7話

​ 夜明けの鐘は、救済の合図ではなく、屠殺の始まりを告げる弔鐘だった。

 誠一が多田の家の若衆たちに引きずり出されたとき、村の中央広場には、すでに奥ノ沢の全住民が揃っていた。老いも若きも、昨夜の狂乱を共有する一員として、一様に無表情な顔で彼を待ち構えていた。

​ 「さあ、始めましょう。佐伯さん、あなたの余計なものをすべて脱ぎ捨てていただく時です」

​ 多田の合図とともに、誠一は広場の中央にある石の壇上に突き飛ばされた。若衆たちが誠一を羽交い締めにし、無慈避にその衣服を剥ぎ取っていく。広告代理店時代に「成功者の鎧」として身につけていた仕立ての良いジャケット、高級ブランドのシャツ、知性を演出するための細縁の眼鏡。それらが次々と剥がされ、泥の混じった地面に叩きつけられるたび、誠一は自分の皮膚が剥がされるような痛みを覚えた。

​ 「やめろ……何をする! やめてくれ!」

​ 極寒の朝の空気が、全裸にされた誠一の肌を容赦なく刺す。石壇の上に立たされた彼は、村人たちの冷たい視線の海に放り出された。股間を隠そうとするが後ろ手を縛られてしまい、隠すことが出来なかった。多田が、誠一から奪い取ったMacBookを広場の中央に置かれた古い木の台に据え、画面を村人たちの方へ向けた。

​ 「これがお前の価値のすべてだ、佐伯さん。お前が世界へ発信しようとした『真実』の代わりに、この村に残った『記録』を皆で見ようじゃないか」

​ リターンキーが叩かれる。画面には、昨夜の栞との醜悪な行為が再生された。最新のディスプレイが、誠一の必死な形相と、栞の震える肌を冷酷なまでに鮮明に描き出す。そして、映像の最後、誠一が快楽に顔を歪め、情けなく射精する瞬間がスローモーションで流された。

​ 村の子供たちまでが、そのモニターを指差して冷笑する。

 「これが都会の偉い人なんだって」

​ 誠一は全裸で冷たい風に曝されながら、自分の性欲の残滓がデジタルの光となって村中に晒されるのを、ただ見ているしかなかった。

​ 「話せ。お前の『仕事』とやらは、一体誰を幸せにしたんだ?」

 山根が、使い古された農具の柄で誠一の背中を小突いた。

​ 誠一は震える唇で、必死に自分のアイデンティティを繋ぎ止めようとした。

 「僕は……僕は大手広告代理店で働いていた。世の中のトレンドを作り、何十億という金を動かしてきた……。僕が仕掛けたキャンペーン一つで、消費者の行動は変わるんだ。僕には、君たちが一生かかっても得られないような、知的なプレゼン能力があるんだ!」

 村の一人の老婆が、足元に唾を吐き捨てた。

「それはお前の嘘だ。お前は空っぽだ。お前の脳みそは、都会のチラシで溢れている」

​ 「違う! 僕はクリエイティブな人間として業界で一目置かれていた! クライアントはみんな、僕のアイデアに何千万も払ったんだ!」

 今度は多田が冷たく言い放つ。

「お前の中に、そんな立派なものがどこにある?」

​ 村人たちが一斉に唱和し始めた。

 「お前は空っぽだ!」「お前は詐欺師だ!」「きれいごとを吐く虫だ!」

​ 誠一がこれまで「自己」として積み上げてきた、プレゼン資料、バイラル動画、人脈、洗練されたマーケティング用語。それらがすべて、村人たちの「それは嘘だ」という一言で粉々に粉砕されていく。誠一は石壇の上で蹲り、耳を塞いだ。だが、その隙間からも「空っぽだ」という罵倒が泥のように流れ込み、彼の精神の核を蝕んでいった。

​ 「誠一さん。あなたが一番隠したかったのは、自分がただの『空っぽの器』だということでしょう?」

​ 聞き慣れた声が広場に響いた。

 村人たちの列が割れ、そこから奈緒がゆっくりと歩み出てきた。彼女は村の女たちと同じ厚手の綿入れを纏い、足元は無骨な長靴。その姿は、都会のパーティで誠一の横に並んでいた「佐伯奈緒」とは、もはや別人だった。

​ 「……奈緒、助けてくれ。こいつらは狂ってる。一緒に、一緒に逃げよう……。あんな動画は罠なんだ!」

 誠一は這いつくばりながら、奈緒の足元に手を伸ばした。しかし、奈緒はその手を汚らわしいものを見るような目で見下し、一歩後ろに下がった。

​ 「逃げる? どこへ? あなたと一緒に、またあの虚飾だらけの広告の世界へ戻るというの?」

 奈緒の声は、誠一が聞いたこともないほど冷酷だった。

​ 「誠一さん。私はずっと知っていたわ。あなたが私を愛していると言いながら、実際には自分を飾るための『トロフィー』としてしか見ていなかったことを。センスの良い妻を連れている自分、というブランディング。私の心の乾きなんて、あなたには一視聴者のインプレッションほどの価値もなかった」

