすい、軽くて、消費されやすいピクセルに変換している。それは、翻訳というより、冒涜に近い行為なのではないか。


「――相変わらず、見事な技術だな、ハル君」


背後から声をかけられ、びくりと肩が震えた。振り返ると、今回の展示を指導するタナカ教授が、腕を組んで私の作品を眺めていた。初老の教授の周りには、いつも厳格な知性を示す、深い紫色のオーラが漂っている。


「ありがとうございます」


私がかろうじてそう答えると、教授はふう、と一つため息をついた。「技術は、完璧だ。だがね」教授は、私の作品から私へと視線を移した。その鋭い眼差しが、私の心の壁を突き抜けてくる。「君の作品には、魂がない。美しいだけの、空っぽの器だ。君は一体、何を描きたいんだ?」


言葉に詰まった。教授の言葉は、棘のある真実の色――濃い藍色を帯びて、私の胸に突き刺さった。描きたいもの。それは、あの満員電車で見た、魂の抜け殻のような灰青だった。けれど、そんなものを描いたところで、誰も評価してはくれない。三万人のフォロワーは、私にそんな色は求めていない。


「私は……見た人が、綺麗だって思ってくれるものを、描きたいです」


嘘だった。口から出た言葉は、薄っぺらな水色の粒子となって、虚しく宙に消えた。教授はそれ以上何も言わず、失望の色を滲ませながら、静かにその場を去っていった。


一人残されたギャラリーで、私は自分の作品に囲まれて立ち尽くす。白い壁に掛けられた色鮮やかな絵画たち。それは、私が築き上げた虚構の王国だった。そして私は、その空っぽの王国の、孤独な女王なのだ。壁に作品を打ち付ける金槌の音が、やけに大きく、空虚に響いていた。

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