​ 「そんなことない! 僕は君のために、この村に移住して……!」

​ 「自分の仕事のためでしょう。私を小道具にして、新しいビジネスのネタを撮りたかっただけ」

 奈緒は嘲笑した。

「あなたは、他人をターゲットとしか思っていない。だから、自分もこうしてターゲットにされるの。……あなたは自分が犯したあの醜い姿を、私に申し訳ないと思うより先に、地元の友人たちにバレて見下されることを恐れて震えている。なんて浅ましくて、滑稽な男」

​ 奈緒は村人たちの前に向き直り、高らかに宣言した。

 「この男は、不浄な排泄物です。……誠一さん、あなたはもう、私を呼ぶ権利すらないの」

​ 奈緒は自分の腹部を慈しむように撫で、誠一に背を向けた。彼女はすでに誠一を「過去の残骸」として処理し、村の共同体の一部として、新しい「何か」を受け入れている。誠一は、最愛の妻に公衆の面前で「不要なゴミ」として捨てられた絶望に、断末魔のような叫びを上げた。

​ 「儀式の仕上げです」

 多田が宣言した。

​ 村人たちが一斉に、足元に用意していた桶を持ち上げた。中には、村の肥溜めから汲み上げられた汚物と、奥ノ沢の冷たい泥が混ぜ合わされたものが並々と入っていた。

​ 「佐伯誠一。お前のこれまでをこの村の『真実』で塗り潰してやろう」

​ 多田が最初の桶をぶちまけた。

 「これがお前だ!」

 頭から被せられた汚物の強烈な悪臭に、誠一は激しく咽せ返った。続いて、山根が桶を振る。

 「これがお前だ!」

 「これがお前だ!」

​ 次々と浴びせられる汚泥によって、誠一の白い肌は見る影もなく汚れ、褐色の塊へと変わっていった。罵声は嵐のように吹き荒れ、誠一の耳にはもはや言葉の意味は届かなくなった。ただ、自分が徹底的に、物理的にも精神的にも「汚物」として再定義されているという事実だけが、細胞の一つひとつに刻み込まれていく。

​ 「もう、お前は佐伯誠一ではない。……ただの、声を持たぬ肉の器だ」

​ 誠一は石壇の上に崩れ落ち、泥の中に顔を埋めた。

 かつて自分が「洗練されていない、情報弱者」と蔑んでいた村人たちに、彼は完全に敗北した。彼が武器として信じて疑わなかった「情報の加工術」も「ブランディング」も、この村の圧倒的な実存の前では、塵ほどの役にも立たなかった。

​ 意識の混濁する中で、誠一は泥の味を感じた。それは苦く、重く、そして不思議と静かだった。

 村人たちが去っていく足音が遠のく中、誠一は自分が「解体」されたことを知った。そこにはもう、反論するキャッチコピーも、自分を飾る言葉も、そして「佐伯誠一」という人間としての自尊心も、何一つ残っていなかった。

​ 霧が立ち込め、広場は再び静寂に包まれた。

 泥まみれのまま動かなくなったその塊は、奥ノ沢という巨大な胃袋に飲み込まれ、消化されるのを待つだけの、名もなき「部品」へと変貌していた。




​​ あれから数週間。誠一は、奥ノ沢という巨大な胃袋に消化されるだけの「家畜」として、泥にまみれる日々を送っていた。

 当初、彼は村人から与えられた、古い野良着を着て作業に従事していた。他人の家の肥溜めをさらいながらも、誠一は心の奥底で自分を支えていた。「(どんなに汚れてもこの屈辱さえ記録し、いつか都会へ持ち帰れば、最高の『逆転ストーリー』になる)」

 その隠しきれない選民意識、時折見せる傲慢な眼差しを、村人たちは見逃さなかった。

​ ある朝、多田が誠一を呼び出した。

 「佐伯さん。お前のその目は、まだ自分を『特別な人間』だと思っているようだ。それでは償いにならん」

​ 多田は、若衆たちに誠一を羽交い締めにさせ、新しい「作業着」を無理やり着かせた。それは、誠一が都会から持ってきた高価なスラックスを無残に加工したものだった。

 特筆すべきは、その股間部分だ。直径十センチほどが丸く切り取られており、誠一が歩くたびに、彼の「罪の象徴」が無防備に、情けなく露出するようになっていた。

​ 「ほら、似合ってるじゃないか。都会のオシャレってやつだろ?」

 山根が、露出した誠一の局部を棒切れでつつき、下卑た笑いを上げる。

 「隠すなよ。それがお前の、この村での『身分』だ」

​ 誠一は顔を真っ赤にしながら必死に手で隠そうとしたが、その手は村人たちの手伝いに使わなければならない。

「隠せば仕事が進まん。仕事が進まねば飯抜きだ」

という多田の言葉に、誠一は涙を溜め、股間を衆目に晒しながら、土を掘り返すしかなかった。村の老婆たちがそれを見て「まあ、立派な広告塔だこと」と嘲笑するたび、誠一の精神は、ヤスリで削られるように磨り減っていった。

​ 重い身体を引きずって家に帰っても、そこには安らぎなど微塵もなかった。

 食卓に座る奈緒は、もはや誠一の顔すら見ようとしない。彼女が誠一に供するのは、村人から「恵んでもらった」傷んだ野菜のクズや、焦げ付いた粥だけだった。誠一が、股間の開いた無残なスラックス姿で椅子に座ると、奈緒は軽蔑しきったように鼻を鳴らした。

​ 「奈緒、今日の作業はきつかったよ……。皆があんな風に僕を笑うんだ……。君からも、多田さんに言ってくれないか?」

 誠一が弱音を吐くと、奈緒は食器を置く音を鋭く響かせ、氷のような眼差しを向けた。

​ 「情けない人。まだ自分が『被害者』だと思っているの? その格好は、あなたが自分の欲を制御できなかった証でしょう。村の皆さんは、あなたがその醜さを忘れないようにと、慈悲でその服を与えてくださったのよ」

​ 「……っ、でも、これはあんまりだ。人権なんて……」

​ 「人権? 広告代理店時代、あなたがターゲットを『数字』や『家畜』として扱っていた時、そこに人権なんてあったの?」

 奈緒の言葉は、村人の罵倒よりも深く誠一の心を抉った。

 「誠一さん。今のあなたは、やっと自分の『正体』に見合った格好をしているのよ。股間を晒して、泥にまみれて。それが、ブランディングを剥ぎ取られた、あなたの真実」

​ 誠一は、反論する言葉を飲み込んだ。奈緒の瞳の中に、かつての自分たちの居場所は一ミリも残っていない。彼は、自分が「妻を守る夫」から「妻に管理される汚物」へと完全に転落したことを、冷めた粥とともに飲み下した。

​ ある日の朝、奈緒が洗面所で激しくえずく声が聞こえた。

 誠一は慌てて駆け寄った。

 「奈緒! 大丈夫か? 体調が……」

​ 「触らないで。……できたみたいなの」

 奈緒は誠一を突き放し、洗面台の鏡に映る自分の顔を見つめた。その表情には、誠一に向けた拒絶とは対照的な、狂気を含んだような恍惚とした喜びが宿っていた。

​ 「できたって……まさか、子供か!?」

 誠一の胸に、一筋の希望が走った。

 「子供……。そうか、僕たちの子供か! 」

​ 誠一は、感動のあまり涙を流しながら、股間のあいたズボンのことなど忘れ、奈緒の手を握ろうとした。子供という新しい「情報」が、自分の破滅した人生を上書きしてくれると信じたのだ。この子がいれば、奈緒も元に戻る。

​ 「……何て言ったの?」

 奈緒が低い声で言った。

​ 「だから、僕たちの子供を、僕が責任を持って育てるよ! これで僕は、本当の意味でこの村の父親に……」

​ 「『僕たちの』? 笑わせないで」

 奈緒は、誠一の顔を正面から捉え、一文字ずつ噛みしめるように告げた。

 「この子は、村の子よ。奥ノ沢の血を継ぐ、清らかな生命。……あなたの汚れた血なんて、一滴も混じっていないわ」

​ 「……え?」

 誠一の思考が停止した。

​ 「何を……言ってるんだ? 君と僕の子供だろう? 移住してきてから、ずっと一緒に……」

​ 「いいえ。あなたが多田さんの家で栞ちゃんに溺れていた夜、そしてそれ以外の夜も……私はこの村の『真実』を受け入れていたの。よし子さんたちが、私を導いてくれたわ。村の繁栄のために、誰が種を蒔くべきかを」

​ 奈緒は慈しむように自分の腹を撫でた。

 「この子の父親は、村の意思そのもの。あなたはただの『同居人』という体裁を守るための、動くカカシに過ぎないのよ。戸籍上はどうあれ、この子はあなたを父親とは呼ばない。あなたは、この子が生まれてくるための『家』を維持するだけの存在」

​ 「うあああああああああ!!」

​ 誠一の口から、人間とは思えない叫びが漏れた。

 最後に縋っていた「父性」という幻想。自分がまだ「男」であり、「夫」であり、歴史を繋ぐ「人間」であるという唯一の証明。それが、最も愛していたはずの女性によって、最も残酷な形で、徹底的に否定された。

​ 「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ! 僕の子だ! 僕の子のはずだ!」

​ 誠一は狂ったように壁に頭を打ち付け、切り取られたズボンの股間から己の無価値な象徴を震わせながら、床を転げ回った。

​ 発狂し、よだれを垂らしながら笑い転げる誠一を、奈緒は冷たい一瞥をくれただけで、そのまま部屋を出ていった。

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